町付の近津神社と上野宮の近津神社(大子町)

大子町の近津ちかつ神社は三社です。むかしは近津三社明神と呼ばれていました。

この三社はいずれも郷社ごうしゃという社格を持っていた立派な神社。大子町でお参りをする際にはぜひ覚えておいていただきたいですね。

この記事では町付と上野宮の近津神社をご紹介します。社格についても詳しく書きますのでお参りの参考になれば幸いです。下野宮につきましては過去記事からどうぞ。

近津神社の『郷社』とは

大子町に三社ある近津神社のうち、もっとも有名なのは『下野宮』でしょう。社殿が大きく中田植ちゅうだうえなどの祭事もありますからね。

下野宮が多くの信仰を集めていたことは社格にも現れています。社格制度は時代によっていくつかありますが、明治政府の定めた神社の格付けで近津神社(下野宮)は郷社でした。

茨城の社格を高い順に並べると次のようになっています。

社格
  1. 官社(官幣大社・国幣中社・別格官幣社)
  2. 県社
  3. 郷社
  4. 村社
  5. 無格社

茨城の官社は4つしかありません。鹿島神宮、大洗磯前神社、酒列磯前神社、常磐神社です。

県社もわずか11。ほとんどはそれ以下ですので、郷社はなんとなくスゴイと感じていただけるでしょうか。ちなみに、水戸市に郷社はありません。ほとんど村社と無格社です。(郷社より格上の官社と県社はある)

ここまでをご理解いただくと町付の近津神社が郷社だったことに驚きます。大子町に2つの郷社。。いえいえ、じつは上野宮の近津神社も郷社なんです。

「3つは同じ名前なんだから、同じように評価されていたんじゃないの?」

わたしもそう思っていたんですが、違うんです。社格に応じて国から補助(金)が出ますので、審査は厳しかったんです。

ですから、大子町に3つも郷社があるのはとてもスゴイんですよ。八溝嶺神社も郷社なのでぜんぶで4社もありました。

社格は敗戦時に廃止されましたので、現在では「むかし郷社だった」という意味で「旧郷社」と呼んだりします。社号標には残っていたりしますのでチェックしてみてください。

それでは町付と上野宮の近津神社をご紹介します。

wata

大子町の信仰は古く、水戸黄門もお気に入りの場所でした。水戸から帰るたびになんども足を運んでいたんです♪

近津神社(町付)とは

一の鳥居(町付)

一の鳥居(町付)

下野宮の近津神社から車で10分ほどの位置に鎮座する町付の近津神社。鳥居の左側にちょっとしたスペースに駐車していざ参拝!

どうでしょう。この鳥居。神明式ですごく立派ですよね。

左側の社号標には郷社とあります。社格の表記は削ったり隠されている神社も多いので、こうして堂々と残っているのはいいですね。

wata

近津神社(町付)の住所は『大子町町付』なんですが、以前は『大子町町付中之宮』でした。なので「中の宮さま」と呼ばれていたようですね。

二の鳥居

参道

参道

参道はかなり長く100mくらいはあったと思います。鳥居をすぎて数十m歩くと左手には社務所がありますよ。

空いているのはお祭りのときくらいだと思いますが、なかなか立派なものでした。

二の鳥居(町付)

二の鳥居(町付)

写真は二の鳥居です。すごく古く見えますよね。なんと水戸藩から寄進されたものだとか。。

あとで知った由緒によると『大檀那水戸中納言頼房公』の文字が刻まれ、寛永11年(1634年)とあるそうです。

頼房といえば水戸藩の初代藩主で徳川家康の11男、そして光圀のお父さんにあたります。ずいぶんスゴイ方の名前が飛び出しました。

稲村神社の石碑(町付)

稲村神社の石碑(町付)

鳥居の右側の石碑には『稲村神社』とあります。おそらく式内社であることを示しているのでしょう。下野宮にも同様に石碑がありました。

稲村神社は延喜式神名帳の論社になっています。これがそうではないか、といくつか候補があるということです。磯部稲村神社(桜川市)と稲村神社(常陸太田市)も論社なんですよ。

近津神社が稲村神社かどうかわたしにはわかりませんが、かつて稲村神社と呼ばれたことはあったそうです。ただし、それは上野宮の近津神社周辺が稲村という地名だったせいだとか。。いなむらの神社??

随神門

随神門(町付)

随神門(町付)

この随神門は少し違った意味で気になっております。。

じつは近津神社(町付)はたしかに郷社に指定されましたが、ちょっとした経緯があるんです。

明治5年に郷社に指定されたものの翌6年に村社に格下げ。しばらくして大正12年(1923年)に再び郷社に指定されました。

格下げの理由はわかりません。ただし、大子町史を読むと再び郷社になるために多くの寄進を集めて造営したとあります。

つまり、社格の指定には社務所や社殿などの神社の規模も判断に扱われたということです。お金を集めて神社を大きくすれば、それに見合った社格になりました。

こうしたことから近津神社の新しい建物についてはその時期に作られたものかなと思います。もちろん、実際のところはわからないのですが。。

社殿

拝殿(町付)

拝殿(町付)

入母屋造りの立派な拝殿です。本殿は神明造り。近津神社はすべて同じ造りです。

そして色合いもすごく似ていますね。湿気で黒くなっているのがまたステキ。。

そういえば、神社はいずれも久慈川八溝川といった川のそばにあるんですよね。社名とも関係あるのでしょう。

この日は本殿が改修中でした。この記事を投稿する頃には終わっているかな?

近津神社の由緒は下野宮でご紹介しましたが、それぞれの社伝で微妙に違っているんですよね。

町付は創建した年は同じ(慶雲4年=707年)ですが、池田鏡城主の藤原富徳が勧請したとのこと。富徳は八溝山の鬼を退治した伝説がありますよ!

ご祭神は級長津彦しなつひこ大神、面足大神おもだる惶根かしこね大神です。

wata

光圀から斉昭に至るまで、21年ごとの社殿の改造には水戸藩から木材が寄進されました。慶篤よ。。

天満宮

天満宮に続く橋

天満宮に続く橋

社殿の右手に橋がかかっているので渡ってみました。

苔の色がいいですよね〜。もともと山岳信仰の盛んな地でしたから、山伏がいそうな雰囲気がします。

天満宮

天満宮

先にあるのは天満宮です。ご祭神はもちろん菅原道真公

周囲は杉の葉っぱがたくさん。ふかふかとした地面でした。

拝殿には絵馬がいくつも掛けられていますね。

学業成就の願いでしょうか。叶うといいですよね〜!

アクセス

名称近津神社
住所茨城県大子町町付1218
駐車場鳥居近くに数台駐車可

近津神社(上野宮)とは

八溝川

八溝川

もうひとつ行っておきましょう。上野宮の近津神社です。町付から車で10分。下野宮からだと20分ほどです。

駐車場はありませんので鳥居近くの路肩に駐車。前には八溝川が流れていました。増水していてなかなかの激しさ。。

一の鳥居(上野宮)

一の鳥居(上野宮)

一の鳥居、社号標。おなじみですね。

ここでは見つけられなかったのですが、稲村神社の石碑があったら三社の中では一番ふさわしいと思います。

参道のしだれ桜

参道のしだれ桜

参道の左は社務所、右手はしだれ桜が植えられています。桜は比較的若そうですね。

理由はわかりませんが、茨城の古い桜は神社に山桜、お寺にしだれ桜と植え分けられています。近年ではそうしたことを知る方は少ないかな。わたしも最近になって知りましたので。。

随神門

随神門(上野宮)

随神門(上野宮)

かなり古そうな随神門。屋根の少し下を見ると寄進された方のお名前が板に書かれています。独特ですね〜。

町付のところで書きましたが、社格は境内の規模によって決まります。じつはこの上野宮も造営によって社格を上げているんです。

明治40年に村社に指定。それを大正12年に郷社へ格上げされています。

2つの神社をどうして格上げしようとしたのか。大子町史によると町内の近津神社はいずれも同じ社格にしたいという町民の希望があったそうです。

そのため、町外からも多額の寄進を集めたとか。。

社格によって国から補助があるからといって金銭的に得することはありませんから信仰心のたまものといえるでしょう。

社殿

拝殿に続く参道

拝殿に続く参道

随神門の先がこちら。すごくいい。。

手水舎

手水舎

手水舎です。ちょっとまって。。

気を取り直して近津神社(上野宮)の拝殿です。

拝殿(上野宮)

拝殿(上野宮)

かなり年季入っている感じです。三つ葉葵は水戸徳川家との関係を示しているのでしょう。

上野宮の近津神社は由緒がハッキリしています。永禄13年(1570年)に本営(下野宮)から分祀されています。

ご祭神は面足大神おもだる惶根かしこね大神、級長津彦しなつひこ大神です。

町付とはご祭神の並びが違っているのに気づきましたか?下野宮と同じです。パソコンでパタパタと入力していると意識しませんが、昔はすべて手書きでしたから、こうした順番はなにか意味を持っていたのではと思うんですよね〜。

神明造の本殿(上野宮)

神明造の本殿(上野宮)

本殿もやはり見事です。神明造りですね。おや、女千木でしたか。あまり見ないのでちょっと気になる。。

御朱印

近津神社(上野宮)は左側です。右は下野宮です。初穂料は300円。

いただけるのは中田植の日など非常に限られています。

中田植は昼頃には終わりますから、参拝はする際のスケジュールには注意しておきましょう。

アクセス

名称近津神社
住所茨城県大子町上野宮3208
駐車場なし

まとめ

大子町には近津神社が三社あり、かつては近津三所明神と呼ばれていました。

いずれも旧郷社で境内は立派に整えられています。

神社同士の関係や社格など想像して楽しめることがたくさんありますので、ぜひ実際に足を運んでみてください!

参考図書

大子町史/大子町史編さん委員会
茨城県神社誌/茨城県神社庁

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