- 参道の山桜について
- 民話の「大蛇の鱗」について
- 御朱印のいただき方
wata
あだ名で呼んでいると本名忘れちゃうってことありますよね。
わたしは「鹿嶋八幡神社」と聞いてもピンとこないんですが、「額田神社」だとすぐに思い浮かびます。
今回は那珂市の鹿嶋八幡神社(額田神社)をご紹介します。興味深いこと盛りだくさんの神社なので、じっくり境内を観察してみることをオススメします!
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鹿嶋八幡神社とは

鹿嶋八幡神社(額田神社)
由緒
鹿嶋八幡神社は那珂市の額田北郷に鎮座する神社です。旧社号で愛称にもなっている「額田神社」と呼ぶ方はいまもたくさんいらっしゃいます。


ご祭神は高天原最強と評される武甕槌命と源氏ゆかりの武神・誉田別命(応神天皇)です。勝負事で頼りになりそう!
水戸光圀公によって二つの神社が一つになったという特別な由緒を持っています。「八幡改め」で潰されなかった貴重な神社ともいえますね。
もっとも額田は光圀公の弟・松平頼元の知行地なので合祀はともかく勝手に潰したら問題ありますけど。そういえば、合祀は頼元が亡くなった翌年ですね。色々事情あったのかも。。
アクセス
那珂インターを下りて約15分ほどです。
鳥居の右手に駐車場があります。広大なのでほぼ確実に駐車できるかと思います。
名称 | 鹿嶋八幡神社 |
---|---|
住所 | 那珂市額田北郷417番地 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト 茨城県神社庁 |
桜番付横綱の山桜

社号標と長い参道
参拝する際に忘れちゃいけなのが一の鳥居に続く参道沿いにある山桜です。茨城県の昭和の桜番付で西の横綱に据えられています。
駐車場は拝殿のすぐ近くにあるので、そちらに停めると社号標からの一の鳥居に続く参道を通らないんですよね。

参道沿いの山桜
いまは往年のような咲き方はしませんが、それでも樹齢600年ともいわれ県下最大級です。注目に値することは間違いありません!公式サイトによると見頃は4月15日頃だとか。
一見すると枯れてしまっているように見えますよね。でも、よく見ると太い幹や枝から小さな枝が伸びていて、その先につぼみが付くんです。ひこばえで桜の命が繋がれているんですね。
残念ながら写真は6月のものなので花びらはありません。開花したようすは茨城県の桜でご覧ください♪

昭和の茨城県桜番付
ちなみに『茨城県の桜』の運営をされている坂野さんは、この番付をきっかけに現代の番付作成をはじめられました。この桜はいまも多くのドラマを生んでいるんです。
wata
一の鳥居

一の鳥居
一の鳥居です。なかなか立派!昭和33年(1958年)3月に建立とのこと。なんだかラッキーな感じ。
鳥居の足元には末社の足尾神社が鎮座しています。境内には他にもたくさんの祠や社殿が鎮座しています。稲荷社だけでいくつも並んでいたり。。周辺区画が整備される際に移されているのでしょう。

丁寧に管理された数々の境内社
簡単ではありますが、境内社はすべて社名やご祭神、ご利益などが立て札で紹介されています。神職はふだん不在なのでありがたいですね!
拝殿

拝殿
鳥居の先を30mほど進むと拝殿です。明治18年(1885年)に建立されました。
なかなか素敵な銅板の屋根だと思いませんか?雨の日だともっとキレイに見えるんですよ。
拝殿でぜひご覧いただきたいのは扁額です。なんと会沢正志斎が筆を執りました。言わずと知れた水戸藩の思想家。水戸学といえば藤田東湖と会沢正志斎でしょう。
その正志斎ですが、「額田神社」ではなく「額田神宮」としています。戦前まで神宮の名称は極めて限定的に使われてきましたので、神社に対する特別な意識が読み取れますね。
あと、神社の公式サイトを見ていて知ったことなのですが、拝殿には後藤縫之助の向拝竜の彫刻があるんです。げげっ知らなかった!!
これ見た方はぜひチェックしてみてくださいね。縫之助は国指定重要文化財になった笠間稲荷の本殿の彫刻も手掛けました。
本殿

本殿(左・鹿島神社/右・八幡神社)
拝殿後ろには本殿があるのですが。。建物自体も2つに別れています。拝殿から見て左に武甕槌、右に誉田別命をお祀りしています。
社殿自体が異なるので合祀とはちょっと違いますよね。比較的珍しい形式だと思います。
瑞垣が立派すぎてあまり良く見えない。。
光圀公お手植えの御神木と真榊

熊野杉(御神木)
本殿裏には光圀公によってお手植えされた熊野杉(御神木)があります。
樹高:25m
根まわり:9m
樹幹まわり:5m
平成8年(1996年)に伐採されてしまいましたが、大変な巨木でした。神は高い木に降りるとされていますから、杉のような高く太く育つ樹木は御神木になることが多いです。
光圀公は元禄13年(1701年)に亡くなりました。樹齢300年というとちょうど晩年にお手植えしたことになるんですね。
では、それ以前にご神木はあったのでしょうか。たぶんあったと思いますが。。ふふふ。

光圀公お手植えの真榊
お手植えといえば瑞垣そばの真榊にも注目です。圧倒的な高さ。こんな榊見たことがありません。御神木と同じく元禄7年に植えられましたので、樹齢300年を超えています。
淡島神社

淡島神社の鳥居
鹿嶋八幡神社の本殿の裏手に足を運ぶとまっすぐ別の参道が続いています。(約380mもある!)
奥には淡島神社が鎮座しています。ご祭神は少彦名命、、大巳貴命、息長足姫命です。

淡島神社の拝殿
創建は正保元年(1644年)、初代水戸藩主・徳川頼房の四男・松平頼元が観音寺に淡嶋神社を寄進したことにはじまります。観音寺は鹿嶋八幡神社と同じ地にあったということなので、おそらく別当なのでしょう。
この地(額田)は頼元の知行地でご祭神に裁縫の上達や安産が祈願されていたことから、女性の活躍を願ってのことですね。いまも毎年2月8日には針供養が行われています。

淡島神社の本殿
さて、淡嶋神社で興味深いのは公式サイトに「蛇のミイラ(本殿内に安置)」とあることですね。なぜミイラ?
じつはこれには心当たりがあるんです。以前、那珂町の教育委員会が発行した『那珂町の民話』に蛇(大蛇)に『大蛇の鱗』のタイトルで関係していそうなお話が。。

大蛇の鱗/P128
額田の大蛇は額田城主の家臣・根本彦次郎に討たれたといわれています。はじめは若い娘の姿をしていたのですが、娘の周辺はなまぐさい風が吹くので怪しんだ彦次郎が奇襲をかけました。切られた娘は約3mもの大蛇となって。。
【民話を読もう Vol.2】那珂町の民話(那珂市)【編:那珂町教育委員会】
大蛇は退治されるのですが、その際に鱗を残していったんです。民話だとその鱗は『額田神社』に奉納されて宝物となっているとのこと。それってもしかして??
wata
伝説との関係が気になります!
御朱印

鹿嶋八幡神社(額田神社)と淡島神社の御朱印
鹿嶋八幡神社の御朱印です。
兼務社の淡嶋神社とあわせていただきました。ふだん社務所は不在ですが、拝殿に書き置きが用意されています。
淡嶋神社の御朱印は近年のことだと思いますので、まだいただいてない方はぜひ♪
まとめ
この記事のまとめ
- 参道の山桜は昭和の茨城県を代表する桜
- 兼務社・淡嶋神社の蛇のミイラは伝説の大蛇と関係しているかもしれない
- 御朱印は拝殿で書き置きがいただける
wata
参拝者を迎える気持ちが伝わってきて心地よくお参りができました♪
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
那珂町史/那珂町史編さん委員会
那珂町の民話/那珂町教育委員会
神社巡りの初心者におすすめ