- 安穏寺と大杉神社の関係
- 常陸坊海存について
- 御朱印のいただき方
「あんばさま」といえば大杉神社。県内ではかなり有名な神社です。話題が豊富なのでテレビでもよく取り上げられています。
では、その隣りにあるお寺についてはいかがでしょう。あるのは知っていても由緒などをご存じの方はほとんどいないはず。
この記事では稲敷市の安穏寺をご紹介します。かつて大杉神社の別当を務めたといわれています。神社と一緒にお参りしてはいかがでしょう♪
安穏寺とは

境内正面入口
安穏寺は稲敷市の阿波にある天台宗の寺院です。大杉神社のすぐお隣なので場所をご存じの方は多いでしょう。
この地を選んだのにはもうひとつ理由がありました。それは伝教大師から耳にしていた勝道上人の伝説です。上人は霞ヶ浦で難破し、生死の境をさまよいましたが仏神によって救われたというのです。
それから上人は老樹のもとに小さな祠を建てて鎮護国家を祈願しました。快賢も同じように加護の得られる場所で創建したかったのでしょう。
大杉神社のサイトにも安穏寺の創建についてありますが、ちょっと違う内容です。こちらは寺伝をベースにしています。

隣の大杉神社
安穏寺が大杉神社の別当であった可能性は極めて高いと思います。というかほとんど一体でしょう。歴代の住職には次のような逸話もあります。
江戸時代初頭には、大干ばつで苦しむ関東一円に雨を降らせるという奇跡を起こした僧天海(慈眼大師)に霊験を与えた神社として、大杉神社は知られるようになります。天海は後に上野寛永寺や日光輪王寺の住職となり、安穏寺の住職も兼帯して大杉大明神に仕えました。以降大杉神社のある安穏寺は、上野寛永寺や日光輪王寺と同様に明治になるまで輪王寺宮の兼帯するところとなりました。
天海に奇跡を授けた神様/大杉神社公式
慶長7年(1602年)に徳川家より朱印地20石を受けました。役職の兼任などもしていたので、かなり有力な寺院だったようです。
(実際には見たことないですが)ご本尊は弥勒菩薩です。
弥勒菩薩をご本尊にするのは非常に珍しい。県内では笠間の弥勒教会くらいでしょうか。弥勒菩薩は釈迦の入滅後、約56億年後に如来となることが約束されています。気が遠くなる。。
駐車場
安穏寺に専用駐車場はないかと思います。ただ、隣の大杉神社に広大な駐車場があることや、安穏寺裏の葦船神社前に駐車できますので合わせてのお参りをオススメします。

安穏寺裏の壁画
大杉神社の駐車場もけっこう埋まりますが、御神木前の駐車場は比較的空いています。本堂の裏側から境内に入るこ際、壁画が見れるので要チェックです。
常陸坊海存の石塔

常陸坊海存の石塔
境内の入口にある常陸坊海存の石塔。文治5年(1189年)に建てられました。
この名前を聞いてピンときたらかなりの歴史通。牛若丸こと源義経一行に同行していたといわれます。でもそれとは「存」の字が違うんですよね。もしかしたらそれには深い意味があるのかも。
大杉神社では海存を次のように紹介しています。
文治年間には巨体、紫髭、碧眼、鼻高という容貌の常陸坊海存(海尊)が登場し、大杉大明神の御神徳によって数々の奇跡を示したことから、海存は大杉大明神の眷属で、天狗であるとの信仰へと発展いたしました。
大杉神社にまつわる伝説/大杉神社公式
なるほど。大杉神社の鳥居近くにいる天狗は常陸坊海存をモチーフにしているのですか。続いて『茨城の寺』から常陸坊海存について引用します。
常陸坊海存は文治5年(1189)東北からくる。清悦法師といい、天下泰平、国土安穏、五穀豊穣などをはじめ、村人の平和を祈った。平家横行をにくみ、常陸坊海存とした。この常陸坊海存は水の守護のために各地であがめられている。
安穏寺/茨城の寺(二)
石塔の年号と一致しましたね。それにしても800年を超える歴史を持っているとは凄まじい。
水の守護というのは大杉神社と通じるので興味深いです。由緒にあるように勝道上人も水難に遭いましたから。かつて安穏寺では漁や海上守護も祈願されたかもしれません。
参考 大杉神社と常陸坊海尊茨城の民話Webアーカイブ参道

ソメイヨシノが並ぶ参道
参道は短く20mほどでしょうか。両脇には古そうな桜、おそらくソメイヨシノが並んでいます。
この桜は安穏寺のシンボルのひとつなのでしょう。約50年前の本にも桜の名所として書かれていました。

境内の石仏
左手に石仏の数々。二十六夜講や六面観音など民間信仰の跡が見えます。本堂の裏の方にも石碑がありますので信仰の集合地のようになっています。
中には日蓮宗の御首題などもありました。区画整理の際などで居場所がなくなった石仏や石碑が寄せられたのではと思います。
本堂

本堂
見事な彫刻の本堂。最近、修繕されて若い色の部分が見えるようになりました。これが馴染むのはだいぶ先かなぁ。。

見事な彫刻の本堂
大陸の古典のような物語が彫られているようです。これは大杉神社の社殿と非常によく似ています。
本堂は明治11年(1878年)に再建されました。では、それ以前の本堂はというと大杉神社の拝殿となりました。よくわからないですよね。
手元の資料にないのでなんとも言えませんが、政府の神仏分離の政策に端を発する廃仏毀釈の影響かと思います。
寺院として存続が難しかったので大杉神社と一体化。寺宝などは末寺の無量院に移すことによって一旦廃寺のようにしたようです。事態が沈静化してから本堂の再建となったのでしょう。

扁額
扁額には『海存尊』。てっきりご本尊の弥勒菩薩かと思いきやこちらがあるとは。。寺宝のうち常陸坊海存尊の仏像も安置されているそうです。
御朱印

安穏寺の御朱印
安穏寺の御朱印です。御朱印料は300円。おそらく書置きになります。
本堂の左手のお家でいただいてください。ちょっとドキドキしますが、境内と繋がっているので間違うことはないと思います。
ご本尊ではなく『海存尊』なのがポイントですね!
アクセス
名称 | 龍華山 慈尊院 安穏寺 |
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住所 | 茨城県稲敷市阿波961-1 |
駐車場 | なし |
Webサイト | 稲敷市観光協会 |
まとめ
この記事のまとめ
- 安穏寺は大杉神社の別当だったといわれる
- 常陸坊海存は大杉神社の『天狗』のモデルにもなった伝説の僧侶
- 御朱印は本堂左のお家でいただける
参考文献
茨城の寺(二)/今瀬文也