古里の八幡神社|筑西市

この記事でわかること
  • 由緒とご祭神
  • 由緒が不明な理由を考察
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

筑西市の旧協和町地区に八幡という大字があります。読み方わかりますか?「はちまん」ではなく「やわた」です。間違いやすいですね。

でも、期待通りこの地には八幡神社が鎮座しています。文化財に指定された立派な社殿を持ち、今年から御朱印を頒布していますよ。

さて、そんな八幡の八幡神社ですが、じつはその由緒がほとんどわかりません!もうビックリするくらいに。というわけで今回は文書には残らない由緒をあれこれ考えながらご紹介いたします。ぜひ実際に参拝して探ってみましょ〜!

古里八幡神社とは

古里八幡神社

古里八幡神社

由緒

江戸時代
創建
不詳
安政3年/1856年
一の鳥居建立
文久2年/1862年
本殿建立
明治6年/1873年
村社列格
大正8年/1919年
旗立建立
昭和54年/1979年
文化財指定
関流算額絵馬が市の文化財に指定される
昭和55年/1980年
文化財指定
本殿が市の文化財に指定される
昭和59年/1984年
一の鳥居改修
平成12年/2000年
旗立再建
平成14年/2002年
桜8本奉納
平成21年/2009年
境内整備
本殿、幣殿、拝殿、神楽殿屋根塗装整備
※天皇陛下御在位20年、天皇皇后両陛下御大婚50年
令和2年/2020年
社号標建立

ご祭神は誉田別ほんだわけです。漢風諡号は応神天皇。八幡大神などとも呼ばれ、東大寺の仏像建立を助けたとされることから、仏教との関係が深い神様です。

上記の由緒は境内の石碑などから集めました。なんらかの理由で社伝が残っておらず、創建も含め明治以前のことはほとんど何もわかりません

ただ、それが逆に興味深いことでもあります。なぜなら旧古里村にあたる当社周辺には由緒が一切わからない神社が複数あるためです。よくわからないはともかく「一切」は少数です。

具体的には以下の神社です。(祭神と祭りの日くらいはわかる)

神社 祭神
桑山 桑山神社 大日霊貴命、木花咲耶姫命、天兒屋根命、別雷命
上星谷 鹿島神社 武甕槌命
下星谷 星谷神社 根裂命
八幡 八幡神社 誉田別命
清水 鹿島神社 経津主命
知行 神明社 大日霊貴命
谷永島 鹿島神社 武甕槌命
細田 香取神社 経津主命
十二所神社 天神七代、地神五代
下郷 龍神社 高龗神、闇龗命

旧古里村はこれらに当八幡神社を含めた十村十社によって構成されていました。つまり、旧古里村の神社の由緒はすべて不詳です。こんなことあるのでしょうか。

大きな寺院が複数の神社の別当を務めており、それが廃仏毀釈や火災などにより預かっていた社伝を失ったのかと思って調べてみたところ、どうやら違うようです。

以下は『新編常陸国誌』にあった各村の寺院です。

寺院 宗派 本末
桑山 神宮寺 真言宗 下谷貝密乗院末
桑山 福寿院 真言宗 本木楽法寺門末
上星谷 地蔵院 真言宗 下谷貝密乗院末
下星谷 成就院 真言宗 下谷貝密乗院末
八幡 宝蔵院 天台宗 桜井真徳寺門徒
清水 妙泉院 天台宗 桜井真徳寺門徒
知行 日英寺 法華宗
古郷 福蔵院 真言宗 小栗徳聖寺門徒
古郷 持明院 真言宗 源法寺玉泉院門徒

そこそこバラけていますね。この中で現存するのは神宮寺(桑山)のみです。なお、門徒は個人もしくは極めて少数の信徒なので基本的には現存しません。

それではどうして古里村の神社に社伝がないのか。謎は深まるばかりです。領主の影響でしょうか。

各神社はすべて江戸時代の創建とされています。同時代の領主は浅野氏(1606年〜)と旗本斎藤氏(1629年〜幕末)です。斎藤氏は寛永7年(1630年)から知行に陣屋を築いて支配していました。

浅野氏の支配は短期間ですから、この地域の神社は斎藤氏の影響によって創建された可能性が高いと思います。そして今ではその時代のことがほぼ分からなくなっているということですね。

wata

当社は斎藤氏の陣屋(知行)から東北に位置するので鬼門除けの意図があったのかもしれませんね

アクセス

最寄りICは北関東自動車道の桜川筑西IC。下りてから約10分ほど。境内北の県道152号側から入っていきます。

境内東の集会所

境内東の集会所

神社の駐車場ではありませんが、境内東の集会所らしき施設の前に停められますよ。

最寄り駅は水戸線の新治駅。駅から1.7kmほどなので、ちょっと頑張れば徒歩でも参拝も可能です。

名称 八幡神社
住所 茨城県筑西市八幡180
駐車場 あり

鳥居

一の鳥居と旗立

一の鳥居と旗立

八幡神社は謎の多い神社ですが、参拝自体は充分楽しめるかと思います。

こちらは一の鳥居。駐車場から100mほど歩いたところにあります。鳥居には再建前の建立年が彫られており、往年の時代のことを伝えているようです。

参道

参道

長い参道は八幡宮ならでは。やはり武士(源氏)の守護神としての意識からなのでしょうか。まったりと境内の雰囲気を楽しめますね。

二の鳥居

二の鳥居

二の鳥居の隣には令和になって建立された社号標と平成期に奉納された桜が並びます。こちらも近年になり少しずつ境内の整備が進められています。

手水舎

手水舎

氏子をはじめ信仰者のためかと思いますが、心地よい環境にしていただいていることに感謝ですね〜

神楽殿

神楽殿

神楽殿

社殿に向かう途中、左手にあるのは神楽殿。建物自体は古いと思いますが、平成21年に塗装されたのでとてもキレイ。

普段は扉を締めているようですね。開放されるとしたら次のお祭りの日かと思います。

1月1日…元旦祭
2月初卯…春祭(陪従)
8月15日…例祭(元は旧暦8月15日)
11月初卯…秋祭(陪従)

2月はおそらく八幡宮本営のご縁日に由来します。11月は新嘗祭に陪従(付き従う)するという意味なのでしょう。

「子の月卯の日」は皇室にとって特別な日取り。旧暦だった頃、新嘗祭と大嘗祭は子の月卯の日に始まり午の日に終わりました。深い話なので今回は省略。

子の月は11月のことなので11番目の月と考えられがちですが、十二支の子は1番目です。始め(一)と終わり(了)を合わせて子。じつは大きな区切りを意味するので祭りが必要になるわけです。

例祭は春祭の半年後なので本来(旧暦)はこちらが秋祭かと思います。祭りは偏りなく執り行うことが基本なので春祭の対になる形なのでしょう。

社殿

拝殿

拝殿

拝殿は朱色の屋根に入母屋造。後ほど紹介する本殿に揃えているのかもしれませんね。

社殿は真南を向いており、八幡神社らしい八幡神社です。南向きは北方(北極)に鎮座することを意味し、天皇大帝(北極星の神格化)を祀る社として相応しいとわたしは思います。

本殿

本殿

本殿は文化財に指定されているだけあって素晴らしいの一言。正直、これだけ立派な社殿がここにあろうとは誰も思わないのではないでしょうか。

東面の彫刻

西面の彫刻

北面の彫刻

北面の彫刻

東面の彫刻

西面の彫刻

北、東、西の面に精密な彫刻が施されています。おそらく中国の故事に由来すると思われるものの詳細は不明。ただ、西面は『二十四孝』の一人に数えられる楊香といわれています。

楊香は虎から父を守るために自らの身を投げ出して「親孝行」したということですが。。虎はその献身的な姿に恐れを抱いて逃げていく、が本来の物語。彫刻は見るからに大ピンチ。大丈夫か。

また、当社殿は当初からここに建てられたのではなく、真壁の街中にあった大政寺だいじょうじの鎮守社だったそう。少し離れたところから氏子によって遷され、その際に基礎というか土台の部分は移設しなかったそう。

つまり、本来の社殿はさらに高く立派だったということです。現在も立派なのにこれより大きいとは驚きですね!

御朱印

古里八幡神社の御朱印

古里八幡神社の御朱印

八幡神社の御朱印です。境内東に位置する宮司宅でいただけます。

御朱印の頒布を始めたのは2022年のお正月から。県神社庁の呼びかけに応じた形ですね。

初詣のポスターにあった謎の神社がひとつ解明できて嬉しかったです♪

まとめ

この記事のまとめ

  • 江戸時代の歴史は不明だが、旗本斎藤氏と関係がありそう
  • 立派な本殿は市指定文化財。元は別の神社の社殿といわれる
  • 御朱印は境内東の宮司宅でいただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社

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