【まとめ】健田須賀神社の兼務社|結城市【全8社】

この記事では結城市の健田須賀たけだすが神社(茨城県結城市結城195)の兼務社をご紹介します。

いずれも健田須賀神社で御朱印をいただけますが、2021年5月現在の情報に基づいていることをご了承下さい。

MEMO
兼務社は健田須賀神社の近くです。車で移動するのであれば一日ですべて回れるかと思います。(朝10時頃からスタートできれば)

大桑神社|小森

大桑神社の大鳥居

大桑神社の大鳥居

阿波忌部氏が創建したという由緒を持ち、当地で古代から織物が作られていたことを示す興味深い神社です。

御祭神は椎産霊わくむすび。神話では体から蚕を誕生させたので養蚕を生業とする人々にとって偉大なる存在です。

当社は別記事に詳しく書きましたので、ぜひそちらもご覧ください!

【結城七社】阿波忌部氏が創建 大桑神社|結城市

御朱印

大桑神社の御朱印

大桑神社の御朱印

アクセス

水戸線の東結城駅から車で3分ほど。でも、基本的には車で参拝になるかと思います。

駐車場は。。ないかな?一応、車で鳥居をくぐって駐車できるのですが、個人的にはあまりオススメしません。

通り沿いに花畑用の駐車場がありましたので、一時的に停めさせていただきました。

名称 大桑神社
住所 茨城県結城市小森1
駐車場 なし

貴布禰神社|結城

貴布禰神社の社殿

貴布禰神社の社殿

由緒

康元元年/1256年
創建
結城大蔵少輔朝広により創建
宝永7年/1710年
神階:正一位を授かる
明治15年/1882年
村社列格
大正元年/1912年
合祀
同町内の無格社・天神社を合祀
昭和43年/1968年
文化財指定
境内の宝篋印塔と石灯籠が工芸品、本殿彫刻が彫刻の指定文化財になる

ご祭神は高龗たかおかみ。京都の総本営と同じですね。天候を操る神で雲を呼んだり雨を降らせるご神徳があるとされます。

貴布禰神社の境内社(天満社)

貴布禰神社の境内社(天満社)

境内には大正時代に合祀された天満社も鎮座しています。ご祭神はもちろん菅原道真。学問の神として有名ですが、天神(雷神)と呼ばれ農業神の神格も併せ持っています。

貴布禰神社の本殿

貴布禰神社の本殿

当社でもっとも注目すべきは本殿の彫刻です。中国の故事が見事に彫られています。小さな神社と思って見くびってはいけません。一見の価値ありです!

本殿の彫刻1

本殿の彫刻1

本殿の彫刻2

本殿の彫刻2

御朱印

貴布禰神社の御朱印

貴布禰神社の御朱印

アクセス

社殿の北側、公民館のそばに駐車可能です。

名称 貴布禰神社
住所 茨城県結城市結城3119
駐車場 あり

聰敏神社|結城

聰敏神社入口

聰敏神社入口

由緒

文化13年/1816年
創建
結城藩十二代城主・水野勝愛が聰敏そうびん明神の分霊を勧請して創建
文政2年/1819年
鳥居建立
文政3年/1820年
社殿建立
※起工は文政元年
文政10年/1827年
御門燈建立
文久元年/1861年
改称
聰敏大明神と改める
明治元年/1868年
改称
聰敏神社と改める
明治6年/1873年
村社列格
明治41年/1908年
合祀
白峯神社、八幡神社、十二天神社、稲荷神社を合併

ご祭神は水野勝成かつなり、配祀として崇徳天皇誉田別ほんだわけをお祀りしています。

聰敏神社の鳥居

聰敏神社の鳥居

ご祭神は実在の人物。結城藩城主の初代にあたります。非常に優秀な方で徳川家康の家臣として関ヶ原の戦い、大阪冬の陣、大阪夏の陣、そして島原の乱など重要な合戦に参戦。その功績を認められ大和郡山(現奈良県)6万石、続いて備後福山(元広島県)10万石に封じられました。

勝成公は88歳で逝去。その後、福山で聰敏大明神として祀られるようになります。

しばらくすると水野家は跡継ぎを失い廃絶しかけますが、勝成公の戦功と縁故により特別に養子が認められて水野勝長が跡継ぎへ。勝長は結城藩主となり結城は明治まで水野家が統治を続けます。

ご祭神の勝成は茨城と直接関係ありませんが、結城水野家にとって非常に重要なのでお祀りしているということですね。

聰敏神社の社殿

聰敏神社の社殿

ちなみに、社号の「聰敏」は勝成公が「聡明で俊敏」であったことから付けられたそうです。治水にも成功した領主なのでまさに文武両道だったのでしょう。

御朱印

聰敏神社の御朱印

聰敏神社の御朱印

アクセス

神社というより結城城跡(城跡歴史公園)を目指すといいでしょう。

おそらく神社専用の駐車場はなく、公園の駐車場に駐車することになります。とても広くわかりやすいので安心して利用できます。

名称 聰敏神社
住所 茨城県結城市結城(本町)1484
駐車場 あり

住吉神社|結城

住吉神社の社号標と鳥居

住吉神社の社号標と鳥居

由緒

建武年間/1334-1336年
創建
不詳
康永2年/1343年
結城七社になる
結城直朝により当社が結城七社に定められる
天保元年/1830年
社殿再建
結城藩の命により社殿再建
明治元年?/1868年
合祀
文政5年(1822年)に炎上した高椅たかはし神社を合祀
大正14年/1925年
社号標建立

ご祭神は底筒男そこつつのお中筒男なかつつのお表筒男うわつつのおです。伊弉諾命の禊で生まれた水神で『住吉三神』と呼ばれています。

また、合祀した高椅神社のご祭神である天万栲千幡比売あめよろずたくはたちはたひめ建葉槌雄たけはずちおも祀っています。こちらはほとんど知られていないと思いますが、いずれも機織や織物の神とされています。

住吉神社の社殿

住吉神社の社殿

高崎神社は結城七社のひとつなのですが、それとは別の高椅神社が合祀されています。同じ社号なのにご祭神が違うのにはどういう意味があるのか気になるところですね。

境内社の大神宮

境内社の大神宮

当社は明治以前に住吉大明神と称していましたので、おそらく本営から勧請して創建したのでしょう。結城直朝は関城の攻略を祈願するために結城七社を定めたといいます。当社が七社に選ばれたのは、住吉三神が神功皇后の三韓征伐を助けた軍神であるせいかも。。

wata

神仏習合の時代は境内に神宮寺がありました。現在、境内東側にある大神宮にあたるそうです。

御朱印

住吉神社の御朱印

住吉神社の御朱印

アクセス

駐車場は境内の西側にありますが、すぐ東側にある観光協会の駐車場の方がわかりやすいです。

また、御朱印のいただける蛭児神社に行くなら観光協会の方が多少近いのでオススメです♪

名称 住吉神社
住所 茨城県結城市結城(西の宮)1411
駐車場 あり

蛭児神社|結城

蛭児神社の鳥居

蛭児神社の鳥居

えびす神社の愛称を持つ結城の蛭児ひるこ神社

由緒についてはほとんどなにもわかっていません。茨城県神社誌を見てわかるのは昭和27年に宗教法人になっていることくらい。

蛭児神社の社殿

蛭児神社の社殿

ご祭神は事代主ことしろぬしです。大国主命の子どもで「国譲り」のときに釣りをしていたちょっと変わった神様です。

社号の「蛭児」は伊弉諾と伊邪那美の間に初めて生まれた子どものことです。蛭児と事代主命は根本的に異なるのですが、両者は七福神の「えびす様」と習合している点で共通しています。

ということは、もともとは蛭児神社ではなく「えびす神社」として親しまれていたのかもしれませんね。それだと神道ではないので宗教法人として登録しにくそうですが。だから蛭児?

当社の例祭は1月20日。式内社の高椅神社(小山市)の太々神楽を奉納するそうです。なにゆえ離れた神社の神楽を奉納するのか。。高椅神社について調べてみると蛭子神社のことがわかるのかもしれませんよ!

蛭児神社の扁額

蛭児神社の扁額

扁額にあるのは「寿亀山」でしょうか。これは同市内の弘経寺の山号。。むむっ!

御朱印

蛭児神社の御朱印

蛭児神社の御朱印

アクセス

駐車場がありませんので、結城市観光協会か健田須賀神社の駐車場に停めて歩くのがよいかと思います。

名称 蛭児神社(えびす神社)
住所 茨城県結城市結城(戸野町)1174
駐車場 なし

五助稲荷神社|五助

五助稲荷神社の鳥居

五助稲荷神社の鳥居

由緒

不詳
創建
明治6年/1873年
村社列格
昭和5年/1930年
鳥居建立

ご祭神は倉稲魂うかのみたまです。稲荷神社ではお馴染みですね。

五助稲荷神社の社殿

五助稲荷神社の社殿

愛称の「五助稲荷」の五助は鎮座地に由来。結城市の公式サイトよると当地は江戸時代に鉄砲馬場跡、大正時代になると草競馬が行われていたとか。

神紋の宝珠

神紋の宝珠

結城百選に数えられている赤い鳥居は無くなっていました。ちょっと残念。見どころは。。社殿の屋根に見えるこの神紋でしょうか。

わたしも詳しい由来はわかりませんが、稲荷神社特有の「宝珠」です。興味深いことに宝珠は豊川稲荷系の荼枳尼天も持っています。神道、仏教に共通する宝なのでしょう。

御朱印

五助稲荷神社の御朱印

五助稲荷神社の御朱印

アクセス

最寄り駅は水戸線の結城駅。車で7分程(3km)かかりますので、基本的には車で参拝になるかと思います。

駐車場スペースは社殿のすぐ隣にあります。数台であれば駐車可能です。

名称 (五助)稲荷神社
住所 茨城県結城市五助99
駐車場 あり

雪光稲荷神社|結城

雪光稲荷神社の鳥居

雪光稲荷神社の鳥居

由緒

永正年間/1504-1521年
創建
いなごの大量発生により稲が大きな被害を受ける。困った農民が孝顕寺の雪光に懇願し稲荷社を創建
平成17年/2005年
社殿焼失および再建
不審火により社殿焼失。その後再建
平成23年/2011年
鳥居再建

ご祭神は宇迦之御魂うかのみたま神(倉稲魂神)です。

雪光稲荷神社の社号標

雪光稲荷神社の社号標

社号の雪光は孝顕寺のご住職の名前に由来するとのこと。神仏習合の時代とはいえ、僧侶の勧請は個人的にはあまり聞いたことがありません。でも。。結城ではすごく多かったかのかもしれません。

雪光稲荷神社の社殿

雪光稲荷神社の社殿

この記事を書くにあたって結城の神社を調べたら中心地にやたら稲荷社が集まっているのです。なんと「結城市結城」の住所に七社もありました。

明らかに異常な密度です。創建の経緯が不明なものばかりなのですが、なにか特殊な事情がある気がします。ここは古くから賑わっていたと思いますので、調べればなにかわかりそうなのですが。。

御朱印

雪光稲荷神社の御朱印

雪光稲荷神社の御朱印

アクセス

水戸線の結城駅から徒歩5分ほど。

町中に鎮座しており駐車場はありませんが、駅前の市民情報センター(茨城県結城市国府町一丁目1番地1)に駐車可能です。1時間200円ですが。。図書館に立ち寄れば3時間まで無料です。(実際には立ち寄らなくても無料と思われる)

名称 (雪光)稲荷神社
住所 茨城県結城市結城562
駐車場 なし

市杵島神社|結城

市杵島神社の鳥居

市杵島神社の鳥居

市杵島いちきしま神社辯天べんてんさま」として親しまれている神社。こちらも由緒はあまりわからないのですが、社伝によると天正19年(1591年)の創建とされています。

天正の元号は織田信長の意図を朝廷が反映させたもので、「天に代わり世を正す」の意味です。信長は戦国時代を終わらせようとしていたんですね。当社創建の頃、信長はこの世にいませんが。。

弁天池と社殿

弁天池と社殿

ご祭神は市杵島姫いちきしまひめです。宗像三神の一柱として数えられ、神仏習合の時代は七福神の弁才天(辯才天と同じ)と同一視されていました。

一般的に弁才天(略して弁天)といえば芸能や金運の女神とされていますが、じつは軍神の神格があります。

ヒンドゥー教のブラフマー(梵天)を夫とする河の神サラスバティーが天部として仏教に取り込まれたのが弁天です。ブラフマーは言語を生み出した神なので妻のサラスバティーも弁が達者なのです。そして弁が達者ということは、それだけ頭がよくて戦が上手いと考えられていました。

弁才天とは「弁活の才能を持つ天部」という意味です。才は財と音が同じことから弁財天とも呼ばれ、祈願すると儲かるなんて言われます。

戦国時代の弁才天は江戸時代の弁財天とは少し違った存在だったと思うんですよね〜

wata

サンスクリット語を「梵語」と呼ぶのは梵天が創った言語だからです。お嫁さんの弁天はもちろんそれを自在に操るのです!

御朱印

市杵島神社の御朱印

市杵島神社の御朱印

アクセス

こちらも専用の駐車場はありません。雪光稲荷と同様に市民情報センター(茨城県結城市国府町一丁目1番地1)の駐車場を利用するのがよいかと思います。

名称 市杵島神社
住所 茨城県結城市結城484
駐車場 なし

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA