関東最古の水神様を祀る蛟蝄神社〜例大祭(利根町)

蛟蝄神社をフリガナ無しで読めるのでしょうか?読めたらただものじゃないです。
正解はこうもう神社。

ユニークなのは名前だけじゃありません。まつっている神様や神社の伝説なども奥が深くて面白い!

じつは大ヒット映画『君の名は。』にも関係があります。作品に登場する鳥居は蛟蝄神社の鳥居をモチーフにしているんです。蛟蝄神社のTwitterから引用します。

今回は蛟蝄神社と神社の例大祭をご紹介します。歴史が深くてたくさんの情報がありますので、かいついまんで書きます。さらに詳しく知りたい方は、利根町にお住まいのタヌポンさんのサイトへどうぞ。圧倒的な情報量です!

参考 検索:蛟蝄神社タヌポンの利根ぽんぽ行

蛟蝄神社とは

蛟蝄神社のはじまりは約2300年前と云われています。現在の門の宮のある場所に水の神様(水神)罔象女ミヅハノメ大神を祀りました。『門の宮』は珍しい言葉ですよね。正しい意味はわかりませんが、蛟蝄神社には門の宮と奥の宮の2つの社殿があります。

だれもが感じる疑問に答えておきます。「どうやって2300年前のことがわかったの?」「それは蛟蝄神社由来記に書いてあるから!」

蛟蝄神社由来記は1968年に発刊。明治100年に当たる年を記念して神社の奉賛会が作ったんです。事実関係を証明するものではありませんが、神社ではそのように伝えています。

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蛟蝄神社のもっとも古い公的な記録は927年に編纂された延喜式神名帳えんぎしき じんみょうちょうにあります。少なく見積もっても1000年以上の歴史!
MEMO
神名帳には正式名蛟蝄みつち神社とあります

こうもう?みつち?とは

蛟蝄は「こうもう」とも「みつち」とも読みます。どんな意味でしょうか。多くの説がありますが、水に関係する龍のこと。中国にも同じ名前の龍がいます。神社に名付けられた理由を公式サイトから引用します。

「みつち=こうもう」の名に由来は諸説ありますが、はるか昔この辺りが海であったころの大地の形が蛟(みつち=伝説上の龍)に似ていたためといわれております。境内の石碑に龍神様の姿をご覧いただけます
社名について/蛟蝄神社公式サイト

龍の画は奥の院の天井にもあります。日本画家の藤田飛鳥さんの作品♬カラーでとても立派なので見応え充分!神社にお越しの際にはぜひ!

門の宮

門の宮の見どころは、なんといっても鳥居でしょう。どっしりと落ち着いていて、色合いも素敵です。

門の宮の鳥居

鳥居が映画『君の名は。』と関わったきっかけは、取手市在住の日本画家四宮義俊しのみや よしとしさんです。神社のTwitterによれば、作品の回想シーンを手がけていた四宮さんが参考程度に出した絵コンテが採用されたとか。

四宮さんは利根町のおとなり取手市在住なので、蛟蝄神社のことをご存知だったのでしょう。ご本人も回想シーンは利根町をイメージしたと取手市の広報誌でコメントしています。

門の宮の社殿

門の宮は蛟蝄神社はじまりの場所。紀元前288年に水神を祀りはじめ、698年に土神(埴山姫はにやまひめ大神)も祀りました。そのあと水害や民家が多いことを理由にいまの奥の宮の場所に移されることになりました。(年代不明)

ところが、近隣の信仰のある方々(氏子)の願いによって神様の御霊を分祀することになったのです。つまり、2ヶ所で祀ることになりました。

社殿は1598年に布川藩の藩主松平信一まつだいら のぶかずが建てた記録があります。(布川はいまの利根町の中心地)そしてちょうど100年が過ぎた1698年に再建。いまの社殿は300年ほど経っているということですね。修繕はされていると思いますが、非常に歴史的な建物です。

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境内の立て札によると神社周辺は貝塚(立木貝塚)。さらに土偶などの遺物がたくさん発見されています。土偶は全国でも有数の出土数とのことで意外な注目ポイントです
MEMO
松平信一は布川藩主のあとに初代土浦藩主

名称 蛟蝄神社(門の宮)
住所 茨城県北相馬郡利根町立木2184
駐車場 あり

奥の宮

奥の宮境内

門の宮から15分ほど歩いた場所にある奥の宮。水害を避けるためにできたので小高い場所です。車で行くとすれ違うことが不可能な急斜面がありますので、心配なら門の宮に駐車して歩きましょう。わたしはいつも対向車が来たらどうしようとハラハラしながら行きます。。

奥の宮社殿

2016年に建て替えが完了したばかりなのでピカピカの社殿!工事はご鎮座2300年の記念事業でした。利根町の方々を中心にたくさんの支援があったんですね!

社務所は奥の宮にあります。御朱印帳をいただく場合はこちら。

社務所ではうまく行く守りを販売。境内のポスターが面白いのでご覧ください。馬と9つのひづめで「うまく行く」!

うまく行く守り

どうしてお守りに馬が登場するのかわかりますね。
もうひとつ面白いことをポスターから引用します。

日本尊やまとたける命が東征の際に蛟蝄神社で祈願したという言い伝えが残っております。文馬かざりうま(綺麗に装飾した馬)を木に繋いだということから「たずなを木につなぐ→たづなぎ→立木たちぎ」という地名が生まれ「文馬→文間もんま」になったと云われています。

日本武尊の馬が地名の由来です。神社とはいまも深く関わっています。社殿の左手にある絵馬を見てみます。

蛟蝄神社の絵馬

門の宮にある神馬しんめが絵馬になっています。タヌポンさんのサイトによれば、神馬図は1966年(昭和41年)に本画家の田中路人さんが描きました。むかしはこの地で競馬も行われていたとか。。

この神馬。蛟蝄神社の例大祭とも深〜い関係があるんです。

店名 蛟蝄神社(奥の宮)
住所 茨城県北相馬郡利根町立木882
駐車場 あり
Webサイト 公式サイト

御朱印

蛟蝄神社の御朱印

蛟蝄神社の御朱印

蛟蝄神社の御朱印です。初穂料は300円。他にない圧倒的な力強さですね!

蛟蝄神社はお守りなども神社ならではの工夫がされています。土地柄や歴史も楽しめますので、参道の授与所は目を通してみてください。

例大祭(ばかまち)

2017年11月2日(木)。蛟蝄神社で例大祭がありました。なんと夜の10時スタート。興味津々だったので、ガッツで見学!

例大祭のばかまちは馬鹿待ちと書きます。古くは蛟蝄神社の神馬と鹿島神宮の神鹿が出会う場だったそうです。それぞれの地の男女が出会う嬥歌かがいの場でもあったとか。

例大祭

おおまかな流れとしては以下です。

例大祭の流れ
  1. 2つの社殿で神様のお衣替え
  2. 湯立ゆだて神事
  3. 御衣焚みそたき神事
  4. 直会(お神酒をいただく)

聞きなれない言葉が続きますよね。ざっくり説明します。

お衣替えは神様の服を新しいものに取り替えることです。それを御衣焚き神事で炊き上げます。湯立て神事は無病息災を祈る神事。なにをしたかを言葉で説明するのは難しいので、写真でご説明します。(一部をのぞいて撮影OKでした)

例大祭は奥の宮ではじまります。小雨がちらついていましたが、水神を祀る神社ですからね。むしろ歓迎されている気分です。

境内には30人ほどいらっしゃいました。若い方もいましたよ。非常に歴史のある神事ですが、和気あいあいとした雰囲気です。

火おこし

神事で使う火を起こすことからはじまりました。例年とは違うそうです。ただ、今回、残念ながら火はつきませんでした。雨が降っていたので厳しかったですね。

例大祭祝詞

続いて社殿で祝詞があげられました。祝詞の中では蛟蝄神社を「みつちのかむやしろ」と言っています。それが終わると松明をもって門の宮に向かいます。かっこいいです!

例大祭のお衣替え4

例大祭のお衣替え3

例大祭のお衣替え2

例大祭のお衣替え1

奥の宮と同じように祝詞があげられます。時間が遅いので神社も周辺もほとんど明かりがありません。静かに祝詞を聞いていると不思議な気持ちになります。終わると奥の宮に戻ります。

湯立て神事

湯立て神事1

湯立て神事2

奥の宮の湯立て神事です。無病息災を祈って行います。信じではグツグツお湯を煮立たせて、その中に榊(?)を入れてから一気に振り払っていました。かなり迫力があります!

神事を間近で見るのは貴重な体験です。宮司さんの身のこなしなど、すべてに注目です!

御衣焚き神事

湯立て神事の後に御衣焚き神事があります。お衣替えをした神様の着物を炊き上げます。

御衣焚き神事

燃やしているのはかや真菰まこも。数名で運ぶ量なので、かなり豪快な炎が。。ほとんど火柱!

この日は燃え尽きる直前に強い雨が降ってきて、しっかり炎の始末をしてくれました。歓迎の雨にはじまり、感謝の雨に終わったような神事でした。

まとめ

蛟蝄神社は長い歴史があります。それだけに情報が多く、伝えるのが難しいと感じました。最後に覚えておいて欲しいことを3つあげます!

  1. 2300年の歴史!関東でもっとも古くから水の神を祀っている!
  2. 日本武尊もやってきた!一緒にいた馬が地名の由来!
  3. 神社の鳥居は『君の名は。』にモチーフとして採用!

どれも蛟蝄神社とわかる特徴です。って、本当にスゴイことばかりですよね!

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