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- 八幡神社の由緒・沿革
- 修験道との関係
- 御朱印のいただき方
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茨城の最北端。ほとんど福島県の八幡神社を捜索してきました!
色々発見したんですが、まだまだ謎を秘めているので共有します。これ読んで新発見がありましたらぜひご一報を。
この記事では茨城県の最北・平潟に鎮座する八幡神社をご紹介します。景勝地にあるので観光に合わせるのもよいでしょう♪
八幡神社とは
八幡神社は北茨城市の平潟町に鎮座しています。港を見渡せるスポットなので景色の良さは抜群♪
なかなか興味深い由緒があります。茨城県神社誌にある内容を箇条書きにします。
ご祭神は誉田別命です。八幡さまといえば、おなじみのご祭神ですね。
江戸時代、北茨城の一部の地域は水戸藩ではなく棚倉藩の領地でした。水戸藩の寺社改革(八幡潰し)の影響は受けなかったのでしょう。
慶応4年(1868年)は戊辰戦争のことですね。水戸藩出身の徳川慶喜に忠誠を尽くした会津藩らに対して追討ですから県民としては複雑な思いになります。
比較的新しい時代の創建なのですが、2度に渡る火災の影響かあまり史料を見かけません。ちょっとずつ集めて掲載していきたいと思います。
平潟港は寛永年間(1624〜1644年)に江戸に向かって米を運ぶ仙台藩の船が泊まるために開かれたといいます。船は風を待つために停められ、30隻ほどになることもあったので港は大いに賑わいました。
アクセス
名称 | 八幡神社 |
---|---|
住所 | 茨城県北茨城市平潟町604 |
駐車場 | あり |
鳥居
八幡神社の入口はこちら。平潟港とつながっていて駐車するスペースは充分です。ただ参拝者は地元の方がほとんどでしょうか。茨城と福島の境界のあたりに位置しております。
2月中旬に参拝したら二の鳥居のそばに梅が咲いていました。海と梅、揃って楽しめるなんていいですなぁ。あれ、漢字がちょっと似ている?
石段を登って社殿に向かいます。神社があるのは海抜50mの位置なんです。
拝殿
石段を登りきると見事な彫刻の手水舎です。鉢の周りにはいつも鮮やかな植物が置かれており気持ちが晴れやかになります。社務所を兼ねる旅館・静海亭がお手入れされているかと思います。寒い時期なのにお花とは嬉しい心遣いで。
特に荒ぶる波がよいではないですか。それに鶴と亀があるようですね。おめでたい雰囲気で迎えてくれます。
拝殿は厳かな雰囲気。きめ細かく整列した格子が美しいです。屋根の斜線も格子と対照的ですごく印象に残ります。
扁額には独特の書体で「八幡宮」。もともと八幡宮と称していたのに八幡神社と改めたのはどうしてでしょう。それに一番地にあったものをこちらに遷した理由とは。。江戸時代初期のことですから、もう少しなにか理由が伝わっていてもおかしくないですね。
個性的な狛犬。しっぽや毛並みが炎のように揺らめきながら逆だっています。牙狼っぽい!
阿吽になっていますが、どちらの頭にも角が生えています。胸のあたりが緑色に変色しているのは酸化でしょうか。狛犬は平潟水難救済会によって奉納されました。港のそばですから水難避けを祈願する方が多かったのでしょう。
本殿
スゴイ組み方がされた本殿。どれだけ工数をかけているのか。幣殿もゴツイ。見応え充分!
屋根を支えているのはなんでしょう?ヒトガタなのですが異形なんですよね。屋根の両サイドにいますが、それぞれ違っているような。なにか帯のようなものをまとっていて風神・雷神のコンビのように見えます。
『天の邪鬼』かと思いましたが、もしかしたら後述するアレかも。。これについては引き続き調査します。
境内は平潟の海を見渡せるので、これを見るだけでも参拝する価値ありますよ!特に天気のいい日はキラキラと輝く海に心癒やされます♪
修験の跡を感じさせる境内
社殿の周辺はさらに面白いです。本殿の裏辺には岩を削って祠が並べられていました。稲荷神社や恵比寿神社はわかりましたが、それ以外はいまいち。恵比寿神社については後の内容に関係するので覚えておきましょう。
茨城県神社誌によると境内社には諏訪神社、津神社、厳島神社、水天宮など、水に関係する神社が多いようです。
海側に進むと石段。。まだ登るのかっ!しかもヤバそうな足場。ちゃんとした靴で登ってくださいね。
う〜、怖い。。石段が濡れている日は止めた方がいいですよ。足を滑らせたら。。
石段の正面にある社は不詳ながら、岸壁をくり抜いてから建てられているのでどうしてもこの位置である必要があったように感じられます。彫刻には波らしきものが目立ち、拝殿と本殿が一体になったような独特な形をしています。
扁額には「神武鷹揚」、署名は「源朝臣康爵」とありました。おそらく棚倉藩主の松平康爵のことで当社を祈願所にしていたことに由来するのでしょう。建てられたのは藩主となった天保7年以降と考えられます。
崖上の神社は二社。他に祠がいくつかあったかと思います。お参りするのが危険なのですから社殿を建てるのはなお危険だったことでしょう。特別な信仰心を感じます。
金剛山前鬼の碑
個人的にすごく気になる石碑を発見。『金剛山前鬼』と彫られています。読み難くてごめんなさいね。これを正面から撮ろうとすると崖から落ちるんです。
石碑の『前鬼』とは修験道の開祖・役小角(役の行者とも)が従えていた鬼のこと。この鬼、じつは夫婦でして夫を前鬼、妻を後鬼といいます。
その前の『金剛山』は役小角が修行した山です。石碑が修験道と関係していることは間違いありません。
八幡神社に修験を示す石碑があるのは別当の関係でしょうか。当社は江戸時代まで大高寺(いわき市)によって管理されていました。大高寺は天台宗なので修験や山伏との関係は深かったと考えられます。ただ、なぜ前鬼だけなのかは謎ですね。探せば後鬼もあるのでしょうか。
金剛山は葛城山と同じと考えて良いでしょう。葛城山の一部が金剛山です。古事記には葛城山で雄略天皇と一言主神が出会ったエピソードがあるんですが。。一言主神は事代主神の別名。そして事代主神は神仏習合の時代に『七福神』の恵比寿様と同一視されていました。
恵比寿様は漁業の神様(仏様)ですから、港町にふさわしい信仰なんですよね。歴史と古典をお勉強すると石碑ひとつから色々な発見ができて楽しいですよ!あとは石碑に前鬼しかないことだけが気がかり。。なにかご存じの方、教えて下さい!
前鬼の石碑を見た帰りに蛙石を発見!「無事かえる お宝かえる 若がえる 金銀かえるで銭かえる」と謎(?)の文言が見えます。
少し突飛な話になりますが、明治以前に哲学とされた五行説では蛙を土気の動物と捉えますから「土生金」の法則により金気、すわなち「金」を生むとしました。蛙の字にも土が入っていますよね。
これがそうした思想によるかはわかりませんが、五行説は陰陽師や修験道で特に重視されたのでやはり当社と修験の結びつきを想像してしまいます。文明開化の波に飲まれて見えなくなった信仰のひとつではないでしょうか。
甚平鮫神社
かなり珍しいものを神社を見つけたのでご紹介。甚平鮫神社です。二の鳥居を左に進んだ場所で八坂神社と並んであります。
なんでもたまたま網にかかったジンベエザメをお祀りするようになったのだとか。
ジンベエザメは世界最大の魚類。大きいもので20mほどになります。初めてみた漁師は驚愕したでしょうね。本当に魚かと。
あまりの大きさと異形さに不吉の前兆でないかと心配した人もいたのではないでしょうか。そしてたたりを恐れて神として祀ることにした。。とか。当時の人々の理解を超えた存在だったので丁重に扱われたかと思います。
『生き物供養碑』のサイトに創建について以下のようにありました。
平潟の網主がジンベイザメを食べたら、不漁になったので、祀り始めたという。
甚平鮫神社/生き物供養碑
創建は昭和220年(1945年)とのこと。戦中、あるいは終戦後に不漁になったということでしょうか。日本全体の情勢もありましたから、漁師たちにとっては色々思うところもあったのでしょう。
ジンベエザメの出現は大漁の前兆になることから「恵比寿鮫」とも呼ばれているそうです。主食がプランクトンなので、同じ餌を求めるイワシなどの小魚と行動を共にしやすく、それらを狙うカツオも一緒になるからです。
別の境内社の恵比寿神社にも関係しているかもしれませんね!
あんこう大福神
2023年に3年ぶりに北茨城市で開催された「あんこうサミット」では、平潟八幡神社とまるみつ旅館がコラボして「あんこう大福神」なる商品を販売しました。
神社と旅館、一見すると関係がないように思われます。しかし、じつは同じ平潟にあって神社の社務所はお隣の旅館だったりするのです。大福神を降臨させるにふさわしい組み合わせですね。
会場では人が途切れなかったので写真を撮れませんでしたが、小さなあんこう神社を建てて御幣を供える徹底ぶりでした。
とってもユニークな見た目の大福神をいただくなんて申し訳ない気持ち。ただ、これすごく甘くておいしいんですよね。口に加えているのはバターだったかと思いますが、これがまたとろける食感で。。
まるみつ旅館といえば、あんこうとトラフグの鍋で日本一になったり、あん肝を使ったラーメンなどで超有名。今年のチャレンジはスイーツということで驚きましたが、さらに神社とコラボしているとは。。次回も楽しみです♪
【鍋−1グランプリ連覇】麺屋まるみつのあん肝ラーメンを実食!|北茨城市【まつみつ旅館】
御朱印
八幡神社の御朱印です。
神社隣りの旅館 静海亭でいただけます。二の鳥居を左に進み、先程の甚平鮫神社の先まで行ってください。建物が見えてきます。
お忙しい昼時にお邪魔しましたが。。快く対応してください感謝です。館内はとてもおいしそうな香りが漂っておりました。
このときは飾られていた雛人形を眺めながら出来上がりを待たせていただきました♪いずれのんびりと宿泊に訪れてみましょうか。
まとめ
この記事のまとめ
- 平潟港を見渡せる境内。海抜50mに鎮座する
- 八幡神社らしく神仏習合、修験との関係を感じさせる
- 御朱印は隣の静海亭でいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
北茨城市史(上)/北茨城市史編さん委員会
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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