五所神社の八竜神伝説|筑西市

この記事でわかること
  • 五所宮の五所神社の由緒
  • 五所神社に関わる八竜伝説について

雨が降るとイマイチな気分ですよね。でも、かつて人々の生活が農業中心だった頃はありがたいことでした。茨城の雨乞い伝説を知るたびに感じます。

以前書いた潮来市の竜神伝説が思いのほか好評だったので第二弾に挑戦。今回は一般的なものと違った点が多いです。あれ?と思うことを探してみてくださいね。

舞台は筑西市。合併前は下館市と呼ばれていました。五所ごしょ神社ゆかりの八竜神伝説をご紹介します。雨がとてもありがたく感じる内容です。

五所神社とは

社号標

社号標

五所神社。不思議な名前です。ご祭神が5柱ある、あるいは境内に神社が5つある場合も五所神社とされます。

五所神社社殿

五所神社社殿

神社のある住所は五所宮です。かつて五所村の一部でした。五所村は1954年に合併して下館町へ。下館町も合併によって下館市に。さらに合併して筑西市になりました。

住所の『五所』は神社に由来。神社のほうが古くからあることがわかりますね。神社の創建は江戸時代の前期(1670年頃)といわれ、同時代に建立された本殿は市の文化財に指定されています。

鳥居のそばの石碑にご祭神と境内社が書かれていました。ご祭神は武甕槌たけみかづち命、経津主ふつぬし命、天児屋根あめのこやね、そして比売ひめ。あれ?4柱しか書かれていません。。

wata

比売命(比売神が一般的)は女神という意味。神社によっては天照あまてらす大神だったり。比売命が2柱ということでしょうか。
北野天満宮

北野天満宮

境内社も5つ。日枝神社、八幡神社、熊野神社、天満神社、稲荷神社です。合わせて10柱が祀られているスゴイ神社!

民話『八竜神の雨乞い』

神社をおさらいしたので昔話をご紹介します。

その前に簡単な補足を。登場する山崎村というのは神社のある五所宮のすぐ南にあった村。いまは筑西市山崎という住所だけ残っています。

江戸時代のお話です。五所の山崎村はこのあたりでゆびおりの豊かな村で、たくさんのおだいじん(お金持ち)がいました。しかし、ある年、雨がまったく降らずに田んぼや畑がカラカラに乾いてしまいました。村人たちは、なんども寄り合いましたが、天気だけはどうしようもありません。

すると、年寄りが言いました。「五所明神の北の沼には、八つの頭を持つ八竜神はちりゅうじんがむかしからすんでいるというぞ。なんとかしてくれるのはきっと神様だけだ。みんなでお願いしてみようじゃねえか。」村人たちはそろって五所明神にお参りしてから沼に行くことにしました。

沼では村人たちが太鼓を鳴らしながら「八竜神さま〜、なんとかしてくだせえ〜」と祈り続けました。沼の底で眠っていた八竜神は、いつもよりも熱心な太鼓の音で目を覚ますと「村人たちが相当困っているようだ。助けてやりたいが、この沼の水では足りないな。どうしたらいいものか。」竜神は少し考えた後、ひらめきました。そして、沼から一気に飛び出すと、そのまま南の空へ飛んでいきました。

八竜神の向かった先は、いまの下妻市のあたりにあった大宝だいほう沼。竜神は沼にたくさんの水があるのを見つけると、八つの頭を突っ込みました。そして、お腹いっぱいに水を飲み込むと、重たいお腹を抱えて再び村へ飛び出していきました。しかし、大宝沼の守り神、大宝八幡だいほうはちまんさまはそれを見逃しませんでした。「おれの沼の水をからっぽになるほど盗んでいくとは許せないやつ。」八幡さまは得意の>弓矢を構えると、八竜神めがけて一の矢を放ちました。矢は正確に飛んでいき、八竜神の片方の耳を削ぎ落としました。

八竜神は矢におどろき、痛みに耐えながら村を目指して飛び続けました。そして、やっと思いでたどり着き、倒れ込むように田畑の上に水を吐き出しました。滝のような雨で田畑がよみがえり、村人たちはとても喜びました。しかし、大宝八幡さまは、まだ竜神を許していませんでした。二の矢を放つと、今度は尻尾を削ぎ落としました。竜神も応戦しようとしましたが八幡さまには敵いません。やがて力尽きて空から落ちてしまいました。

村人たちは竜神が立ち直るのではと必死に看病しましたが、残念ながら竜神が生き返ることはありませんでした。そこで「おれたちの村を救ってくれた八龍神さまをおまつりしよう」と、神社を建てて八竜神を祀ることにしました。このようなことから、いまでもこの土地では耳取みみとり川、耳取橋、竜尾橋たつのおのはしなどの名前の川や橋があって、竜神のありがたさを語りついでいるそうです。

イラスト『八竜神』

イラスト『八竜神』

というわけで、村人のピンチを救った八竜神のお話です。

wata

誤解で死んでしまったのが悲しいですね。。茨城には神様であっても命をかけて人々を救う物語が多いです。地域性があるのでしょうか

伝説の奇妙な部分

わたしがお話で奇妙に感じた点を簡単に整理します。

  1. 神VS神
    神話ならわかりますが民話で神同士の戦いは珍しい。
    しかもどちらも人と敵対していません。
    人が傍観しているだけの物語は不思議でさえあります。
  2. 竜神の死
    神が死ぬのも珍しいですが救いがなくて悲しい結末。
    民話としてありがちな人々を戒めるお話ではなく別の意図がありそうです。
  3. 八竜神
    8つの頭を持つ竜といえばヤマタノオロチ。
    でも他ではあまり耳にしません。
    もしや仏教を守護する八大龍王が正体?

村人たちがお金持ちという設定や固有名が多く出てくるのも特徴です。伝説が誕生した背景。。気になります!

ここでわたしの憶測を。龍、特に八竜は八大龍王を連想させ仏教に関係してそうです。一方、八幡さまは天皇の先祖と同一視される神様。仏教VS神道が背景にないでしょうか。

神社が創建された17世紀後半は水戸黄門(徳川光圀)が藩内で寺院の整理をしており仏教徒にとっては怖い存在でした。もちろん闇雲に整理せず調査してからなのですが。。

中には誤解によってなくなったお寺があるかもしれません。まるで八龍伝説のような結末ですよね。物語の下地になっていたりして。。真相はいかに!

ゆかりの川と橋は調べてみましたが、ぜんぜん見つかりませんでした。神社周辺には水田が広がっているので見つけるのは難しそうです。実存すればかなり面白いですよね。

wata

八龍神社は市内に2箇所あります。もうひとつはかなり小さいようで発見できていませんが、改めて調査してきます!
MEMO

大宝沼は明治から大正時代にかけて干拓されていまは田んぼになっています

水戸黄門が晩年を過ごした西山荘(常陸太田市)

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アクセス

名称五所神社
住所茨城県筑西市五所宮
駐車場あり

まとめ

この記事のまとめ

  • 五所神社は5つの神社、もしくはご祭神を祀る神社
  • 八竜は人々を助けようとしたが、誤解によって八幡さまに討たれた
  • 神々の戦いには当時の水戸藩の政策が関係しているかもしれない

参考文献

いばらきのむかし話/編:藤田稔
茨城県の民話/編:日本児童文学者協会

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