ムラのピンチを踊りで救った大宮神社の伝説(美浦村)

雨乞いの伝説は全国にみられます。むかしは食べ物が少なかったので日照りは死活問題。救われた喜びが大きいせいか、お話には雷神や龍神、弘法大師などの大物が登場。。

雨乞いの伝説はこのブログでもいくつもご紹介しましたが、今回は一風変わって『太陽乞い』をご紹介。(こんな言葉はありませんが)

「メンタルに効く」お話です。くじけそうなときに思い出してくださいね。

大宮神社とは

伝説の舞台は美浦村の大宮神社。この神社の場所を一言で説明すると陸平貝塚おかだいらかいづか公園の奥。周囲を貝塚とゴルフ場(美浦ゴルフ倶楽部)で囲まれています。

大宮神社の航空写真

大宮神社の航空写真

赤い点が大宮神社です。航空写真を見ると一目瞭然ですよね。たどり着くのが大変そうです。足を運ぶ際には後ほど掲載する地図をご参考に。

大宮神社へ続く並木

大宮神社へ続く並木

神社は貝塚の道路を突っ切った先です。美浦村文化財センターから続く一本道なのでセンターまでこれたら大丈夫でしょう。そして、貝塚の並木を過ぎると。。

大宮神社の鳥居

大宮神社の鳥居

大宮神社に到着です。あいにくの天気ですが、このあとのお話にふさわしいですね。

社殿は近年建て替えられましたので、若々しい色をしています。神社についておさらいしておきましょう。境内の案内板から抜粋します。

大宮神社の概要
  1. 大宮神社は旧信太庄安中あんじゅう二十四ヶ村の総鎮守
  2. ご祭神は天照皇大神あまてらすおおみかみ日本武尊やまとたけるのみこと天太玉命あまのふとだまのみことの三柱
  3. 西暦650年に創立、生田長者満盛いくた ちょうじゃ みつもりが氏神として創建したと伝えられる
MEMO
ご祭神は生田長者満盛によって伊勢神宮(案内板では伊勢大社)から分霊され祀られました。総鎮守になったのはその後の奈良時代。

神社に詳しい方でもわからないことがあったはず。代わりに突っ込みます。

「生田長者満盛って何者!?」

検索してもこの神社しか出てこないはず。わざわざ名前があるのはそれだけ重要だから。長者はなにをしたのか。神社とどんな関係なのか。気になる創建にまつわる伝説をご紹介します。

wata

名前に『長者』がつくって。。。意味はお金持ちでしょうか。御坊茶魔おぼう ちゃまを思い出しました。

民話『生田長者満盛と大宮神社』

大宮神社境内

大宮神社境内

ご紹介するお話は『ふるさと美浦の昔話』にあります。かなり貴重な本かも。美浦村文化財センターで販売しています♪

むかしむかし。いまより1,000年以上前のこと。古代から栄えていた安中あんじゅうの地に生田長者満盛いくた ちょうじゃ みつもりというムラおさがいました。

満盛はムラの人々に信頼される立派な長でした。力が強くて頭もいいのにいつも自分よりみんなのことを考えていたからです。豊かな台地と満盛のおかげでムラはいつも平和でした。

ところが、ある年の秋のこと。収穫の時期にもかかわらず、ムラにはずっと雨が降り続きました。田畑は水浸し、せっかく実った柿や栗も収穫することができません。家の食べ物や飲み水は少しずつ減っていき、ついには食べ物をめぐって争いが起きるようになりました。

この状況にもっとも苦しんでいたのは満盛でした。これまでムラのためにたくさんの知恵を出してきましたが、相手が自然ではどうしようもありません。満盛は自分の無力さを悲しみながら、止まない雨をぼうぜんと眺めていました。

そんなとき、満盛の家に一人の女性が訪ねてきました。満盛は雨に濡れた女性に驚きましたが、その美しい姿と優しい瞳を見るとすぐに気持ちが落ち着きました。

「そんなに悩まれてもいい知恵は浮かびませんよ」女性は家の外に出ると、歌いながら踊り始めました。

女性はひたすら笑顔で踊り続けました。歌も踊りも見事なものでしたが、満盛とムラの人々は戸惑うばかり。それでも踊り続ける女性を見ていると、満盛の心に変化があらわれました。

「わたしたちはこれまで自然によって生かされてきた。思いどおりにいかないのは残念だが、まずは自然の恵みに感謝しようじゃないか。そして明るくなろう。なにをするかはそのあとだ」

満盛は女性のとなりにかけより一緒に踊りだしました。それを見ていた人々も次々と踊りに参加していきました。

雨が降りしきる中、ムラ人たちは夜通し踊り続けました。すると、その気持ちが天に届いたのか、夜明け頃に雨は弱まり、少しずつ太陽の光が見えるようになりました。草木は天を仰ぐようになり、鳥や動物たちも姿をあらわしました。安中が元の美しい台地に戻り始めたのです。

ムラの中心で踊っていた女性はいつのまにかいなくなっていて、二度とその姿を見ることはありませんでした。満盛は女性の教えを忘れないため、この地に太陽の神である天照皇大神あまてらすおおみかみを祀ることにしました。それが大宮神社のはじまりだといいます。

努力ではどうしようもないときはどうしたら。。開き直るというと誤解がありますが、違うことに目を向けるのは大切です。つらいときに思い出したいお話ですね。

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生田長者満盛は文字通りの長者。しかもムラを大きく発展させるよい統治者でした。長雨のあと満盛はムラが食糧難にならぬよう蔵をたくさんつくって貯蔵しました。安中台地の西にある『蔵後』はその名残なんです。
MEMO
『生田長者満盛と大宮神社』は、村のイベント(陸平縄文ムラまつり)で寸劇となって披露されました。陸平通信の記事をご覧ください。

アクセス

名称 大宮神社
住所 茨城県稲敷郡美浦村土浦外十六大字入会字岡平1番地3
駐車場 あり

※一旦、美浦文化財センター(茨城県稲敷郡美浦村土浦2359)まで行き、そこから陸平貝塚へ進むと迷いにくいです。

まとめ

晴れの日の大宮神社

晴れの日の大宮神社

大宮神社のご祭神は、天照皇大神あまてらすおおみかみ日本武尊やまとたけるのみこと天太玉命あまのふとだまのみことの三神。

神社を創建したのは当時のムラ長。ムラ長は長雨に頭を悩ませていたところ、不思議な女性の踊りによって救われました。そのことがきっかけでムラは大きく発展したといいます。

大宮神社にまつわる民話は、苦しいときの心のあり方を伝えています。

おまけ:踊る女性の正体は?

伝説の踊り娘

伝説の踊り娘

いつのまにかいなくなっていた女性。正体はだれなんでしょうか。

正解はどこにもありませんが、この伝説が古事記の天岩戸神話に非常によく似ていることを考えると。。詳しくは天岩戸神社の公式サイトをご覧ください。

『大宮』とつく神様に大宮売神おおみやのめのかみがいます。古語拾遺こごしゅういでは大宮神社のご祭神である天太玉命の子どもとして登場するのですが、ある神様の別名ともいわれます。この辺の関係も興味深いところ。

ところで、天岩戸神話をモチーフにしたステキな音楽があります。もちろん、今回ご紹介した伝説ともリンクしますので、ぜひご覧ください。Youtubeで800万回再生された超人気作品です!聞けば明るく楽しい気持ちになります♪


ふるさと美浦の昔話/編:美浦村史編さん委員会

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