- 由緒と御祭神
- 五行説で見る境内
- 御朱印のいただき方
八幡大神といえば源氏の守護神。八幡太郎こと源義家とも縁のある神様です。
中世の常陸国は佐竹氏が多くの領地を持っていたので、八幡宮(あるいは八幡神社)もたくさんあったのですが、水戸藩の寺社改革のよってその多くは失われてしまいました。
残った八幡宮は数えるほど。その中でもっとも由緒あると思われるのが、常陸太田市の馬場八幡宮ではないでしょうか。
ということで、今回しっかりとご紹介したいと思います。有名な神社なので陰陽五行説を用いた一風変わったスタイルでお届けしますよ!
町中に鎮座し、非常に参拝しやすくなっておりますので市内の観光にあわせて足を運んでいただけたらと嬉しいですね〜!
wata
馬場八幡宮とは

馬場八幡宮
由緒
御祭神は以下のとおりです。
- 誉田別命(応神天皇)…主祭神
- 息長帯比売命(神功皇后)…配祀
- 比売大神(市杵島比売命・湍津比売命・田心比売命)…配祀
当社は水戸藩の寺社改革で処分を受けなかった四社の八幡宮のひとつとして知られています。残りの三社は高萩八幡宮(高萩市)、水戸八幡宮(水戸市)、若宮八幡宮(常陸太田市)です。
12世紀頃から太田郷の総鎮守でしたが、若宮八幡宮が現在地(当地から約1.4km離れた宮本町)に遷座したことにより馬場、増井、上大門、下大門、新宿一部の総社になりました。
非常に由緒ある神社なので、徳川光圀公(以下義公)が旧領主(佐竹氏)の影響力を削ぐために行った「八幡つぶし」や「八幡改め」から逃れたといわれます。でも、わたしはそうした見方に慎重。
幕府は寛文5年(1665年)に諸宗寺院法度(寺院諸法度)と諸社禰宜神主法度(神社条目)を制定して仏教と神道に対する統制を強めました。水戸藩の改革はそうした方針に沿ったものであり、藩主の思想信条によるとは思えません。真面目に法度に従うと水戸藩のようになるのでしょう。
当社の祭神は応神天皇(誉田別命)です。「天皇」は北極星を神格化した「天皇大帝」に由来するといわれます。これは古代中国で生まれた言葉ですね。
北極星は文字通り「北」の象徴です。そのため当境内には北にちなんだものがいくつも見つけられます。宝探し感覚で参拝できて楽しいのですが、陰陽五行説の知識が少しだけ必要なのでまだご存じない方はここで勉強しておきましょう!
この記事では上の図の理解が重要になります。なんども見直していただきたいのですが、覚えると自分で参拝する時にも役立ちますよ!
wata
アクセス
最寄りICは常磐道の常陸南太田です。下りて約13分(8.7km)です。
駐車場は境内東側に広がっています。一見広々としているのですが、駐車できる台数は少なく祭りの日は停められないかも。。
電車の場合は水郡線の常陸太田駅ですね。約2.8kmほどなので徒歩だと35分ほど。ちょっと厳しいですね。
名称 | 馬場八幡宮 |
---|---|
住所 | 常陸太田市馬場町574 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
鳥居

大鳥居
こちらが大鳥居。立派な両部鳥居ですね。鳥居の前は車道になっていますが、交通量はあまり多くないのでついつい正面から写真を撮ってしまう。
社号に馬場とありますので、昔の鳥居は楼門からもっと離れていて流鏑馬ができるくらい参道が長かったのでしょう。流鏑馬の記録は寛治6年しか見られませんけどね。
当社は鳥居、社殿ともに南向きです。神社としてはよくあることなのですが、「天皇」の居場所は「北」なので南向きが自然なんですよね。

ほまれ之塔
鳥居の右手には誉田地区戦没者の慰霊塔「ほまれ之塔」がありました。同地区はかつて誉田村だったそうです。
祭事表
鳥居の先、右手側に祭事表が置かれていました。年間行事の案内ですね。
元旦祭や節分祭は日程やその意味についてよく知られていると思います。夏祭りは祇園祭と同じような意味合いでしょう。(厄除けと暑気払い)
わかりにくいのは春季例祭と秋季例祭でしょうか。日程が定められているということは、その日でないといけない理由があるはずですよね。


こんなときに役立つのが陰陽五行説。たとえば春季例祭には次のような意味があると思います。慣れないと難しいので頑張ってついてきてください!
春季例祭の日程は新暦の5月5日。5月は旧暦だと午、新暦だと未の月となりいずれも火気。5日の5は土気の生数。火気と土気の関係は「火生土」。つまり、この日程は土気を生むためのもの。
なぜ土気を生むのかといえば、土気は金気を生むためです。金気は秋を意味しますので春季例祭とは秋を呼び込むために行うのです。春季といっても旧暦では夏なのでおかしくはありません。
同じ考えで秋季例祭を考えてみましょう。8月は酉月で金気、16日は1と6に分けて考えますが、1は水気の生数で6は水気の成数です。金気と水気の関係は「金生水」。つまり、水気を生みます。
水気は冬を意味しますので、秋季例祭は冬を呼び込むためのものですね。
昔の人にとって滞りなく季節がめぐることは何より大切でした。どの季節が欠けても生活に関わりますからね。それで願いを込めてこのような日程にしたのだと思います。
もちろんそれぞれの季節が訪れたことに感謝する祭りでもあるのでしょう。その辺は祝詞を読めば確かめられると思います。
wata
陰陽五行説に興味を持ったらこの本から
楼門

楼門
境内由緒には応保元年(1161年)に佐竹隆義によって楼門が建てられたとありますが、さすがに当時のものではないでしょう。

正月飾り
近づくと素敵な正月飾りを発見。この日は1月の終わり頃。まもなく旧暦のお正月を迎えるところでした。
赤い実は千両と南天かと思います。後ろには松もありますね。
それぞれめでたい由来があるのですが、注目すべきは総じて常緑樹。緑(青)は五行説で春(木気)を意味しますので、まさに新春を迎えるための彩りです。
ところで、千両や南天によく似た植物に柊があります。節分の日に玄関に飾る葉がトゲトゲしたあれ。じつはそれが当社の御神木です。(見つけられなかった)
御神木といえば杉や檜が多いのでとっても珍しいですよね。なぜ柊?おそらく漢字に「冬」があるため水気とみなしているのでしょう。「北」の宮に相応しい御神木というわけです。
創建の場

創建の場
楼門をくぐるとすぐ左手に小さな祠が建てられています。手前に案内板があって「馬場八幡宮始まりの場所」とありました。
由緒に大きな石の上に石清水八幡宮から分霊をしたとあるのは、ここのことなんですね。まさに伝説のスポット!
石の上に神様というと「石座」を連想しますね。ただ、石は金気でもありますから、先程ご紹介した「金生水」で水気の八幡神を呼んだとも考えられます。興味深いことです。
社殿

拝殿
ものすご〜く明るい緑色が特徴の拝殿。寄棟造りでなんだか可愛らしいですね。

亀の彫刻
正面上部に亀さん発見!この亀はおそらく北方の守護神である玄武でしょう。八幡宮に相応しい彫刻ですね。

絵馬
大きな絵馬もいくつか掛けられていました。こちらは昔の八幡宮のようですね。小さく玄武の彫刻も描かれていました。
この絵馬、かつて催された流鏑馬、そして馬場という地名。なにやら馬(午)にちなんだものが多いと思いませんか?午は夏(火気)のど真ん中、つまり真夏ですから、天皇を祀る「北」の宮には相応しくないように思えます。
真夏は暑さのピークですから、見方によっては冬のはじまりともいえるのです。昔の人はこうした「兆し」や「バランス」を大切にしていたので、北の宮であっても南のシンボルや行事が多いのでしょう。

本殿
本殿は天正8年の建立。市指定文化財になっています。
佐竹義宣が当社から分霊して創建した水戸八幡宮の本殿(国指定重要文化財)と似た造りとなっており、桃山時代の建築様式が見られる貴重な建造物です。
佐竹氏との関係といい境内の特色といい常陸太田を代表する神社ですね。お近くによった際にはぜひお立ち寄りください♪
御朱印

書き置きの御朱印
馬場八幡宮の御朱印です。授与所でいただけますが、この日は拝殿に置かれていました。

授与所
こんなご時世なのでアマビエちゃんのお守り付き。ありがたいことです。
まとめ
この記事のまとめ
- 御祭神は応神天皇、天皇を祀る北の宮らしい境内
- 江戸時代、水戸藩に潰されたり改められなかった八幡宮として有名
- 御朱印は拝殿前か授与所でいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社
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