【延喜式内名神大社】稲田神社と奥の院(笠間市)

神話で活躍する女神といえばだれでしょう。天照あまてらす大神?木花開耶このはなさくや姫?それとも天鈿女あめのうずめ命でしょうか。

以上をご祭神とする神社はよく見かけますが、稲田神社奇稲田くしいなだはあまり多くないかもしれませんね。でも、素盞嗚すさのお(八坂神社のご祭神)の妻ですから、ぜひとも覚えておいてください!

この記事では笠間市の稲田神社とその奥の院をご紹介します。数々の伝説の一部もご紹介しますので、参拝の際に色々と想像してもらえると楽しめるかなと思います♪

稲田神社とは

県社の社号標

県社の社号標

稲田神社は笠間市の稲田に鎮座しています。笠間西ICを下りて5分ほど。水戸線の稲田駅からですと徒歩で約15分です。少しわかりにくいですが、50号の側道を100mほど進めば大鳥居が見えます。

神社が創建された年は不明です。由緒によると稲田の井戸に水を汲みにきた子どもが稲田姫を名乗る美しい女性と出会い、お告げによってお社を建てて祀ることになりました。

好井とよばれるその井戸は、現在稲田神社の鎮座する場所ではなく、少し離れた奥の院にあります。神社と奥の院がわかれているのは火災から再建した際に移設されたのかと思います。

ご祭神は奇稲田姫くしいなだひめです。神話では八岐大蛇の生け贄とされるところを素盞嗚命によって救われました。その縁で二人は結婚。荒っぽい素盞嗚命ですが、奇稲田姫とは仲良くしていたと思います。(たぶん櫛からは戻りました)

延喜式神名帳にある名神大社とされています。明治の社格では県社とされており、非常に格式のある神社といえるでしょう。

ちなみに地元の方や郷土史では稲田姫神社とか稲田姫宮と呼ばれています。

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姫が八岐大蛇に追われたとき、茶の根につまづいて葉で目を痛めた話から神社、氏子、崇敬者のお家には茶、松の木を植えないそうです。お正月に門松も立てないとか。お茶を飲まずに参拝するのがマナーらしいですよ!
MEMO
元禄8年(1695年)に徳川光圀(水戸黄門)奉納した四神旗が社宝としてあります。茨城県の指定文化財にもなっています。

ニの鳥居と石段

石段とニの鳥居

石段とニの鳥居

冒頭の大鳥居が一の鳥居。その手前か通りをくぐった先に少しだけ駐車スペースがあります。

一の鳥居の先にはこの石段。左に神社の由緒が詳しくあるのでチェックしておきましょう。

右下の方に小さく立て札があるのをわかるでしょうか。宮司宅を示しています。参拝の後にはこちらで御朱印をいただけます。

社殿

拝殿

拝殿

稲田神社の社殿は嘉永元年(1848年)に再建されたものです。火災により焼失したためだったとか。

以前の社殿は元亀年中(1570-1573年)に兵火で炎上したので慶長7年(1602年)に再建したといわれています。火災は恐ろしいですねぇ。。

間口5間(9m)、奥行きは2.5間(4.5m)ほど。立派な入母屋造りの拝殿です。

社殿の左手に別の建物(神饌所?)に続く通路がありますので、横長で大きく見えます。

本殿

本殿

流造の本殿も大変立派なものです。かつての社格の高さを感じさせますね。

千木は女千木になっています。女神をお祀りしている場合に多く目にしますが、比較的珍しいのではないでしょうか。

八雲神社

八雲神社

八雲神社

稲田神社の社殿の右手に鎮座する八雲神社。ご祭神は奇稲田姫の夫・素盞嗚すさのお之尊です。

境内社としてはずいぶん大きいですね。(後にご紹介する)奥の院と違い奇稲田姫の社殿とわけているのはなにか理由があるのでしょうか。

毎年7月30日に祇園祭があり、神輿が稲田全域を渡御して清めます。昭和48年発行の茨城県神社誌だと夏祭という表記ですね。同じことをしていたのでしょうか。

神輿をかつぐ若者はみな白装束とのこと。ミステリアスな感じですね。見てみたい。。

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神輿は奥の院にも渡ります。ちょっと遠い気がしますが、社殿のある敷地から隣の公園の方を通るとすぐなんです。

手摩乳神社と脚摩乳神社

脚摩乳神社

脚摩乳神社

手摩乳神社

手摩乳神社

奇稲田姫と素盞嗚之尊の夫婦をお祀りすることは多いかと思いますが、稲田神社では姫の両親も一緒です。

手摩乳てなづち神社は姫の母神にあたる手摩乳命脚摩乳あしなづち神社は父神にあたる脚摩乳命をお祀りしています。

神社のご神徳として縁結び、安産、子育、頭・目・手・足によいとされるのは、両親と一緒であるためでしょう。二神は拝殿の手前、姫を見守るように左右に分かれて鎮座しています。

お社はいずれも平成25年に稲田の富田工務店が奉納したとありました。

御朱印

稲田神社の御朱印

稲田神社の御朱印

稲田神社の御朱印です。初穂料は300円。素晴らしい筆です。

一の鳥居をくぐった先の石段の手前を右に進んだ宮司のご自宅でいただけます。

小さな立て札がありますので、おそらく間違うことはないでしょう。

アクセス

名称 稲田神社
住所 茨城県笠間市稲田763
駐車場 なし
※鳥居の前に駐車可
年間行事 1月1日…初祈祷
2月3日…節分祭
2月19日…記念祭
7月30日…祇園祭
11月17日…例大祭
Webサイト 茨城県神社庁

奥の院

奥の院の境内

奥の院の境内

稲田神社の奥の院は神社の北西に位置しています。車だと5分くらい。徒歩だと神社隣の公園の方から進めるので意外と近いです。

奥の院に参拝者用の駐車場はありませんが、院を守ってらっしゃるお家の庭をお借りできます。

道路を進んでいくと突き当りに立て札があり、「参拝者の方はお停めください」と案内を出していただいているのでご安心ください。

車を下りて神社の方に進むと写真のような光景が広がっています。稲田山と呼ばれる高台に鎮座する社殿はまさに神の住処という感じ。周辺が森となっており、大変な神秘的な印象がします。

途中の石碑には『稲田山 神宮寺』とあります。かつて奥の院の境内に神宮寺があったことを示しているのでしょう。

境内には小さな堂宇がありまして、笠間市の文化財になっている毘沙門天立像と童子立像が安置されています。

伝説の好井

好井

好井

石段の手前、右手には伝説に登場する好井があります。しっかりとしめ縄が張られていますね。

ここで奇稲田姫のお告げがあったということでしょうか。足を運ぶたびになんだかドキドキする場所です。

笠間市の昔ばなしでは、この場所に現れた奇稲田姫は次のように話したといいます。

「私は素盞嗚尊の妃、稲田姫である。この地の神となること久しい。お前たちの先祖も、私につかえてきた。私はいま天から降りて、ここに住もうと思う。だから父母の祠と、わが夫妻の宮を作り、好井の水で酒を造り私たちにささげなさい」
稲田姫神社の好井/笠間市の昔ばなし P6

好井は酒造りのためにあったんですね。あと社殿には夫妻が一緒に祀られているとなっています。なるほど。境内に八雲神社がないはずです。

MEMO
石段の左手には3つの田(三田)があり、そこでとれた米と好井の水で酒を造ったといわれています。

太鼓石

太鼓石

太鼓石

石段を登り、社殿の左手を見ると太鼓石があります。太鼓のようにバチで叩きやすい形をしています。

太鼓は神事で使われるように単なる楽器とは違います。祓いの役目を持つ大切な神具ですから、境内にこのような石があることは縁起がよいと感じます。

そういえば雨を呼ぶ雷神も太鼓を持っていましたね。。

手摩乳神社と脚摩乳神社

奥の院と手摩乳神社・脚摩乳神社

奥の院と手摩乳神社・脚摩乳神社

社殿を右から見ると上の方に2つ小さな祠があるのがわかるでしょうか。稲田神社にもあった手摩乳神社と脚摩乳神社です。姫を高いところから見守っているよう。。

やっぱり家族一緒にお祀りしているんですね。家庭円満のご神徳がありそうなお参りとなりました。

民話『稲田姫神社の大蛇』

奇稲田姫が八岐大蛇を退治する物語に登場するせいか、民話も大蛇絡みがいくつかあります。

わたしが特に気になっているのは次のようなものです。

むかしむかし、稲田姫神社には大蛇が住んでいたという。

あるお坊さんが修行のために稲田に訪れ、稲田姫神社でお参りをしたときのこと。お経を読み上げて次の場所に向かっていると、後ろからざわざわと気配がしました。

恐る恐る振り向くと、そこには異形の怪物たちがひしめき合っているではありませんか。

お坊さんは必死になって逃げ出しました。後ろからは怪物が草木をなぎ倒しながら向かってくる音が聞こえます。お経を唱えながら無我夢中で走り続けると、いつしか気配は消えていました。

お坊さんは落ち着かない心のまま歩き続け、気がつくと鹿島神社の前にいました。もやもやとした気持ちを整理するため、お参りのあとにご祭神に話しかけます。

「わたしはお参りをしてお経を上げただけなのです。それなのになぜあのような恐ろしい目に合うのでしょうか。なにか悪いことをしていたのでしょうか。何卒お教えください」

その夜、お坊さんは鹿島神社で休むことにしました。すると夢に鹿島の神が大勢の神々を引き連れて現れ、お坊さんに話しかけました。

「お前の頼みを聞いたぞ。早速、取り調べを行う」

すると数名の神が空に飛び立ち、しばらくすると白髪の老人を連れてきました。

「お前は稲田神社の神ではないか。なぜ、この者に恐ろしい思いをさせたのだ」

「はい。わたしはたしかに稲田神社の神です。参拝をしたものを大切にしようと思っております。しかし、近年、神社に恐ろしい大蛇が住むようになりまして、わたしを拘束するのです。今回はお呼び頂いたので表にこれましたが、ふだんは身動き一つとれません」

「そういうことだったか。それではその大蛇とやらを退治せねばな」

鹿島の神の命を下すと、5,000もの神兵が巨大な雲に乗り大蛇の元へと向かっていきました。

そしてしばらくすると4,5mもある白蛇の首が鹿島神社の境内に届けられました。白蛇には大きな角と耳があり、とても不気味な顔をしていました。

お坊さんはそこで目を覚ましました。そしておぼろげな記憶を頼りに稲田神社に戻ると、社殿は焼け落ちてしまっていました。

近くの村人に話を聞くと、昨夜いきなり雨風が強くなり、神社の辺りで叫び声が聞こえたといいます。そして雲から炎が放たれ、またたく間もなく社殿は焼けてしまったそうです。

興味深いですよねぇ。神社なのにお坊さんが登場したり、ご祭神の奇稲田姫が登場しなかったり。

鹿島の神は武甕槌命だと思いますが、鹿島神宮ではなく鹿島神社なんですよね。稲田神社の近くにあるということでしょうか。

白蛇の正体も謎ですし、最終的に社殿が焼失しているということは、史実と関係しているのでしょうか。

謎は深まるばかりですよね。この民話に関する情報がありましたら、ぜひご連絡ください!

まとめ

稲田神社は延喜式内社(名神大社)で旧県社。非常に格式のある神社です。ご祭神は奇稲田姫で夫や両親と一緒に祀られています。

伝説に登場する好井は奥の院にいまも残されています。徒歩で行ける距離ですので、ぜひあわせてお参りしてみてください。

いくつもの逸話のある神社ですので、お話に想いを巡らせながらお参りするとよいかと思います♪

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
笠間市の昔ばなし/編:笠間市文化財愛護協会

スペシャルサンクス
りん(@rin1070) さん

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