2月17日(水)『うなぎ地蔵』(城里町)の記事を公開しました。次回更新は2月21日(水)の予定です。

陰陽師・安倍晴明が生まれた地!?茨城県の西★明野で晴明伝説を調査してきました!(筑西市)

安倍晴明伝説アイキャッチ

たまには突飛なネタをやります!筑西市に残る安倍晴明あべのせいめいの伝説です。
安倍晴明は平安時代に実在した人物です。現代でいう天文学博士で、当時の科学や呪術に精通していました。

でも、世間的には不思議な術や占いができる陰陽師おんみょうじとして知られています。2001年に野村萬斎さんが主演した映画『陰陽師』のイメージが強いのではないでしょうか。最近では、フィギュアスケートの羽生結弦はにゅう ゆずる
選手がプログラムで『陰陽師』の音楽を使用したことで話題になりました。ゲームやマンガなどにもよく登場しますので、若い世代にも知られている人物です。

その人物が茨城と関係あるなら、かなり楽しいことなのですが・・・とりあえず、調べられる限りのことをやってきました。他に情報あったら、ぜひご一報をお願いします。

安倍晴明伝説とは

そもそも、なぜわたしが安倍晴明伝説を知ったのかをお伝えします。きっかけは昭和書院から発売された『茨城の伝説』という本です。この本は茨城新聞社が編集しました。そこまではわかるのですが、実際にだれが『伝説』を書いたのかはわかりません・・・内容は以下の様なものです。

昔、旧明野町のあたりに猫島村本田という村があった。そこに安倍晴明が住んでいたという伝説がある。

晴明は安倍仲麻呂の子孫で天文学博士。母は絶世の美女で信太姫と名乗っていた。晴明を産んでからは葛葉くずのはといったが、晴明が三歳のときに一首の和歌を残して去っている。どんな歌を読んだか、どうした去ったのか、その辺の消息はわからない。しかし、猫島村には葛葉稲荷があるから、なにかはあったと思われる。

葛葉が去った時期に吉備真備きびの まきびが筑波山麓に来ている。吉備は晴明と出会い陰陽に関する大切な書を渡した。それから晴明は鹿島神社や日光山などを参拝して書の研究を進めていった。そして、ついには日本一の学者と認められるほどになった。それから京都に渡り、さらに活躍の幅を広げていった。

うーん、自分でもなにを書いているのかよくわかりません。明らかに情報が不足していて、話の筋がわかりませんよね。

父親がわからないのになぜ安倍仲麻呂の子孫とわかるのか。葛葉はなぜ晴明を残して去ったのか。吉備はなぜ晴明に特別なはからいをしたのか。葛葉稲荷については”茨城”で存在が確認できません。でも、大阪には実在していて、そこには本とそっくりな伝説があります。詳しくは神社のWebサイトでご確認ください。

大阪と茨城、遠く離れた場所にまったく同じ伝説があるのは。。。なぜ??これ以上わからなかったので、伝説に登場する地・旧明野町(筑西市)を訪ねました。

宮山ふるさとふれあい公園

筑西市のWebサイトを調べると、安倍晴明にゆかりのある2つの地を紹介していました。(市役所が公認する伝説なんですね)宮山ふるさとふれあい公園と晴明橋公園です。まずは資料の展示がある、ふれあい公園を訪ねました。

宮山公園の看板が郷土の偉人を紹介

公園の看板です。筑西市ゆかりの先人として3人が紹介されています。平国香たいらのくにか岡田寒泉おかだかんせん、そして安倍晴明です。安倍晴明は、文化のまちづくりに貢献したとあります。

展望台外観

安倍晴明ゆかりの歌碑

安倍晴明の資料があるのは、展望台の中です。展望台の前には立派な石碑がありました。晴明に関する事柄です。となりの立て札を全文引用します。

「恋しくば…」歌の由来
平安期の陰陽師、安倍晴明は実在の人物だが、その生涯には謎が多い。晴明出生の伝承では、母は和泉国信太いずみのくにしのたの森(大阪府)の白狐。ある日遊女姿で旅に出た白狐は、常陸国ひたちのくに筑波山麓猫島(筑西市猫島)に三年間滞在した。この地で安倍(阿部)仲麻呂(あべのなかまろ)の子孫と出逢い恋に落ちた。
やがて童子(晴明)が生まれた。ある時、童子に狐の寝姿を見られてしまった母は、「恋しくば…」の歌を残してこの地を去った。

  恋しくば 尋ねきて見よ 和泉なる
  信太の森の うらみ 葛(くず)の葉

神童と呼ばれた童子は都に上り、晴明と名乗り陰陽の道を学んでいた。が、母恋しさのあまり、信太の森を訪ね母と再会する。
この時、母が信太大明神の化身であった事を知った。簠簋抄ほきしょう(慶長年間成立)には、晴明の筑西市出生が明記されており、後の様々な晴明伝の原点となっている。「恋しくば…」の歌は、晴明の前半生を語る枕詞でもある。 
 筑西市

謎がいくつか解けました。葛葉は白キツネの化身。もともとは大阪にいて、茨城へ旅した際に晴明の父と出会いました。晴明が生まれてからの三人の関係はわかりませんが、一緒には暮らしていなかったのでしょう。それからのある日、葛葉は油断してしまい正体がキツネであることを晴明に知られてしまった。そして、一緒にいられなくなり歌を残して去っていった・・・それでも母を恋しく想う晴明は一度だけ母と再会して、すべてを知るわけです。壮大なストーリーですね!

それでは、展望台へ入ります。

陰陽師の解説2

陰陽師の解説

いかにもな展示品が並びます!気になるものから、晴明伝説に関するものをピックアップします。

晴明伝記の版木はんぎ

ズバリ!この地域に安倍晴明がいたとされる根拠として、もっとも重要な史料です。明野町猫島の高松家に残されていたもので、晴明に関する事柄が書かれています。書かれた年は定かでありませんが、1711年頃と推定されるそうです。版木は、現在の猫島は安倍晴明の故郷、という書き出しから始まっていて、晴明や晴明の祖先のことなどが書かれています。

晴明ゆかりのお宮

この版木を所有する高松家ですが、版木以外にもゆかりがあります。高松家の敷地内にはお宮がありまして、そこに祀られているのは大臣 安倍仲麻呂あべの なかまろ 公です。晴明の祖先とされていて遣唐使でした。(渡った唐で亡くなっている)

また、同じお宮に和泉国 信太大明神も祀られています。祭神は晴明の母とされる信太姫(葛葉姫)です。いずれも晴明ゆかりの人物で、古くから信仰されています。とっても興味があるのですが、残念ながら個人のお家のものなので参拝は叶いません。

簠簋抄ほきしょうについて

安倍晴明の出生の地が旧明野町のあたり、というのは簠簋抄に書いてあります。でも、簠簋抄には不明なことが非常に多い。

MEMO
もともと簠簋ほきという書があって、それは晴明が編纂したと言われています。それをわかりやすく書き直したのが簠簋抄ほきしょう。しかし、そもそも簠簋ほきは晴明の死後に書かれたものなので、それを読みやすくしたといっても信憑性はかなり低い。それに簠簋抄ほきしょうは著者も不明です。

簠簋抄の内容が世間に広まっているのは、民俗学者の折口信夫おりぐち しのぶが紹介したからです。晴明の母がキツネの化身であること。晴明を産んだ後に正体がわかって和歌を残して去ったこと。その後、大阪で晴明と再会していることなどがそうです。この地に残る晴明伝説は、簠簋抄ほきしょうと高松家の版木が大半です。著者やつくられた時代がほとんどわからないので、晴明の出生地がココとするのは少々難しいですね。

展望台から公園を一望してから、公園の管理センターへ行きます。

展望台から見る宮山ふるさとふれあい公園

地元の方の意見

管理センター

天気がいいのに、雲行きが怪しくなってきた晴明伝説。地元の方はどう思っているのか、管理センターで尋ねてみました。

晴明伝説を知っている方はいるのですが、わりとクールな意見が多いですね。最近、フィギュアスケートの羽生結弦選手が『陰陽師』の音楽を使用したので、テレビ局が晴明の出生をいろいろと調べたそうです。それによって、関西方面で生まれた説が有力だとされたので、「たぶん、そう」という声がありました。

wata

ふ〜む、晴明を知っていても、歴史の事実関係まではあまり興味がないようです。普通はそうですね。。。

でも、くじけずに調査を続けます!

『宮山ふるさとふれあい公園』のアクセス

名称 宮山ふるさとふれあい公園
住所 〒300-4504 茨城県筑西市宮山504
Webサイト 筑西市役所
駐車場 あり

晴明橋公園

晴明橋公園の石碑

晴明橋公園の石碑です。石碑に書いてあるのは安倍晴明が明野ゆかりの人物であることです。おおむね、わたしが前記したものと同じです。となりの立て札には晴明橋の由来があります。

それによると、むかし、この地は湿地帯で雨が降ると近くの観音川が増水して水田が水浸しになってしまいました。それに心を痛めた晴明は、地形を利用して石橋をかけました。橋は川の水をしっかりと防いだので、災害の悩みから救われた村の人々は晴明にとても感謝したそうです。

橋は残っていませんが、その伝説にちなんでつくられた公園です。駐車場は5台ほど停められます。正直なことをいうと、とても小さな公園なので車でなんども通り過ぎてしまいました。でも、この地域に残るとても大切な伝説なので、いまなおこうしてあるのですね。

wata

わたしが訪ねたときは、地元の方がちょうど草刈りをしているところでした。晴明を訪ねてくる方のためにも手入れされているので、もし筑西にきたら足を伸ばして欲しいです♪

晴明伝説まとめ

というわけで、伝説めぐりがひと区切りです。ここまでわかったことをまとめます。

  1. 晴明伝説は古文書『簠簋抄ほきしょう』と高松家所有の『晴明伝記』にある
    でも、いずれも書いた人や時代がよくわかりません。一次資料を読んだ人がごく僅かで、その方の解釈が全国に広まっていると思われます
  2. 晴明伝説に似た伝説は全国にある
    大阪の葛葉稲荷神社や後述する女化神社にも似た伝説があります。助けた◯◯が恩返しに・・・という物語だと、鶴の恩返しや浦島太郎などの昔話もあります。この地の特別な物語、というわけではなさそうです。
  3. 筑西市は晴明伝説を楽しんでいる
    今回は伝説に関することだけ書きましたが、晴明の名はいろいろな場所で見れます。例えば、あけの元気館には温泉『晴明の湯』がありますし、明野の武道館は『晴明館』といいます。公園もあれば、町の歴史として紹介もしていますし、明野の方々をつなぐ絆のようなものです。歴史の話はおいといて、安倍晴明を町の暮らしに楽しく取り入れているのがいいですね!

晴明橋公園から見る筑波山

晴明橋公園から見る筑波山です。筑西市は”筑”波山の”西”の名前の通り、しっかりと筑波山の風景を楽しめます!最近では、ダイヤモンド筑波なんていうのもあります。

筑西市は伝説めぐりもいいですが、おいしいお米やキングポークなどの名産品、それにかつて都だった歴史なんかをめぐっても面白そうですね。今回は駆け足だったので、またのんびりと訪れることにします。

『晴明橋公園』のアクセス

名称 晴明橋公園
住所 〒300-4501 茨城県筑西市猫島762
駐車場 あり(約5台)

イラスト『神童・安倍晴明』

Illustration by Riccoplus

Riccoplusさんに描いていただいた幼少期の安倍晴明です。筑西市のパンフレットによると、晴明は6歳位まで猫島で過ごしました。この晴明は10代前半のイメージなので、猫島を離れて全国で修行中といったところです。賢くて親切な人柄が伝わってきます。

実在の人物としての晴明は、やっぱり関西出身でしょうか。でも、なにか理由があって茨城にも伝説があるのだと思います。とても賢かったり、特別な能力を持った子どもがいてもおかしくないので、これからもじっくり調べていきたいです!

雑記『晴明伝説』と『女化伝説』

伝説上の晴明の母親は白キツネです。紹介した物語では大阪からの旅の途中で晴明の父と出会いました。その大阪に残る伝説(葛葉稲荷神社)では、猟師から救ってもらった安倍保名に嫁いでいます。

この伝説を読んだとき、どこかで聞いたことが。。。と思ったのですが、やっと思い出しました。猟師から救われた白キツネが、助けた男に嫁ぐ物語は茨城にもあるんです。牛久市と龍ケ崎に残る『女化伝説』です。

女化神社アイキャッチ
茨城版!狐の恩返しの舞台 女化神社と奥の院(牛久市・龍ケ崎市)

しかも、最後は子どもと別れること、そのときに和歌を残していることなども同じです。う〜む、これは一体・・・。

晴明の母は信太姫という名前です。信太しのだは大阪の地名ですが、むかし、茨城にもありました。読み方は信太しだで、1300年も前からあるんです。いまでいうと土浦、牛久、稲敷、美浦あたりです。牛久が入っているので、やはり女化伝説との関係を意識してしまいますね。2つの伝説にはなにか関係があるのでしょうか?