歴史に幕を下ろした小貝川花火大会〜二所神社と八柱神社の関係|筑西市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

筑西市の花火大会は変革の時期のようです。昨年(2018年)、今年と続けて花火大会が終了となりました。

再開の可能性はありますが、いまはなんとも寂しい思いです。特に昨年初めて見た川島地区の花火がその年で終わるとは思いませんでしたから。。

この記事では2019年に15回目をもって歴史に幕を下ろした小貝川花火大会と花火に関係のある2つの神社(八柱神社二所神社)をご紹介します。

小貝川花火大会とは

小貝川花火大会

小貝川花火大会

小貝川花火大会は筑西市の成田橋の近くで開催。橋は大会名にある小貝川にかかっています。

夜7時から9時にかけておよそ2,000発の花火を打ち上げ。場所や花火の数を考えると地元の住民向けといえるでしょう。

訪れた8月3日(土)は県内でいくつもの花火大会がありました。そのうちわたしが筑西市を選んだのは、この大会が今年で終わってしまうからです。二度と見られないので特別な思いがありました。

昨年終了した川島地区の大会はじつに43年も続いていましたので、時代の転換期という感じがします。

茨城新聞によると市内の花火大会を再編してリニューアルする動きもあるようですが。。少し時間がかかるでしょうし、これまで地区でされたものとは違いますよね。


参考
筑西 川島地区の花火大会 43年の歴史に幕茨城新聞

大会の様子

花火大会の会場

花火大会の会場

会場は正直、広くありませんね。見物客は土手かその下の成田スポーツ公園にレジャーシートを敷いて見ることが多いようです。

定刻になると役員の挨拶がはじまり、いよいよ花火大会がスタート。

決して多くない花火の数に2時間と長めの時間をかけるのはなぜでしょう。

花火と筑波山

花火と筑波山

疑問はすぐに解けました。打ち上げる前に協賛者と花火に対する想いがアナウンスされるんです。

家内安全、交通安全、商売繁盛。。それに子どもの健やかな成長や同級生の健康などなど。花火の一発一発に地元の方々の気持ちが込められていました。

ほとんどが個人協賛ですから、スターマインのような大上がりな花火はほとんどありません。大きな会場で耳にする音楽もなしです。

4号から10号玉のうち、4号と5号が多かったですね。協賛金はそれぞれ5,000円、7,500円です。10号だと55,000円。。でも何発か上がってましたよ!

明るいうちは筑波山を背景に見れるんです。さすが筑西市。『筑波山の西』が由来なだけあります。

7号玉と屋台

7号玉と屋台

辺りの灯りが少ないですから花火がキレイです。10軒ほどのテントの灯りが幻想的です。

うろつきながら撮影していると地元の方から何気なく話しかけられました。

「今年が最後だから記録とっておきたくてねぇ」

もちろん、なにかが終わってしまう寂しさというのもあると思うのですが。。それとは違った気持ちもあるかもしれません。

花火の少し前に近くの神社に参拝していた面白い発見をしたのでご紹介します。

wata

会場から下妻まつりのスターマインが見えました。近年は派手な花火が増えましたよね。わたしの住む土浦の花火は昔から有名でしたが、小さい頃見ていた花火はいまみたいに派手じゃなかったですよ。

八柱神社

花火大会駐車場

花火大会駐車場

花火の2時間前に到着してしまったわたし。たくさん時間があったので御朱印がないような神社を巡ることにしました。

スマホでマップを見ると八柱神社と二所神社を発見。いずれも明治に誕生したと思わせる名前ですよね。まずは離れている方の八柱神社へ。

会場から歩いて15分くらいでしたが、夕方でもむちゃくちゃ暑い。。

八柱神社の鳥居

八柱神社の鳥居

とても簡素な神社ですよね。写真の神明鳥居は震災で倒れたものを再建したそうです。

八柱神社の覆屋(右)

八柱神社の覆屋(右)

プレハブのような覆屋。。でも、中にはしっかりと流造の御本殿がありました。(拝殿はなし)

そして、非常にユニークなものを見つけたんです。

花火玉

花火玉

八柱神社と書かれた花火の玉がお社にぶら下がっていたんです!『元気ノ玉』なるものもありましたが。。元気玉?

これはどういうことでしょう。八柱神社の由緒を調べたのですがよくわかりません。創建の年さえも謎です。

ただ、茂田村の鎮守で村社だったことから信仰は多かったのではと思います。

名称を八柱神社としたのは明治6年。それまでは単に「鎮守さま」と呼ばれていたと思います。

祭神は大日孁貴おおひるめのむち命(天照大神の異称)、天御中主あめのみなかぬし命、素戔嗚すさのお命、伊弉冊いざなぎ命、菅原道真公、磐筒男いわつつのお命、木花開耶姫このはなさくやひめ命、倉稲魂うかのみたまです。

花火の玉は氏子の趣味?いやいや、どうも違うことが次の神社でわかりました。

名称八柱神社
住所茨城県筑西市茂田943
駐車場鳥居前の少しあり

二所神社

二所神社の一の鳥居

二所神社の一の鳥居

八柱神社から徒歩20分ほど。駐車場からだと5分ほどの二所神社。わたしは気温35度近い中、1時間以上歩いとるな。。ともかく、この二所神社も花火との関係があるんです。

鳥居をくぐると参道の両側にはしだれ桜が並んでいました。大きさからするとまだ若い桜でしょう。養蚕小学校の子供達が植えたようですね。

ニの鳥居

ニの鳥居

50mくらい進むと二の鳥居が見えます。その左側には境内社。名前が見えませんでしたが、病瘡神社と稲荷神社かな?

花火筒

花火筒

そして右側には。。花火!しかも筒付き。

この建物内に神社の花火について書かれていました。一部抜粋します。

由緒 武衛流 他七個流

明治時代(1867年)より成田二所神社の御祭礼には武衛流、荻野流、荻野嫡流、仙河流、一光流、葛城流、吉光流、貫流の八個流にあるが流の花火が打ち上げられておりました。神社庁の総覧によりますと大正時代(1916年)まで近郷の花火師達(この頃は花火に達者な者という)が、競い合って打ち上げられたと記録されています。
資料奉納 竹山和之

驚くことに神社で花火を打ち上げていたんです。大正8年までは自由に花火を製造できたそうです。趣味で花火がつくれた時代なんですね。

明治時代の花火は煙火と呼ばれ、文字通りけむりでした。玉を打ち上げて赤、白、黒、青、黄色の煙が下りてくるものだったそうです。

また、江戸時代まであった下館藩は砲術に優れていたとか。明治になると東西南北に4つの組織へ別れて技術を引き継いでいったとあります。筑西、とりわけ下館と花火は非常に縁があるのですね。

二所神社の社殿

二所神社の社殿

神社は旧郷社。なかなかの社格ですね。もともと成田鹿島神(武甕槌たけみかづち)だったものが鹿島大明神と呼ばれるようになり、明治9年に別雷大神を合祀した際に二所神社となりました。

創建などの古い歴史は社伝が焼失したことによりわかりません。後鳥羽天皇の時代(平安の終わりから鎌倉時代のはじめ頃)に成田五郎助忠が勧請し近傍18ヶ村の鎮守だったことはたしかのようですが。。

ちなみに成田氏は義経側に属しましたが、頼朝から褒美として領地をもらっています。

このお参りのあと小貝川花火大会を見ました。花火はお金がかかる行事ですから継続は簡単ではありません。

ただ、下館と花火は非常に縁がありますので歴史と共に後世に伝えていただきたいものですね。

名称二所神社
住所茨城県筑西市成田386
駐車場少しあり

まとめ

筑西市の小貝川花火大会は第15回をもって終了しました。

しかし、下館と花火は歴史的な関係もありますので、なんらかの形で再開し後世に残していただければと思います。

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁