根本女化稲荷神社〜もうひとつの女化神社|稲敷市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

女化神社といえば龍ヶ崎市。ところが、他にいくつもあることがわかりました。

神様を分けること(分祀)は珍しくありませんが、この神社に限っては多くの方が興味を持つことでしょう。女化神社の由緒には人間に恩返しをした狐の伝説があります。地域性のある神社ですが、なぜ別の地域にもあるのか。

調べてみたら面白いことがわかりました。この記事では稲敷市と千葉県の女化神社についてご紹介します。龍ケ崎市の神社をご存じない場合は以下の記事をご覧ください。

【キツネの恩返し伝説】女化神社と奥の院|由緒・飛び地の理由・御朱印|龍ケ崎市

各地の女化神社

女化神社が龍ケ崎の他にあるなんて考えたことありませんでした。調べるきっかけは鹿嶋市地域おこし協力隊ユウナさんのブログです。

タイトルはズバリ『女化稲荷神社って知ってますか?』。知っていますが、まさか鹿嶋市にあるとは。。

鹿嶋の神社についてはまだわかりませんが、Googleマップにはたしかにその名が!しかも鹿島神宮と同じ宮中。

早速、Twitterで情報を募集。


すると、県内にお住みのかしだしバンチョー@outfield_f)さんから有力な情報をいただきました。

それによると龍ケ崎市の図書館にある『女化』という図書に『銚子(千葉県)では不漁の際、海に女化神社のお札を巻いて豊漁に・・・』と書かれていたとのこと。

今度は千葉へ!一体どんな関係があるのか。「もしかして千葉にはもっとある?」と思って、調べてみたら本当に出てきました。千葉市、富里市、八街市です。

龍ケ崎市立図書館

すべては『女化』にあるかと思いましたので龍ケ崎市立中央図書館へ。しっかり謎を解いてきましたよ〜!

wata

『女化』を実際に読みたい方、事前に図書館で貸出状況を確認しておきましょう。Webサイトからできますよ!

千葉県の女化神社

なぜ、千葉県に女化神社があるのか。謎を解く鍵は『女化』にありました。以下に抜粋します。

八街は初代神官青木又氏が女化に入る前に一時その地に住んでいたことがある関係で、分社がいくつかあって、その御分霊の講中の人たちが初午の前日に到着、額を奉納して宵祭りをしたという。また銚子では、昔不漁の時、女化稲荷のお札を海にまいたところ豊漁になり、それ以来参拝が続いているとか、
初午の祭礼/女化 p30

ズバリ書いてありますね!ちなみに、初午はつうまの祭礼はいまも続けられています。

MEMO

初午の祭礼は五穀豊穣のため山の神を招く行事。京都伏見の祭神・宇迦之御魂神うかのみたまのかみが稲荷山にはじめてやってきたのが、2月はじめの午の日だったことに由来。

八街と千葉には昔から講中があって富里市については八街と女化の間に位置している関係で広まったのかなと思います。銚子については・・・ミステリー!偶然のことかも。

千葉の女化神社についてはある程度スッキリしました。続いてこの記事のメイン。稲敷市の女化神社をご紹介します。

wata

明治・大正時代の初午の祭礼は2万人もの参拝者がきたそうです。東京の芸者もやってきたというのは面白いですね。商売繁盛でしょうか。

根本女化稲荷神社

女化神社の狐の伝説はたくさんの説があるんです。わかるタイトルだけ記述してみます。

女化の狐伝説
  1. 東国戦記(原本が現存しない)
  2. 常総戦記(同上)
  3. 東国闘戦見聞私記(明治40年刊)
  4. 東国闘戦記実録(明治41年刊)
  5. 利根川図志/著:赤松宗旦(安政2年刊)
  6. 女化原夢物語(文久3年刊)
  7. 稲敷郡志/著:野口如月(大正5年刊)
  8. 常州女化稲荷大明神縁起(発刊年不明)

※漢字は現代のものに置き換えています

この他に女化神社発行の女化稲荷縁起があります。どれも似たりよったりなのですが、わたし自身はほとんど原文を読んだことがありません。

『女化』は、それぞれの特徴を簡単に紹介しているのですが、興味深いのは常州女化稲荷大明神縁起。こちらは龍ケ崎市の野口家に伝わる37枚にも及ぶ文書。そこには他の伝説とは異なる内容があります。

要約すると、狐が嫁いだ忠五郎(伝説によっては忠七)の先祖・大徳忠右衛門は大徳村(いまの龍ケ崎市)に住んでいました。しかし、何度も水害にあったことで忠五郎の父親の代に根本村(いまの稲敷市)に移住。

根本村では他の伝説にあるような狐との出会いと別れがあって、忠五郎の子である栗林義長が根本村に神社を建立。義長の子孫ではないと思いますが、大徳忠右衛門の子孫がその神社で神官を務めたそうです。

つまり、なにが言いたいかといいますと、栗林義長が建てた女化神社は龍ケ崎ではなく稲敷ということです!!

wata

・・・衝撃的。でも、たしかに他の伝説を読んでも忠五郎は根本村にいたんですよね。根本村に神社があっても不思議ではありません。

根本村の女化神社は実在します。いろいろ説明が必要なのですが、とりあえずいまの様子をご覧ください。

根本女化稲荷神社

根本女化稲荷神社の社殿

境内は雑草が生い茂り荒れています。念の為、扁額を確認しましたが間違いありません。

根本女化稲荷神社の扁額

近所の方(70歳くらい)に話を聞いてみましたが、しばらく前から宮司が不在とのこと。残念です。また、幼い頃に両親から龍ケ崎と同じような伝説を聞いたそうです。ただ、いまでは詳しい人が少なく、自分の両親たちの世代くらいまでしかわからないのではとも。

根本女化稲荷神社境内の稲荷像

由緒ある神社なので残念ですが、確認できたのはここまで。こちらの神社の名称からすると、龍ケ崎の神社と関係があって、尚且あとに建てられたと考えられますが。。。

もし、なにかご存知の方はご一報をお願いいたします。

アクセス

名称根本女化稲荷神社
住所茨城県稲敷市上根本3370
駐車場なし

まとめ

女化神社は龍ケ崎市の他に稲敷市や千葉県にもあります。

千葉エリアは明治以降に広まりましたが、稲敷の根本女化稲荷神社については不明。

多くの伝説(異説)のある神社で人々の信仰心のあつさと好奇心の強さを感じます。

参考文献

女化/編:女化開拓史刊行委員会