水海道天満宮と梅明神|常総市

この記事でわかること
  • 由緒と御祭神
  • 境内社の一六神社について
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

かつて県西地域に広がっていた飯沼周辺には数多くの天満宮、あるいは天満神社が鎮座しています。

御祭神である菅原道真公の遺骨が常総市に埋葬されたという伝説もあって、古くから人々に信仰されていたようです。有名なところでは大生郷天満宮や東蕗田天満社あたりでしょうか。

今回はそんな地域の天神信仰を担った常総市の水海道みつかいどう天満宮についてシェアします。正式名称は天神社ですが、地域を代表する神社として「水海道」を付けて呼ばれます。

水海道天満宮とは

水海道天満宮

水海道天満宮

由緒

延暦16年/797年
創建
坂上田村麿、東征ため下総国森谷(守谷)軍を進めた際、当地の武人・足葉広武の奇襲に遭い軍を引く。
逃げた先で梅明神に救われたことで同神を祀り戦勝を祈願し創建とする
延元4-正平23年/1339-1368年
勧請
菅原道真公の神霊を勧請し合祀。天神社と改称する
永禄9年/1566年
本殿再建
水海道城主・田村弾正一族の氏神として崇敬され社殿を再建
明治6年/1873年
村社列格
明治40年/1907年
社殿再建
宮司および氏子総代協力して神社の基本財産を造成。旧車地を改修して社殿を再建
昭和59年/1984年
文化財指定
本殿が市の文化財に指定される
平成2年/1990年
社号標建立
平成7年/1995年
鳥居(東)建立
平成15年/2003年
撫牛建立
平成24年/2012年
鳥居(南)再建

御祭神は天神(天満大自在天神)こと菅原道真公です。また、八坂大神と田村麿を救った紅梅姫命(梅明神)を配祀しています。

『茨城県神社誌』には創建の詳細が記載されていませんが、紅梅姫命を配祀としていますので伝承自体は古くからあったのでしょう。天満宮の多くは梅を神紋としていますので、「梅明神」との関係は気になるところですね。詳細を知りたい方は下のタブをクリック。

当神社の創祀は定かではないが、社伝によると、桓武天皇延暦十六年(799年)坂上田村麿が征夷大将軍として、東国征定のため下総国森谷(守谷)に軍を進めて来た時、当地方の武人足葉広武なる者七千余騎の軍勢を率い、田村麿の陣内に奇襲をかけ、田村麿の軍を駆け散らしたと云う。

田村麿は思いがけない奇襲にやむ得ず兵を引くが、その前方は大海のような大沼があり、それ以上進むことが出来ず、後からは足葉軍が怒涛の如く責め寄せてくるし、田村麿大いに困り果て、これが一生の終りかと観念したが、その時突然前の大沼、不思議にもにわかに沼水が逆立ちに巻き上り、その中から一人の姫が現れ「如何ニ田村麿」と声をかけたと云う。

田村麿馬を降りて「不思議ヤ例ナラヌ女此ノ沼ヨリ出デタリ何者ナル」と尋ねれば「我ハ是此の処に跡ヲタレシ梅明神ノ霊ナリ。汝此度勅ヲ請ケ東夷征伐ニ来ル所ニ計ラザリキ、今急難ニ遇イリ、我今汝ニ見エ、急難ヲ救ワンタメニ現ワレタリ・此水筋ヨリ西ニ向ヒテ沼ヲ超エタランニ、水膝ヲ過グマジキ」と云われた。

田村麿大いに感激し神勅に身をまかせようと立ち上がれば姫は何処ともなく姿を消してしまった。田村麿郎党を伴い沼に入れば神勅に疑いなく、水は膝を越すこともなく西に向かって三里程進むと丘に辿り着いた。そこは今井と云う所であった。田村麿一行は危うき急難を逃れることが出来たと云う。

これは梅明神の御加護であると感謝をし、その丘に祠を建て梅明神(紅梅姫)を祀り戦勝を祈願したと云う。つまり田村麿が上陸した丘が現在の天神社の境内であり、天神社の前身である。

 その後南北朝時代、後村上天皇の御代(1340年頃)に菅原道真公の神霊を勧請し合祀して、社名も「天神社」と改称し、現在に至る。

それにしてもミステリアス。田村麿を襲ったという「足葉」なる人物の姓は辞典で調べても出てきませんし一体何者なのか。天神社の社号は道真公の合祀以降とのことで、それまではなにか独特の信仰があったかもしれませんね。

水海道祇園祭の神輿

水海道祇園祭の神輿

八坂大神の配祀は近年のことです。大正15年(1915年)に橋本町の水海道八幡宮に森下町の八幡社が合祀されて以降のことで、現在は同八幡宮と交替で祇園祭を執り行っています。(関係記事:水海道八幡宮

祇園祭の駅周辺

祇園祭の駅周辺

写真は2019年の祇園祭の様子。ふだんはあまり人通りの見られない駅前も祭りの日はまっすぐ歩けないくらいです。それはもう賑やかなものでした!

wata

当社と八幡宮は水海道城主である田村弾正一族の氏神とされていました。後者は鬼門除けとされていたそうですから、城の南西(裏鬼門)に位置する当社も同様の役割だったのではないでしょうか

菅原道真についてはこちら

アクセス

最寄りICは常磐道の谷和原IC。下りてから約10分です。

駐車スペースは境内の東側に十数台分ありました。初詣などは埋まっている場合がありますが、通常は問題なく駐車できるでしょう。

最寄り駅は常総線の水海道駅です。約1kmの距離なので10分ほど歩けばたどり着きますよ!

名称 天神社(通称:水海道天満宮)
住所 茨城県常総市水海道天満町2487
駐車場 あり

鳥居

鳥居

鳥居

水海道を代表する神社ですが、大きな通りから少し入ったところにありますので意外に知られていないかもしれませんね。

境内の入口はなかなか立派。鳥居は2012年の再建と新しいので震災の影響もあったのかな。。

白梅

白梅

境内は道真公の神域らしく紅梅の梅が植えられています。2月下旬から3月上旬にかけてが見頃ですので、ぜひ都合が合えばその時期に!

手水舎と菅原神社

手水舎

手水舎

天満宮らしい梅紋の屋根が美しいですね。

龍の口

龍の口

手水鉢の龍はだいぶ年季が入っているようで苔と一体化しつつありました。

手水舎裏の小祠

手水舎裏の小祠

鉢の裏手には小さな祠。位置的に御祓となにか関係があるのでしょうか。こうした祀り方については勉強不足なのでいつかこのブログでは説明したいものです。

菅原神社の石碑と梅

菅原神社の石碑と梅

ちょっとわかりにくいのですが、手水舎の隣には「菅原神社」の碑がありました。もしかしたら、当社とは別の神社を遷座したのかもしれませんね。

手前には見事な枝振りの梅が植えられており、小さいながら立派に神の坐す場として丁寧に整えられていました。

撫牛

撫牛

撫牛

手水舎から拝殿に向かおうとすると右手に大きな牛が座っています。祈りを込めて撫でれば健康になるのだとか。頭を撫でれば賢くなっちゃうらしいです。

道真公は乙丑の年に生まれ、丑の日に亡くなりました。また、遺骨を載せた牛車が埋葬地を定めたとする伝説などから、牛との関係が非常に深いとされています。

道真公の神号の天満大自在天神の「大自在天神」はバラモン教のシヴァのことなのですが、シヴァは牛に乗って描かれるこがあります。そこから道真公と結びついたのかもしれませんね。

社殿

拝殿

拝殿

近年再建されたようで真新しい社殿となっております。ふだんから戸を開放しているようで本殿に向かってお参りできますよ。

当社には正月の2日にも参拝してきました。ご家族の参拝者が多く、夕方だというのに拝殿前には行列ができていましたね。

本殿は文化財に指定されており、市の公式サイトでその姿を見ることができます。

天満宮は御祭神の学問の神様としての面がずいぶん強調されているように感じます。勉強ができて損はありませんし、多くの子供は受験しますので自然なことではありますが。。

古くは水害などの水厄除けが主たる祈願だとわたしは思っているんですけどね。当社のすぐ西にも鬼怒川が流れていますし、飯沼周辺に神社が多いのも水害に関係あると考えています。

ここからは適当に読み流して欲しいのですが、道真公の愛した歌や馴染みの深い牛(丑)というのは五行説で言うところの土気にあたります。(丑は水気も兼ねる)

土気は、「土剋水」といって水気を抑えると考えられてきたので、道真公を祀ることは溢れる水気(洪水などの水害)を予防することに繋がると思うのです。

五行説は明治以前の教養人であればある程度は知っていたはずです。ただ、残念なことにそうした思想を残した文献がほとんどないんですよね。まぁ、五行説との民俗の繋がりは強いと確信しているので気にせず書き続けますけど。

境内社:一六神社

一六神社

一六神社

非常に興味深い境内社を発見しました。拝殿の向かって左手に鎮座する一六いちろく神社です。

パンフレットにあった由緒は次のようになっています。

この地方に市場が出来たのは寛永年間と云われ、当時月斎一、六の日に市を開いたのが起源とされる。その中世の水海道の商業の発展を担った市場の守護神が一六神社である。元は横曽根にあり、その後元町、栄町と時代の変遷と共に移り現在は天神社境内に移った。
 昔、横町に松崎吉五郎という侠客がいた。その吉五郎がある時、病に伏した折、神前に鰯を備え祈願したところ病が治り全快したと云う。又、ほうきを持って社の周りを掃き清めると病が治ると云われる。災厄を除き福徳を招く開運招福の神として広く信仰される。

御祭神は大巳貴おおなむち少彦名すくなひこなです。

一六神社の社殿

一六神社の社殿

初めに注目したのは「ほうき」で掃き清めると病が治るという部分です。神にご奉仕するとご利益が得られるかのような書き方ですが、要点はそこではないはずです。(境内の由緒書ではほうきを供えれば病気完治・大願成就とある)

ほうきは古くから神が宿る不思議な道具とされており、祭具として用いられることが多々あります。民間信仰には出産を助けるほうき神なる神もいたりして。

しかし、民俗学者の吉野裕子さんは「ホウキ」は「ハハキ」が転化したものとし、本来は蛇神であるといいます。似た響きなので転化はわかるにしても、なぜ「ハハキ」が蛇になるのか。

その根拠のひとつは『古語拾遺』に大蛇の古語が「ハハ」と記されていることです。今でこそ蛇は人間から嫌われていますが、その形と特殊な生態により古代から人類の祖であり生命の根源とされていたようです。記紀の神話にも蛇は数多く登場しますよね。

吉野さんは「ハハキ」は蛇樹へびのきという意味で具体的には蒲葵という植物を指すとしています。蒲葵はその幹の形が蛇を思わせ、葉が丈夫で使いやすいことから加工してホウキとしても使われていました。ですから、ホウキは蛇神としての力を期待されていたのです。

当社の由緒ではホウキが神社と関連付けられていますから、おそらく祭神も蛇神の神格なのでしょう。大巳貴命と少彦名命のコンビは三輪山の信仰が伝わる過程で大物主命(神話では蛇の姿)から変化したと考えられます。茨城では県央から県北地域にかけて特にそのような形跡が見られます。

そこで市場の話です。市場を開けばお金が儲かる。ということは市場の守護神である当祭神は「金」の神様と言えるのではないでしょうか。

五行説で考えてみましょう。金は金属。金属といえば金気。金気を生み出す三合の法則は「巳に生じ、酉に栄えて、丑に死す」です。つまり、お金はへびから生まれるのです。金運の女神である弁財天が蛇神だとか蛇を使いにしているとか言われるのもそうした理由です。

ちなみに三合の法則が発動した場合、本来は火気に属する巳が金気に変化します。こうした法則については紀元前に書かれた中国の文献『淮南子』などにも記されていますよ。

社号の一六も五行説で読み解けそうですね。例えば、二つの数字を足すと七となり、火気の成数を意味するとか。成数は巳の力を後押しする効果があります。さらには七は九星で西を意味するのでやはり金を生み出すとか。色々考えられますね。

鰯を供えて病が治るというのは、鰯の字に由来するのではないでしょうか。魚へんと弱のつくりが気になります。巳は火気なので水気が弱点です。鰯は魚なのでもちろん水気ですが、文字通り弱いわけですから火気に負けるはずです。水気を克服した火気は無敵なので御神徳により病すら治すという理屈が成立するのではないでしょうか。

ちょっと屁理屈入っていますけど、本当にこういう考え方があったと思うんですよね。何気ない参拝で大いに楽しませていただきました♪

wata

五行説の相生という法則では「火生土」といって火気は土気を生むとされます。巳は火気、人間は土気ですから、ホウキ(巳)は人間の誕生、つまり出産を助けるわけですね!

三喜稲荷神社

三喜稲荷神社

三喜稲荷神社

令和三年に建てられた鮮やかな鳥居が目印の三喜稲荷神社。社号標には「福禄寿の神」と称されています。

当社は水海道の三委自動車(株)の社長であった染谷三喜氏が昭和28年(1953年)に伏見稲荷を勧請して創建されました。当初は企業の守護神として祀られておりましたが、平成13年(2001年)に同氏が亡くなった際の遺言により氏神の当天満宮に遷されたそうです。

水海道屈指の企業だったこともあり、今では3つの喜び(浄福、福禄、長寿)を授ける神社として崇敬を集めているのだとか。どれもありがたいご神徳ですね。

社殿自体に大きな特徴はありませんが、山盛りの塩(神饌)が特徴的。

山積みの神饌

山積みの神饌

ちなみに狐は姿が黄色いことから土気の動物とされ、それ故に金気、すなわち金運を呼ぶとされています。山も土を積み上げたものですからやはり土気なのです。

こうした小さな工夫が巡り巡っていつかご利益として還元されることがあるんじゃないでしょうか♪

御朱印

水海道天満宮の御朱印

水海道天満宮の御朱印

水海道天満宮の御朱印です。社殿向かって右手の授与所でいただきました。

お正月だったので巫女さんが対応してくださいましたが、普段は授与所兼社務所のインターホンを鳴らしてからいただくかと思います。

天満大自在天神は道真公の神号です。お寺であれば御朱印に本尊の名を書くのが一般的ですが、神社ではユニークですよね♪

まとめ

この記事のまとめ

  • 天神社以前に別の信仰があったと考えられる
  • 水海道城の裏鬼門に鎮座する
  • 御朱印は社殿右手の授与所でいただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社

この記事で紹介した本はこちら

神社巡りの初心者におすすめ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA