三坂町の三坂神社|常総市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • 由緒とご祭神
  • 日野皇子大権現について
  • 御朱印のいただき方

たまにはわたしの知らないことも書かせてください。常総市の三坂みさか神社のことです。

同社が鎮座するのは三坂町。町名(旧村名)が社号となった素朴な神社だと思いますが、ご祭神が非常に珍しい。名前はよく知られているものの。。他で祀られているのでしょうか。

わからないことだらけですが、周辺情報を参考に遠慮なく憶測を語らせていただきます。たぶんこうだろー、というご意見あったらぜひ聞かせてくださいね。

三坂神社とは

三坂神社

三坂神社

由緒

大同元年/806-810年
創建
延暦年間、坂上田村麻呂が東征の際に当地に布陣。後に里人が将軍を仰慕して当社を創建。日野皇子大権現の宮と称する
※社伝
天保13年/1842年
改称
日野皇子大権現の宮を三坂神社と解消する
明治6年/1873年
村社列格
明治40年/1907年
供進指定
明治42年/1909年
合祀
村内無格社の東照宮、猿田彦社、熊野社、諏訪社、大神宮、三峯神社、伊勢大神宮、白山社を合祀
大正4年/1915年
社号標建立
大正7年/1918年
合祀
村内無格社の宇佐八幡神社を合祀
昭和27年/1952年
宗教法人設立

境内の立て札によれば、ご祭神として日野皇子大権現神天忍穂耳あめのおしほみみが併記されています。『茨城県神社誌』では天忍穂耳命を主祭神とし、以下の神々を配祀しています。

  1. 徳川家康公
  2. 猿田彦命
  3. 伊邪那美命
  4. 建御名方命
  5. 大日霊尊
  6. 誉田別命
  7. 日野皇子大神

これらは明治期に合併した神社のご祭神なのでしょう。このうち伊邪那美については熊野、三峰、白山の神を兼ねているかと思います。そして日野皇子大神(おそらく=大権現神)については不詳です。

また、飛び地の境内神社が次のようにあります。少し変な社号が見えますが、『茨城県神社誌』にあるとおりです。

  1. 白山神社
  2. 諏訪八幡社
  3. 伊勢大神宮
  4. 八幡神社
  5. 八坂大神社
  6. 猿田彦尊

わたしの知る限り当社の由緒は境内の立て札と『茨城県神社誌』でしか伝えられていません。ただ、かなり特徴的なご祭神と偏りを感じる合祀社なので、そこから何か分かるかもしれませんね。

ちなみに当社周辺の神社の傾向として江戸時代に創建された八幡神社が異様に多く、中には「宇佐八幡社」の社号が見えます。それらと比べると当社は古くから続く土着の信仰として目立ちます。

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日野皇子大権現は火伏せと縁結びのご神徳があるとされているそうですよ!

アクセス

常総市の旧水海道地区。鬼怒川の東側に位置しております。圏央道の常総ICを下りて約5分。県道357号沿いの社号標を目印に境内に入ってください。

駐車場は鳥居のそばにありますので少々細い道を不安になりながら進むことになりますが、見晴らしはいいので対向車の不安はありません。

名称三坂神社
住所茨城県常総市三坂町892番地,891番地1,886番地1
駐車場あり

鳥居

おそらく鳥居や社殿をそのままに道路の開発によって入り口が変化したのでしょう。社号標からこの鳥居まではL字に曲がる必要があります。

境内の全体像

境内の全体像

参道の右側は車両が転回できるほどのスペースがありますので、社号標から鳥居までの間に停めずにここまで車を入れてしまうといいですよ。

両部式鳥居

両部式鳥居

鳥居は両部鳥居。両部というのは密教で使われる用語で胎蔵界と金剛界を示すといわれています。要するに神仏習合時代の特有の思想に基づいて建てられたのではと推測できるわけです。

手水舎

手水舎と不動明王像

手水舎と不動明王像

手水鉢の奥には不動明王像。不動明王は修験道では本尊格の扱いで大日如来の教令輪身という位置づけ。教令輪身は仮の姿といったところでしょうか。仏は相手によって姿を変えて教えを説くのです。

不動明王像

不動明王像

明王の多くは憤怒の表情をしているものですが、こちらはだいぶ時間が経っているので顔の部分に丸みを帯びていました。だいぶマイルドなので悪霊退散できるかな?

拝殿

拝殿

拝殿

人の目につかない社殿ながら、そのお姿はなんとも立派。入母屋造の屋根の正面部分にある「三坂神社」が特徴です。

屋根の正面に「三坂神社」

屋根の正面に「三坂神社」

「みさか」は戦国時代に成立したとされる覚書(宗任神社所蔵)に見えますので、少なく見積もって400年ほどの歴史があります。

また、三坂村は南北に細長くあって北から、上坪、中坪、沖坪、山戸内、白畑、五家の小字がありました。境内の由緒書に五家の神社を合併したとあるのは小字の神社を指すのでしょう。

伊勢参拝記念の扁額

伊勢参拝記念の扁額

伊勢の参拝記念に奉納された芳名。よく見ると同年に男女が別になって参拝しているようです。日付は2ヶ月ほどしか違わないので意図的でしょうか。似たような額は他にもあるし。。ちょっと面白いですね。

伊勢神宮では多くの神々をお祀りしていますが、その中心にあるのは天照あまてらす大神です。皇室の祖神であり、当社ご祭神の天忍穂耳命にとっては母親にあたる存在ですから、篤く信仰するのは自然なことなのでしょう。

江戸時代にはいわゆるお伊勢参りが大流行しました。ただ、土地勘がない人たちがお参りするのは難儀ですから、そうした人々を助ける存在として御師おんしと呼ばれる伝道師が活躍しました。神宮の御師はツアーコンダクターのような役割から神宮大麻の頒布なども行い、中世から近世にかけて伊勢信仰を経済的にも支えた人たちです。

明治になって国家神道が台頭をはじめるとその姿を消しますが、こうしてお伊勢参りの跡を辿るとその存在を感じぜずにはいられませんね。

本殿

覆屋

覆屋

本殿は覆屋によって見ることが叶いません。ただ、『茨城県神社誌』によれば瓦葺きの寄棟造りで間口2間の奥行き3間の大きさとか。それにしてもこの覆屋の屋根は観音堂のような形で独特ですね。

本殿背面の小祠

本殿背面の小祠

本殿の背後にはこのような小さな社殿が。前回の紹介した月読神社でも見たスタイルです。一般的な神社の造りにはありませんので民間信仰か密教系の影響と考えられます。

当社とは関係ないと思いますが、天台宗では念仏を修する常行堂の「後戸(堂の背面の空間)」に摩多羅またらなる謎の神を祀ることがありました。同神は修行を邪魔する天魔(天狗)を退ける仏法の守護神なのだとか。

また、摩多羅神は摩訶迦羅天まかからてん(大黒天)の類似から名付けられたともいわれるので二神は後戸の神として不思議な繋がりがあるよう。神社の裏手は瑞垣などで見えにくいのですが、チェックしたいポイントです。

境内社:白山神社

白山神社

白山神社

境内にはいくつもの境内社が鎮座しており、その中で個人的に注目するのがこちらの白山神社です。本殿に合祀された白山神社のご祭神は伊邪那美命でしたが、こちらは菊理姫きくりひめ。伝播した系統が違うのかもしれませんね。

白山といえば石川、福井、岐阜に渡る霊峰。古代から続く白山信仰は日本各地に広く知られるところで、個人的には浅草弾左衛門が信仰していたという話にも興味があります。

ただ、白山にまつわる伝説やご祭神について氏子が深く理解していたかといえばやや疑問です。これはあちこち散策して周っていて思うのですが、何事も複雑であれば伝わりづらいものです。

こうした遠方から伝わった信仰は前述のような御師や領主、さらには移動の自由が効く修験によるところではないでしょうか。そうした人々は博識だったかと思いますが、細かな教義まで教えたとは考えにくいです。

白山神社の扁額

白山神社の扁額

そこで白山神社について考えるのがその社号から導かれるご神徳です。白山は文字通り山ですから、ご祭神はイザナミであれキクリヒメであれ山の神として崇敬されたと考えます。

それでは、山の神にはどのようなご神徳があるのか。茨城新聞の鹿嶋三嶋神社(那珂市)を紹介する記事に興味深い記述がありますのでご紹介します。

創建は今から約1300年前。2神になったのは元禄9(1696)年と伝えられる。当時、水戸城と行き来する、那珂川の渡し舟の水難事故が多かったため、第2代水戸藩主の徳川光圀(1628~1701年)の命で、三嶋大社の神様を勧請(かんじょう)したという説が残っている。
2022年12月4日 茨城新聞

三嶋神社の神様とは大山祗おおやまつみ命。記紀にも登場する非常に有名な山の神です。光圀公が実際に発言したかはともかくとして、当時はそれを祀ることで水難事故の防止になると考えられていたようです。

ここから五行説を用いた考察をご紹介します。五行説は古代中国に発祥した哲学で、木火土金水の五気の働きによって万物を説明します。

山は五行説において土気のシンボルです。同説の「相剋」という気の優劣を示す法則によれば土気が水気を剋するとされますので山の神が荒れる水面を鎮めるとされたのでしょう。実際、水辺には山の神を祀る稲荷神社や諏訪神社が数多く鎮座しています。

ちなみに土気は「火生土」といって火気から生じるので、土気の神社には赤いものがあるはずです。鳥居や社殿をはじめ、小物類もチェックしてみてくださいね。

少し話がそれましたが、白山神社は山の神を祀る土気に属する神社と考えられます。水難避けや五穀豊穣があると伝えたのは白山方面から渡ってきた有識者ではないでしょうか。

考察:日野皇子大権現神

由緒書

由緒書

当社のご祭神に数えられる日野皇子大権現神とはどんな神様なのでしょうか。ここでは前述した五行説を用いて謎に迫ってみます。

おそらく日野皇子大権現は天忍穂耳命の神仏習合時代の呼び名です。「権現」は仏の仮の姿という意味。不動明王が大日如来の化身であるように神は仏の仮の姿と古くから考えられていました。もちろん仏教側の主張ですが。

天忍穂耳命は天照大神と素戔嗚命の「うけい」によって生じました。いわば二神の間に生まれた子どもです。ちょっと変わった生まれ方をしていますけどね。

アマテラスはスサノヲが生んだ五柱の神を自分の持ち物を使ったから自分の子とし、その長男にあたるのが天忍穂耳命です。天忍穂耳命の子が瓊瓊杵尊であり、天孫降臨して皇室の祖となります。

「日野皇子大権現神」はこうした神話の記述と結びついているのではないでしょうか。つまり「日」は太陽神の天照大神のことで「皇子」は皇統(特に男性)を意味するのでしょう。天忍穂耳命を祭神とする神社は珍しいですから、「日野皇子」が並ぶのは偶然ではないと思います。

しかし、当社の境内を見ると伊勢に対する信仰が篤いのは明らか。なぜ天照大神を直接に祀らないのでしょうか。周辺にはそうした神社がいくつもあったようで、明治になって当社へ合祀されています。

そこで気になるのが当社の例祭。『茨城県神社誌』によれば旧暦9月15日です。戌の月というのがなんとも興味深い。『淮南子』によれば、戌は五行説の三合の法則に次のように登場します。

火気は寅に生じ、午に栄え、戌に死す。三辰はみな火気なり。
土気は午に生じ、戌に栄え、寅に死す。三辰はみな土気なり。

要するに気には始まりと終わりがあることを説明しています。そして面白いことに火気と土気の三合に出てくる十二支は順番こそ違えど同じなんです。

天照大神は日の神ですから火気とみなせます。火気は戌に死ぬのですが、土気は戌でもっとも気が強くなって寅につながります。すると火気ははじめに戻って再生することになります。

つまり、戌の祭りは火気の再生を意味します。これもまた伊勢信仰のひとつの形ではないでしょうか。土気の尊重は当地が川沿いに位置し、水難のリスクを抱える地であったことも影響していると思います。

ところで、アマテラスは高天原を統治する日の神です。火気の存在だから「火生土」で土気を生む。五行説では土気を意味する数字(生数)を五とします。スサノヲとのうけいで五柱の子が生じたのは面白いところですね。

御朱印

三坂神社の御朱印

三坂神社の御朱印

三坂神社の御朱印です。印刷に日付等を書き入れくださるタイプですね。

ふだん境内に神職は不在ですので隣接する社務所兼ご自宅でいただけるかと思います。たぶん平日はいただけません。

まとめ

この記事のまとめ

  • 坂上田村麻呂による創建。主祭神は天忍穂耳命。
  • 日野皇子大権現は天忍穂耳命の神仏習合時代の呼び名か
  • 御朱印は境内に隣接する宮司宅でいただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁

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