【鳥】宮本の若宮八幡宮|常陸太田市【仁徳天皇】

この記事でわかること
  • 由緒と御祭神
  • 当社と「鳥」の関係
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

八幡社といえば、稲荷神社に並ぶほどポピュラーな神社。しかしながら、茨城の県央から県北にかけては大きな八幡社が見られません。

水戸藩の寺社改革の結果でもあるのですが、それでは残った八幡社はどんな神社なのでしょう。

今回はそのひとつである若宮わかみや八幡宮についてシェアします。非常に個性的なので、ぜひ覚えていただき参拝にお役立てください!

安良川の高萩八幡宮|御朱印・駐車場|高萩市

若宮八幡宮とは

若宮八幡宮

若宮八幡宮

由緒

応永元年/1394年
創建
佐竹義仁が鎌倉八幡宮の神影を太田城の守護神として太田稲荷とあわせて鎮祭。
鎌倉から巫女鶴子が来往して数代に渡って奉仕
慶長14年/1609年
寄進
徳川頼房、七歳の時に病に陥るが、当社の霊験により完治。以来崇敬篤く圭田を寄進
元禄5年/1692年
徳川光圀参詣
徳川光圀、当社に参詣。稲荷明神神体の石剣を稀有のものと賞する
宝永5年/1708年
遷座
中山備前守により太田村の鎮守社として現在地に遷座。朱印地10石、除地7石3斗8升5合を授かる
安永7年/1778年
正一位の神階を授かる
稲荷大明神に正一位の神階を授かる
天保年間/1830-1843年
別当の廃止
別当の蓮華寺を廃し、宮司を茅根道愛とし唯一神道となる
天保14年/1843年
遷宮式
弘化4年/1847年
本殿葺替修営および造営
稲荷神社本殿の葺替修営および造営(棟札)
慶応2年/1866年
拝殿屋根葺替および瑞垣造営
明治5年/1872年
村社列格
明治14年/1881年
郷社列格
明治21年/1888年
大金灯籠建立
昭和9年/1934年
社務所焼失
昭和10年/1935年
社務所再建
当町出身の梅津福次郎の寄進により再建
昭和28年/1953年
社殿大改築
昭和46年/1971年
文化財指定
ケヤキが県の天然記念物に指定される
昭和48年/1973年
文化財指定
絹本著色僧形八幡画像が市指定文化財になる
昭和60年/1985年
社殿造営
本殿の修復および幣殿・拝殿の拡張、瑞垣・内庭の改造、授与所の新築、稲荷神社の本殿を総欅造りにて建立
平成23年/2011年
東日本大震災で被災
一の鳥居および大金灯籠が崩れる
平成24年/2012年
一の鳥居再建
令和2年/2020年
大金灯籠再建

御祭神は大鷦鷯おおささぎ尊(仁徳天皇)倉稲魂うかのみたまです。若宮八幡宮とは、八幡神(誉田別命=応神天皇)の若君(子息)の宮という意味なんですね。じつは今回初めて知りました。

仁徳天皇といえば「聖帝ひじりのみかど」と呼ばれ「民のかまど」の逸話が有名ですね。民のかまどに煙が立っていないことから困窮を察して税を許したといわれています。

『日本書紀』ではその際に次のように述べたとあります。

「天が君を立てるのは、百姓おおみたからのためである。だから、君は百姓をもってもととする。かつての聖王は、一人でも飢えたなら、自らを顧みて責めたという。いま百姓が貧しければ、ちんも貧しい。百姓が富めば、朕も富む。百姓が富み君が貧しいということは、未だない」(現代語訳)
現代語 古事記/竹田恒泰

あまりに理想的なので、これが事実か定かでありません。しかし、重要なのはこれが理想の君主像として正史に書かれていることでしょう。書いたからには矛盾はできません。

一方、仁徳天皇は恋多き男性で皇后の嫉妬に頭を悩ませたとも。最終的には説得して和解しますが、そちらの方が貧しい生活よりも大変だった様子。なんでそんなこと歴史書に残した。。

当社は応永元年(あるいは応永年間)に佐竹義仁(義人とも)によって創建されました。ただ、同者は応永初期の生誕なのでちょっとだけ時代が合わないような気がします。

創建に関連して興味深いのは常に稲荷神社と一体であることですね。社号には八幡宮としかありませんが、現在も本殿は2つ並んでいて強い稲荷信仰が見受けられます。

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創建当初は太田城内でした。太田城は舞鶴城とも呼ばれ、居鶴(鎌倉鶴岡)、立鶴(羽州秋田)と合わせて三鶴といわれていました。奉仕した巫女も「鶴子」といいますし、面白い繋がりですね

仁徳天皇についてはこちら

アクセス

最寄りICは常磐道の常陸南太田です。下りて約11分(7km)です。鳥居の前に3台ほど駐車できますが、不安であれば境内東側に大きな駐車場があります。

電車の場合は水郡線の常陸太田駅ですね。約1.6kmほどなので徒歩だと20分ほどかかります。

見晴らしのいい境内

見晴らしのいい境内

神社は鯨ヶ丘と呼ばれる高台に鎮座しており、境内からこのような市内の風景を見ることができます。

名称 若宮八幡宮
住所 茨城県常陸太田市宮本町2344
駐車場 あり
Webサイト 公式サイト
SNS

鳥居

鳥居

鳥居

一の鳥居がこちら。白く輝く鳥居は震災の翌年に再建されたもの。県北に位置する常陸太田は震度6程度の揺れがあったので、被災した寺社は少なからずありました。

玉垣(向かって左)

玉垣(向かって左)

玉垣(向かって右)

玉垣(向かって右)

鳥居の下辺りの玉垣にはこのような彫刻が。「東京大伝馬町」。。当地ご出身の方かもしれませんが、『茨城県神社誌』には氏子のほかに崇敬者1000人とあるのでそちら可能性もあります。

一見して決して大きくない当社になぜそんなに崇敬者がいるのか。単に由緒あるだけでなく、後述するような個性があるためではないかと思います。

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当社は産業繁栄の神にして、戌亥年生まれの方の守り神といわれています!
MEMO
写真右下の砂利の辺りが駐車スペースです。

天然記念物の「ケヤキ」

天然記念物のケヤキ

天然記念物のケヤキ

鳥居の先には巨大なケヤキが待っていました。平成20年の計測では次のようになっています。

幹周り   :11.4m
根本    :25m
樹高    :約30m
最大枝張り :約20m
樹齢    :640年

樹齢640年ということは当社の創建よりも古く、遷座の時点で樹齢300年以上。もしかしたら造営のきっかけになったかもしれませんね。

見た感じではさほど傷んでいませんので、まだまだその生命を繋げていけそうです。

神門

手水舎

手水舎

参拝前に手水舎でお清め。かなり立派な建物です。石造の鉢は天保15年に寄進されたもの。古い!

手水舎の千両

手水舎の千両

飾られていたのは千両かな?南天や万両と似ていますけど、実が葉の上に付くのが特徴です。この日はまだ1月だったので正月飾りの残り、あるいは旧暦の春を迎えるためにあったのでしょう。

神門

神門

境内を見事に仕切る神門。神域として風格が増す立派な造りですね。

拝殿

拝殿

拝殿

入母屋造、銅板葺きの拝殿です。錆によって屋根がいい色合いになっていますね。鮮やかな扁額なので遠くからでも視認できます。

稲荷神社を含む扁額

稲荷神社を含む扁額

扁額は2つありまして、奥まったところの扁額には稲荷神社の社号もありますよ。

鳳凰の彫刻

鳳凰の彫刻

扁額の手前には鳳凰ほうおうと思われる彫刻がありました。当社は太田城(太田御殿)から南に遷座されましたので、四神獣のうち南を守護する鳳凰が選ばれたのでしょう。

もしくは神武天皇の東征を助けた金鵄きんしかもしれません。とにかく「鳥」ということですね。じつはこれには重要な意味があるのではと思います。

当社の祭神の大鷦鷯尊の鷦鷯みそさざい」は鳥の名前です。『日本書紀』によれば、本当は尊と同日に生まれた武内宿禰命の子の名前でしたが、なぜか子どもの名前を交換して名付けられました。

また、当社の例祭の日取りは旧暦8月15日です。8月は酉(鳥)月であり15日はそのど真ん中ということになります。

若宮八幡宮といっても大鷦鷯尊を祭神としない場合は多いですし、例祭が8月とは限りません。つまり、これらは当社が「選んだ」結果であり、鳥にちなむ独特の信仰があると思われるのです。

本殿

2つの本殿

2つの本殿

若宮八幡宮には稲荷神社と八幡宮にそれぞれ本殿があります。遷座したにもかかわらず、二社が区別されているのは興味深いことです。関係が深いなら相殿としてもおかしくありません。

では、この二社にはどのような関係があるのか。せっかくなので明治以前に浸透していた陰陽五行説で考えてみましょう。

まず、当社は祭神および例祭から鳥に対するこだわりを強く持っています。鳥は五行説において金気の中央に位置し五気の中でもっとも強力な気です。

金気と稲荷神社の関係は明白です。稲荷さまことキツネは体が黄色いことから土気の象徴とされてきました。土気は金気を生む土生金という法則を持っています。

法則によって生まれた場合は、通常の気よりも強力とされます、ですから、当社が太田城内に創建された際、もしくは同時期に稲荷神社はすでにあったのでしょう。

では、どうして金気にこだわるのか。それは創建時に起きていた佐竹氏の内紛に関係すると思います。

『茨城県神社誌』の当社の社伝によると、創建は居城の「青龍城中」だったとあります。

「青龍城」は太田城の別名です。そして青龍とは四神獣として東を守護する存在です。この東が朝廷なのか鎌倉府を意味するのか不明ですが、「東の城」として間違いないでしょう。

創建当初は佐竹氏が後継問題で揉めており、佐竹義仁はその収束のために関東管領の上杉家から送り込まれました。つまり、義仁はなんとかして「東」をまとめる役目だったのです。

そこで陰陽五行説を用いたと考えられるのです。東は木気に属しますので金剋木の法則を利用して落ち着かない木気を抑えつけようとしたわけです。

当社社宝の僧形八幡画像は錫杖を持ち、斜め向きに座す姿で、袈裟には金泥で文様が施されているそうです。同画は創建時に義仁が描写したといわれており、金泥は金気を意味するのでしょう。

要するに東の統治に必死だった佐竹氏は陰陽五行説による呪術にも頼ったのだと思います。一般的な八幡宮と異なる点が多いのはそのせいでしょう。

五行説では特定の気が極端に大きくなるのを危険視します。そのためか当社では金気を抑える火気の祭り(初午祭や5月例祭)がしっかり行われていますよ♪

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強力な金気により商売繁盛や金運上昇などのご利益があるとされたのでしょう。ここまで揃った神社はそうそうありません!

大金灯籠

大金灯籠

大金灯籠

参道の左手に見えるこちらの大きな灯籠が大金灯籠おおかなとうろうです。高さ約1.7m、台座を含めるとだいぶ高くて立派ですね!

こちらは太田が鋳物の町だった明治21年(1888年)に建立されたのですが、平成23年(2011年)の東日本大震災により倒壊。それが令和2年(2020年)になって再建されました。

灯籠は桜川市の業者によって原型を維持しつつ修復され、補強が加えられました。新たな土台部には再建に尽力した方々の名前が並べられているのですね。

それにしてもかつて太田が鋳物の町だったとは知りませんでした。読売新聞の記事によれば、江戸時代に烈公の命で大砲の製造を請け負ったことがあるそう。また、昭和の東京オリンピック(1964年)の聖火台を製造した鋳物師も太田で修行していたのだとか。知られざる歴史ですねぇ!

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さすが金気の神社!金属を扱うお仕事にもご利益があったのかもしれませんね

御朱印

若宮八幡宮の御朱印

若宮八幡宮の御朱印

若宮八幡宮の御朱印です。現在は書き置きになるかと思います。

参集殿

参集殿

参道右手の参集殿からどうぞ。兼務社の長幡部神社の御朱印もいただけます。

【式内社】機織の神を祀る長幡部神社|常陸太田市

まとめ

この記事のまとめ

  • 御祭神は大鷦鷯尊(仁徳天皇)、佐竹氏が太田城内に創建
  • 鳥と関係が深く、佐竹氏の東国統治の狙いがあったと思われる
  • 御朱印は参集殿でいただける。兼務社の長幡部神社の分も可

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社

この記事で紹介した本はこちら

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