茨城版!狐の恩返しの舞台 女化神社と奥の院(牛久市・龍ケ崎市)

女化神社アイキャッチ

キツネが恩返しする物語は全国にあります。私が初めて知ったのは、小学校の国語の教科書で読んだ『ごんぎつね』でした。

哀しくも感動的なお話だったので、マンガにして書き残したことを覚えています。それも授業中に。完成したあのマンガどこにいったんだろう・・・マンガはともかく、そんな思い出から私は恩返しをするお話が大好きです。

龍ケ崎市と牛久市にもごんぎつねと同じくらい素敵な物語があります。舞台は龍ケ崎市の女化おなばけ神社。『女化』は珍しい言葉ですよね。女に化けた狐に由来します。

物語は命を助けられた白いキツネが、助けた男に嫁いで恩返しをするというものです。しかも美しい女性だったといいますから、色々な意味で夢があります。今回は女化神社の由来となった物語をご紹介します。

女化神社とは

女化神社は龍ケ崎市の馴馬なれうま町にあります。龍ケ崎市の神社であることは間違いありませんが・・・面白いのは、周囲の住所が牛久市女化なんです。つまり、牛久市内にぽつんと龍ケ崎の神社があるんです。かなり不思議です。

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古い本を読むと2つの土地で『女化』が使われていました。龍ケ崎市馴馬町女化と稲敷郡牛久町女化です。もともと、神社一帯の地名は『女化』でなにか政治的な理由でいまのようになったのでしょう。

女化神社社殿

夢の舞台、女化神社の社殿です。創建は1509年。はじめは稲荷大明神と呼んでいました。のちに女化稲荷社、保食神社、そして女化神社と変わっています。

ご祭神は保食神うけもちのかみです。名前から連想するとおり、五穀豊穣のご利益があります。この神社は別名・女化稲荷神社とも呼ばれますが、ご祭神は稲荷神社でおなじみの宇迦之御魂神うかのみたまのかみではありません。でも、同一視されているそうです。

2002年に再建されたため、非常に新しく感じます。少し離れて見ても、金色でピカピカなのがわかりますね!

2匹の狐の装飾

装飾には稲をくわえているキツネがあります。なかなかユニークですね。キツネはむかしから田植えや収穫の時期にひょっこりと現れます。人々にとって大切な時期に姿を見せるので、神の使いというイメージがついたそうです。笠間稲荷のWebサイトに詳しくありますのでどうぞ。

女化神社のキツネ像右
女化神社のキツネ像左

狛犬の代わりに子連れのキツネがいることも特徴です。3匹の子狐は後述する民話にちなんでのことでしょう。

民話『キツネの恩返し』

女化神社の創建は、この地域に伝わる民話キツネの恩返しと深い関係があります。民話には諸説あって、牛久市観光協会龍ケ崎市のWebサイトに内容があります。龍ケ崎市はよくまとまっていますが、牛久のほうがわかりやすいですね。以下に引用します。

むかし、根本村(現在の新利根村根本)に忠五郎ちゅうごろうというやさしい若者がいました。ある日、土浦でむしろを売っての帰り道、女化ヶ原おなばけがはらにさしかかると一人の猟師が眠っている大きな白ぎつねを射ようとしていたので、忠五郎が大きなせきばらいをしてきつねを逃がしてあげました。「ひとの仕事を邪魔しやがって」と猟師は怒りましたが、筵の売上全部を出して謝りました。

その夜のこと、忠五郎の家に若い娘と老人がたずねてきました。「奥州から鎌倉へ行く途中、道に迷って困っています。どうか一晩泊めて下さい。」忠五郎は二人を泊めてあげました。翌朝、忠五郎が目をさますと、下男げなん路銀ろぎん(お金)を持ち逃げされてしまったと娘が泣いていました。 そこで娘は忠五郎の家にしばらく居ることになりました。八重やえという この娘は、この世のものとは思われない美しさで気立てのやさしい働き者で、やがて忠五郎の嫁になりました。

幸せな家庭に8年の月日が流れ、つる亀次郎かめじろう竹松たけまつという三人の子供に恵まれました。ある秋の日、八重は竹松の添寝そいねをしているうちに寝いってしまったところを遊びから帰ってきた子供たちが見ると、母親に大きな尻尾しっぽが出ているではありませんか。「大変だ~、おっ母かあがきつねになっちゃった~!」 と腰を抜かさんばかりに驚き、父親のところへとんでいきました。
忠五郎が急いで帰ってみると八重の姿はなく、「みどり子の母はと問わば女化の原に泣く泣く伏すと答えよ」という書き置きだけがありました。

忠五郎が三人の子供を連れて、きつねの足跡を追ってくると、森の中に穴があり、そこはあの女化ヶ原でした。「おっ母!出て来ておくれ。」と涙ながらに呼びかけました。すると中から「こんな姿になって、もう会うことは出来ません。」と声がしました。「どんな姿でも驚かないから出て来ておくれ!」「ほんとうに驚かないでくださいね。」と一匹のきつねが穴から飛び出して、子供たちの顔をジーッと見つめ、「私がおまえたちの守り神になります。」と泣きながら走り去りました。この穴は、女化稲荷の北方300m位の所にあり、「お穴」として祀まつられています。
牛久市観光協会

本家にはさらに続きがあり、栗林義長くりばやし よしながのことが書かれています。義長は実在の人物ですが、伝説によれば八重の孫かひ孫にあたります。史実と伝説の入り混じった不思議な物語です。

ところで、龍ケ崎と牛久では、男の名前が忠五郎と忠七ちゅうしちで違っています。これは参考にしているものが違うからです。

忠五郎は、女化神社の縁起にある名前です。(境内の立て札にも登場)その他だと東国戦記実録、女化騒動記、牛久騒動女化日記など。忠七は、常総軍記、常久肝胆夢物語などで使われています。

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上で紹介した本のタイトルに『騒動』とありますが、キツネの話とは関係ありません。当時、この地で起きた6000人規模の農民一揆のことです。一揆の記録を残すはずが、なぜか神社にまつわる伝説を書いています。よほど女化の縁起を大切にしているのですね。

奥の院

八重が消えていったとされるお穴が神社のそばにあります。奥の院とも呼ばれています。

奥の院鳥居

場所は女化神社の社殿の裏から300mほど直進したところです。グループホーム『虹の家』の前を通ってさらに進むと鳥居が見えるはずです。奥の院には駐車場がありませんので、神社から歩くことをおすすめします。

奥の院1

奥の院3

奥の院は非常に静かな場所です。目の前に道路がありますが、交通量が少なく樹々に囲まれているからでしょう。あまり人がこない場所と思うかもしれませんが、このときは新しいお供え物がありました。なんどか来ていますが、そのたびにお酒やお赤飯があります。

社務所で奥の院について尋ねたことがあります。あくまで物語の舞台というだけであって、本尊は神社にあるとのことでした。奥の院の鳥居や置物は信仰のある方々が持ち込んでいるそうです。訪れるたびによく清掃されていますし、とても大切にされている場所だと感じます。

もうひとつの女化神社伝説

茨城新聞が編さんした『茨城の史跡と伝説』に女化神社の縁起があります。でも、ご紹介したものと大きく違うんです。男が猟師からキツネを助けるところは同じなんですが・・・助けた男の名前が忠五郎や忠七ではなく、栗林 義長くりばやし よしながです!

栗林義長は先にご紹介した伝説では白キツネ(八重)の子孫となっています。なぜ、似ているようでまったく違う物語が存在するのでしょうか。語り手の間違いというレベルではありません。

物語はけっこう細かいです。義長は岡見氏の年老いた老臣として登場。妻に先立たれて寂しく生活しています。あるときつくばの神社でお参りをした帰りにキツネを助けます。そしてふたたび訪れた際に亡き妻の姿をした女性と出会うのです。義長は「蘇った」と喜んで家に連れて帰るのですが、女性の正体はもちろん。。。とても切ないお話です。

その物語で義長がお参りした神社はつくば市の飯名神社です。女化神社と同じ保食神がご祭神です。ただ、この神社は江戸時代に祀られるようになった市杵嶋姫いちきしめひめ命の方が人気なんです。以前、お参りしたとき「保食神がかわいそう」と思いましたが、少し離れた龍ケ崎で丁重に祀られているとホッとしました。

栗林義長と飯名神社については以下の記事に詳しく書きましたのでご覧ください。

まとめ

女化神社は龍ケ崎市の神社。ただし、神社の周辺は牛久市の土地です。

神社の縁起には『キツネの恩返しの物語』があります。悲しくも心温まる物語で、龍ケ崎と牛久の双方で語り継がれています。

女化神社にはいまも多くの参拝者が訪れています。また、物語でキツネが去ったとされる場所は『お穴』や『奥の院』と呼ばれて、いまも信仰のあるに祀られています。

アクセス

名称 女化神社
住所 〒301-0004 茨城県龍ケ崎市馴馬町5387
駐車場 あり

参考図書
狐から生まれた男 -幻の戦国武将・栗林義長-/著:金子敏
茨城県の民話/編:日本児童文学者協会
茨城の史跡と伝説/編:茨城新聞社
茨城「地理・地名・地図」の謎/監修 小野寺淳/じっぴコンパクト新書
伊奈町の歴史散歩/伊奈町社会教育・口座・歴史教室編/ふるさと文庫(筑波書林)

2 Comments

あつお

素晴らしい!

説明も分かり易いし、
絵コンテの入れ方など、素晴らしいです。

wata wata

あつおさん>

コメント一番乗りありがとうございます!

歴史や伝説が絡むと難しくなりがちなので、なるべくわかり易くしています。
今後ともご贔屓にお願いします!

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