【高田権現】高田郷の総鎮守 高田神社(稲敷市)【北畠親房】

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ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

南北朝時代、常陸国(いまの茨城)に北畠親房がやってきたことは、茨城が日本史に影響した数少ない場面です。わずか一文ですが、歴史の教科書にも載っていますよね。

親房はいまの稲敷市に漂流し、当然(?)のように敵対する北朝から命を狙われます。生き延びたのは親房に味方した者がいたから。ではどんな人が守ったのでしょうか。

この記事では稲敷市の高田たかだ神社をご紹介します。かつて「高田権現」とも呼ばれた神社で北畠親房とも大変ゆかりがあるんです。

高田神社とは

高田神社

高田神社

高田神社について茨城県神社誌などをもとにざっくりとご紹介します。

承平年間(931〜938年)
創建
平将門の乱の鎮圧のため、朱雀天皇の命により紀伊国の熊野の神を勧請
寛治年間(1087〜1094年)
勅願所へ
(おそらく堀河天皇の)勅願所となる。
源頼朝が奥州追討の戦勝祈願をし、平定後に東条の庄500町を寄進
延元3年(1338年)
北畠親房来訪
北畠親房が神宮寺城に拠る。神主千田氏と社僧が追討者と奮戦するも城は陥落。神領が賊に奪われる。
その後、足利義詮によって修繕。
慶長5年(1600年)
徳川家康から寄進
徳川家康の北討に協力。褒美として357石の寄進を受ける
寛文2年(1662年)
神殿の藁替え
(常総遺文の「東条庄高田権現棟札」より)
享保18年(1733年)
社殿再建
大工棟梁・桜井瀬兵衛政信によって再建
明治4年(1871年)
郷社列格
明治40年(1907)年
合祀
天神山にあった天満神社(無格社)、青宿天神山の天満神社(無格社)を合併
昭和47年(1972)年
屋根変更
わら葺きからかわら葺に変更
昭和59年(1982)年
社号標建立
創建壱千百季記念
平成2年(1990)年
社殿焼失
平成9年(1997)年
社殿再建

盛りだくさんといった内容ですね。ご祭神は以下です。

  • 熊野神王櫛御気野くしみけの
  • 伊邪奈岐いざなぎ
  • 伊邪奈美いざなみ
  • 撞榊厳霊天疎向媛命
  • 菊理比売命
  • 速玉之男命
  • 事解之男命
  • 菅原道真公

由緒で注目するのは、やはり北畠親房でしょう。南北朝の動乱の中で常陸国を訪れ、神皇正統記を著したのはあまりにも有名。

親房は漂流してきたといわれますが、当地は荘園が多かったので勢力拡大のため意図的にやってきたと思います。荘園の持ち主も興味深いことでして。。後述します。

それにしても親房と一緒に宮司らも戦ったというからすごい。親房が拠った神宮寺城には名前の通り神宮寺があって、高田神社(当時は高田権現)の別当(神社の祭祀を担当)を務めていました。

いろんな繋がりがあってのことだったのでしょう。ただ、戦いの後に領地と神職を没収されてしまったのですが。。

高田神社はずっと神仏習合でした。神宮寺のあと逢善寺の末寺が別当になったようですが、親房の件で起きた宮司交代が関係?現在の宮司のお名前から想像するといまは元に戻っているようです。

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鎌倉時代以降、当地は東条氏の支配下でした。東条氏は常陸大掾氏(平氏)の一族なので、由緒に将門(平氏)が登場するのはそのせいかも。。

アクセス

基本的には車で参拝することになるかと思います。圏央道の稲敷ICを下りて10分ほどです。

また、関東鉄道竜ヶ崎線竜ヶ崎駅から関東 鉄道バス江戸崎行きで谷中池バス停下車、徒歩10分です。

駐車場は広いので問題なく駐車できるかと思います。

名称 高田神社
住所 稲敷市高田1348
駐車場 あり
Webサイト 茨城県神社庁
稲敷市(公式)

鳥居(冠木門)

鳥居(冠木門)

鳥居(冠木門)

高田神社といえばこちらの鳥居でしょう。冠木門と呼ばれる形で一般的な鳥居とは少し異なっています。

周辺の武家の信仰が篤かったためこの形になったとか。神社の歴史をたどると納得ですね…!

右手に見える社号標は昭和59年に建立されたので真新しくみえます。社号の「高田」は地名に由来。鎌倉時代の史料にもある地名なのでかなり古いです。

少し話が変わりますが、「高田郷」がはじめて史料に出るのは建武3年(1336年)の足利尊氏の下文です。南北朝の動乱で活躍した佐々木佐渡守定宗(近江国が本拠)に「常陸国高田郷」を与えたとあります。

佐々木一族は六角家、京極家、朽木家などの分家を持つ近江の豪族です。そして定宗は京極家の出身。『ばさら大名』で知られる佐々木道誉(高氏)も京極家なのですが、じつは道誉も常陸国、しかも高田郷の隣に領地を持っています。

道誉は北畠親房の件よりも少しだけ後年のようなのですが。。領地を没収された高田神社の宮司は近江の佐々木氏を頼ったと伝承されていますので、それぞれの関係性は気になるところです。

もう少し解説すると、佐々木道誉は足利尊氏(北朝)と後醍醐天皇(南朝)のどちらにも親しかったので、もし道誉や同家の者が信太に領地を持っていたなら親房来訪やその追討のどちらにも関与していた可能性があるということです。。やっぱりわかりにくい?

参道

参道

鳥居の先は150mほど参道が続きます。『高田権現自然環境保全地域』なので、スギやヒノキなどの巨木が伸び放題。自然を満喫ですっ!

周辺の道路は整備されていますが、ほとんど住宅がありませんので、とても静かな場所ですよ。

社殿

二の鳥居

二の鳥居

二の鳥居と境内です。この鳥居や奥の狛犬は比較的近年に建てられました。境内社も多く、周辺の信仰が一箇所に集められているようです。

ちなみに駐車場から直接社殿に向かおうとすると、二の鳥居からとなります。冠木門を見たい場合は参道を戻らないといけません。

拝殿

拝殿

拝殿は平成9年に再建されたので非常にキレイです。境内もよく手入れされていますし、気持ちよく参拝できますよ♪

本殿

本殿

本殿も大変立派です。キラッと輝いているのは菊花紋。勅願所であったことの由来しているのでしょう。

再建される前の社殿は享保18年(1733年)に桜井瀬兵衛政信によって再建されました。

この人物、けっこうスゴイ人でして成田山新勝寺の一切経堂を建立したんです。経堂は享保7年(1722年)なので、高田神社の方が後でした。

ちなみに政信のお爺さん(桜井瀬兵衛)は円勝寺の山門(行方市・玉造)、月山寺本堂(桜川市・岩瀬)、薬王院本堂(桜川市・真壁)、国分寺本堂(石岡市・府中)を手掛けた名工です。

火災による焼失とのことですが、とても残念ですよね。こうした話を聞くたび、火災報知器やセキュリティを導入できないかと思ってしまいます。

奥宮

奥宮

本殿の裏手に奥宮があります。詳細は不明ですが、ご祭神は創建時に祀られた熊野神王櫛御気野命です。

江戸崎城主・土岐原氏(土岐氏)にも熊野信仰がありました。信仰は戦国時代までこの辺りで盛んだったようですよ。

ちなみに、古渡の熊野神社は天正15年(1587年)に土岐治綱が再興しております。対立していた小田氏と信仰も異なっているのは面白いですね!

御朱印

高田神社の御朱印

高田神社の御朱印

高田神社の御朱印です。初穂料は300円。おそらく書き置きとなります。

境内に社務所はありませんので宮司宅でいただきます。いつも滞在しているかは不明なので「いただけたらラッキー」くらいの気持ちでどうぞ。。

場所は境内の立て札で案内されていますので、そちらをご参照ください。徒歩だと10分ほどかかるかと思います。

まとめ

この記事のまとめ

  • 先代の宮司が北畠親房と共に戦った
  • 社殿は成田山新勝寺の経堂を建てた人物と同じ
  • 御朱印は宮司宅でいあだける

参考文献

江戸崎町史/江戸崎町史編さん委員会
茨城県神社誌/茨城県神社庁

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