【南朝】楠木正成を祀る 楠木神社|鉾田市【後醍醐天皇】

記事内に広告を含みます

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • 神社の由緒
  • 正成公と宮司の関係
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

楠木正成くすのき まさしげといえば南北朝時代の英雄ですよね。武将としての強さもさることながら、文字通り命がけの忠臣だったことで道徳のレベルで評価されています。

主に関西方面で活躍したので茨城とは縁がないと思いきや。。水戸藩、特に水戸光圀公は正成公を大いに評価しました。探してみると茨城にもゆかりがあるものです。

この記事では楠木正成公を祀る楠木神社をご紹介します。明治になって創建された神社で140年以上の歴史があります!

楠木神社とは

楠木神社(鳥居)

楠木神社(鳥居)

楠木神社は鉾田市の上太田に鎮座する神社です。

楠木神社の由緒を年表でご紹介します。

明治12年/1879年
創建
初代宮司の和田勘恵が当地で正成公の忠義や正義の心を養おうと創建
明治16年/1883年
公社化
信仰が広まったことにより、公の神社となる
明治25年/1892年
遥拝壇増築
2年5ヶ月をかけて約21.5mの遥拝壇を竣工
昭和44年/1979年
社宝認定
「水戸烈公作」の銘のある社宝の太刀が日本美術刀剣保存協会から特別貴重刀剣に認定される

ご祭神はもちろん楠木正成公です。いわずと知れた後醍醐天皇の忠臣。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将です。

不利な戦況にも関わらず知恵を使った戦略で勝利を重ねましたが、最期は決起した足利尊氏の軍に無謀とも言える戦いを挑んで散りました。(湊川の戦い)

当社の宮司は正成公の子孫です。産経新聞の記事には次のようにあります。

初代宮司は和田勘恵。『楠木神社記』によると、戦国時代の常陸国領主・佐竹氏の一族、小沼義宣に跡取りがなかったため、河内国古市(かわちのくにふるいち)(現大阪府羽曳野(はびきの)市)から上太田村に移り住んで「楠木正成の末裔」と称していた楠正継(まさつぐ)を養子とした。その17世の孫、勘恵が小沼氏から和田氏に姓を変えたとされる。
【日本人の心 楠木正成を読み解く】第4章 現代に生き続ける「楠公さん」3 水戸学発祥の地、受け継ぐ忠義/産経新聞

当初は家の氏神として祀られましたが、信仰が広まったことにより公社となりました。茨城県神社庁にも登録されていますよ。

神社の創建については『楠木神社記』にまとめられています。神社記の著者は津田信存つだ のぶかず。水戸藩が編纂をはじめた『大日本史』の最後の編集者です。

大日本史は南朝を正統としていますので、後醍醐天皇に尽くした正成公は理想的な家臣といえるのでしょう。信存も多くの思い入れがあったかと思います。

wata

正成公は人格的にも戦略家としても優れた人物だと思いますので、ゆかりのある神社があって嬉しいです♪
MEMO

産経新聞の記事にある由緒などは『楠木神社記』をもとにしています。
神社記は『茨城県神社誌』でも読むことができます(文語体)

アクセス

駐車場

駐車場

境内に駐車可能です。舗装はされていませんが、スペースは充分。

最寄り駅は大洗鹿島線の涸沼駅です。駅を降りて神社まで2.4kmほどなので徒歩でも行けないことは。。30分ほどかかると思ってください。

名称 楠木神社
住所 鉾田市上太田527
駐車場 あり

遥拝壇

遥拝壇

遥拝壇

駐車場に車を停めると位置の鳥居はくぐらず、いきなり手水舎、社殿が見えます。でも、視点を少し上げてもらうとご覧の通り小高い山。

こちらが遥拝壇ようはいだんです。遥拝壇は南朝の霊を遠くからお参りするためのもの。いわゆる拝礼所ですね。

「壇」といっても人工の山です。もともと7mほどの高さでしたが、創建から10年ほどして約3倍の高さに増築されました。

完成まで2年以上かかったのは、本業のある方々が合間に作ったからでしょうね。かなり熱心な信仰があったと思います。

一応通路があって登れるそうです。後から知ったのですが、遥拝壇には歴代南朝方の天皇とその家臣を祀る南朝神社など4つの石宮があるのだとか。むむっ。お参りしておけばよかった。。

ちなみに山頂にある巨木はクスノキです。さすが楠木神社。樹齢は120年以上。雨ニモマケズ、風ニモマケズ、御神木として育ってきました。

なんだかまだまだ大きくなりそうですね。これに太さが加わると茨城を代表する御神木となるかも。。

wata

神社の例祭は湊川神社と同じ毎年7月12日です。
遥拝壇で遥拝式を行ってから祭典を行います。

社殿

拝殿

拝殿

入り異母屋造の立派な拝殿です。

菊水の紋

菊水の紋

中央上部には菊水の紋。後醍醐天皇から賜ったとされる正成公の紋ですね。社号標や賽銭箱など境内のあちこちで目にします。

本殿

本殿

本殿は屋根が鋭角で非常に特徴的です。こんな急勾配な屋根は見たことがないですね。

大きさも見事で旧無格社とは思えません。もっとも、当社は氏子を持たないそうなので社格とは無縁だったと思いますが。

お参りをしながら考えていたのですが、現代の価値観では「忠臣」の評価が難しいですよね。

後醍醐天皇(とその取り巻き)は正成公にかなりの無茶をさせていたので、時代背景や人物像を無視して現代に置き換えると、ブラック企業で死ぬまで働いたようなイメージです。

もちろんそういうことではくて、正成公は自身の信じる道を生きました。自分や天皇を信じられなくなったら戦いを止めていたことでしょう。

大ピンチでも諦めない精神力。生き残るための体力・生命力。そして仲間を動かした統率力。わたしはまだまだ正成公について知りたいし、知ってもらいたいなぁと思います。

御朱印

楠木神社の御朱印

楠木神社の御朱印

楠木神社の御朱印です。初穂料は300円。

御朱印は宮司宅でいただけます。境内西側の階段を降りると宮司宅です。母屋でお声掛けください。

wata

御朱印をいただく際、新聞記事のおかげで新田義貞のご子息と知り合えたと教えてくださいました。数百年の時を超えて子孫がつながるとは縁深いですね

まとめ

この記事のまとめ

  • 楠木神社のご祭神は楠木正成。後醍醐天皇の忠臣
  • 正成は水戸光圀にも忠臣として評価されていた
  • 御朱印は境内の近くの宮司宅でいただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁