菅生日枝神社の装飾社殿|つくば市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

寺社巡りの楽しみのひとつといえば御朱印を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。たしかにご縁を感じたりそのデザイン性を楽しんだりとわたしも満喫しています。

ただ、御朱印がなくとも楽しめる参拝はたくさんあるのです。そのひとつが社殿巡り。名工と呼ばれるような職人によって築かれた社殿は芸術作品としての要素は充分。身近にあるのなら見逃していてはもったいないと思います。

今回は常総市の菅生すがお日枝神社をご紹介します。平将門との関係も伝承されているユニークな神社となっておりますので、あちこち探りながら社殿とともに参拝をお楽しみください!

菅生日枝神社
菅生日枝神社

由緒

承平元年/931年
創建

平良将の子、相馬小次郎平将門が当社を尊崇して妙見菩薩像を刻み奉納したことに始まる。当初は妙見神社と呼ばれた

※社伝に由来すると思われる境内立て札による。『茨城県神社誌』では寛保元年(1741年)とする

戦国期
遷座

菅生城主・菅生越前守胤貞が本城のある古谷に遷座

不詳
遷座

永禄2年(1559年)に横瀬能登守長氏との争いに敗れて菅生城が落城。その後、別当木崎山天台座主阿闍梨賢證が中郷の地に遷座。旧菅生村の総鎮守となる

明治初期
改称

社号を日枝神社に改める

明治5年/1872年
本殿建立

後藤縫殿之助によって本殿が建立される。

明治6年/1873年
村社列格

昭和63年/1988年
文化財指定

本殿が市の文化財に指定される

昭和27年/1952年
宗教法人設立

平成15年/2003年
手水舎竣工

御祭神は大山咋おおやまくいです。オオヤマツミと並ぶ山の神の代表のような存在です。日枝神社の本営は比叡山に鎮座する日吉大社です。もちろん同神をお祀りしておりますが、位置づけは東本宮の主祭神となっております。

当社の由緒で興味深いのは、かつて妙見神社であったことでしょう。平将門が創建に関わっており、妙見菩薩像を奉納しています。かつて、と言っても現在と無関係とは思えません。当社の神紋は今も九曜紋なのですから。

妙見信仰は将門というよりも将門伝説の発祥地ともいえる千葉氏の信仰といえます。由緒の戦国期に名前が見える菅生胤貞もそのひとりで、将門を関連させる伝承はその頃からあったのではないでしょうか。

日枝神社は本営が比叡山の麓に鎮座し、天台宗の総本山である延暦寺を守護する存在です。そのため天台座主の関与を伝える永禄期以降に神格が加わったのではないかと思います。

ただ、改称は明治期とのことなので当時の合祀政策のせいかもしれません。水海道市史にはそれを匂わせる記述があります。興味のある方はぜひ調べてみて下さい。

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氏子には2つのタブーがあるといわれます。ひとつは妙見様の使者である(特に菅生沼にいる)亀を獲らないこと。もうひとつは将門公を追悼した藤原秀郷が崇敬した成田山新勝寺にお参りしないことです。

アクセス

名称(菅生)日枝神社
住所常総市菅生町4892番地
駐車場鳥居そばに1〜2台であれば駐車可
Webサイトなし

鳥居

一の鳥居
一の鳥居

鳥居のそばに車を数台停められるスペースがありました。落ち着いて参拝できるようでまずは一安心。

鳥居は一の鳥居と二の鳥居が2つ。一の鳥居の方は両部式でした。日枝神社の別名は山王社ともいい、鳥居には山王鳥居が建てられる場合があります。

茨城では見たことがないので、山王系の神社を参拝するときにはなんとなく期待してしまいます。もし県内で見たことある方いらっしゃったら教えて下さいね。

二の鳥居
二の鳥居

とはいえ、両部鳥居は金剛界と胎蔵界をあらわす密教の性質を持っているとされますので、天台宗が別当を務めていたこととは関係します。おかしなことではありません。

境内にはブランコなどの遊具が見えます。公園と一体となっているタイプの神社は県西地域でよく目にするような。有効な土地利用として行政的な働きかけがあったのでしょうか。神社はお寺よりも公的な存在だったのでしょう。

狛犬と力石

個人的には絶景と感じる参道と拝殿。電線などの近代的なものが一切見えない光景は大事にしたいものです。

好みの狛犬。特に阿形の表情がいいじゃないですか。「けしからん!」という感じで。吽形はスンとしたようすでこれまた良し。

神猿の像
神猿の像

日枝神社にちなんだ猿の像かと思います。なんだか藤子不二雄チックで親しみがもてる造形ですね。「坂巻与右衛門の子孫」とあるので、当社ゆかりの人物が個人で寄進したようです。

力石
力石

燈籠の近くには力石らしき巨石がありました。祭りの日などで力比べが行われたのでしょう。往時をしのばせます。

拝殿

拝殿
拝殿

拝殿に目立ったところはありません。参集しやすいように間口が空きやすいようになっています。正面のしめ縄が向かって右から始まり左で終わっているのは神社でよく見られる法則。尊いものに対するしめ縄はこうなのです。

本殿

本殿
本殿

そして当社の見どころはなんと言ってもこちらの本殿。正面方向は幣殿と接続しているためまったく様子が伺えませんが、背面と側面だけでも充分に楽しめるかと思います。

建てられたのは明治5年。古い神社としては新しめでしょうか。それを示すのは向拝中備の刻銘で「明治五年壬申年、笠間彫工後藤豊後、藤原正重」とあります。「だれだそれ」がわたしの正直な感想でしたが、じつは後藤縫殿之助が一時的に用いた雅号と聞いて驚きました。

本殿背面
本殿背面

同じ雅号で神田山新田(坂東市)の八幡神社や古谷の別雷神社の向拝中備に刻銘があるそうなので、こんどチェックしてこなくては。ちなみに縫殿之助は成田山新勝寺の旧本堂(現釈迦堂)を手掛けています。当社のように将門公ゆかりの神社の氏子だったら信仰上の理由で成田山には足を運べないところです。

九曜紋
九曜紋

本殿について『いばらきの装飾社殿』から引用します。

 日枝神社の本殿には随所に見事な彫刻が施されているが、残念なことに向拝部分は石の間を囲む羽目板に遮られて外から見ることが出来ない。その向拝の彫刻であるが、中備は「子持ち竜」、身舎正面扉左側は日から五彩の雲を吐き空中を飛び廻った「鉄拐」、右側は瓢箪から駒を出す「通玄」の両仙人、扉の左右の小脇羽目板は「昇竜と降竜」である。

 縁は切目縁を四方に回し、縁を支える三手先の腰組物の間は「水鳥」、腰板は「獅子と牡丹」、脇障子は左側が蝦暮を弄ぶ「蝦暮仙人」、右側が亀に乗った「慮放仙人」と中国の神仙を題材にしているが、身舎外壁は一転して古事記や、日本書紀に記されている日本神話を取り入れ、縫之助の学識の広さを物語っている。まず左側「神功皇后と武内宿蒲」で、三韓遠征から凱旋後に出産した誉田別尊(応神天皇)を宿爾があやす笑顔を巧妙に表現されている。

 右側は「素菱鳴尊の八岐大蛇退治」で、櫛名田比売を庇いながら大蛇に挑む尊の斜に構えた独特の姿は、前述した自山神社や相馬神社の構図に酷似しているが、繁雑すぎて主題の大蛇が画面に呑まれてしまい迫力に欠ける。

 後側は「天の岩戸」で、素蓋鳴尊の乱暴に立腹して天の岩戸に隠れた天照大神が外の喧騒さに戸を透して覗いたところを天手力男尊が岩戸を開いた場面で、神懸りした天宇受売尊の容姿を『古事記』は「胸乳をかき出しで裳緒を陰に押し垂れき」と記しているが、彫刻の方は自粛したのか千早緋袴姿である。

 これらの彫刻は欅の木目を生かした素木で、人物を巧みに配した構図と、精緻な彫りは後藤縫殿之助の名工ぶりを遺憾無く発揮している。

いばらきの装飾社殿
神功皇后と武内宿禰
神功皇后と武内宿禰
神功皇后と武内宿禰(アップ)
神功皇后と武内宿禰(アップ)

左側の胴羽目は「神功皇后と武内宿禰」。構図の忠臣で笑顔をみせているのが武内宿禰。まるで孫の誕生を喜ぶおじいちゃんのような表情を見せています。皇后は軍配を手に穏やかな表情で父親のような風格があります。

素戔嗚尊の八岐大蛇退治
素戔嗚尊の八岐大蛇退治
素戔嗚尊の八岐大蛇退治(アップ)
素戔嗚尊の八岐大蛇退治(アップ)

右側の「素戔嗚尊の八岐大蛇退治」は大蛇に剣を向けるスサノヲが大変勇ましく描かれています。背後に見えるのはクシナダヒメかと思いますが、このシーンではスサノヲによって櫛にされているので神話そのままというわけではないようですね。松、大蛇、風など細かな彫りは見事。ただ、引用元がいうようにちょっと判別しづらいですね。

天の岩戸
天の岩戸

背面の「天の岩戸」は岩を持ち上げるタヂカラヲが目立ちます。ふつうは戸を押して開くので珍しい描写ではないでしょうか。右に見えるのがアマテラスかと思います。柔和な表情で浅く彫られているようで写真では性別の判別さえ微妙です。。右下端に伊勢太々講とあり、笛、太鼓、笙などが賑やかに奏でられています。

上はふだんは見えない「鉄拐てっかい仙人」と「瓢箪から駒の故事」です。坂東市郷土館ミューズで販売されている『稀代の彫匠 後藤縫之助の足跡』から引用しました。縫殿之助は現在の坂東市猫実出身であるため、市側としては郷土の偉人として紹介することがあるのです。いまでは損なわれた社殿も記録によって見直せるのでありがたいことです。

菅生日枝神社の本殿周辺はガッチリガードされているものの、遠目であれば上部の彫刻はよく見えます。あとは正面方向もどこかの機会で見られるといいですね。労せず楽しめますのでぜひ足を運んでみて下さい!

まとめ

・古くは平将門が安置したと伝わる妙見菩薩を祀っていた。

・中世に天台宗の別当が祭祀に関与した

・明治になって日枝神社と改称

・本殿は名工後藤縫殿之助の作

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後藤縫殿之助が関わった社殿は近隣にもあるのでぜひあわせてお立ち寄り下さい

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
いばらきの装飾社殿/河野弘
茨城県の地名/編:平凡社