- 由緒と御祭神
- 五行説で読み解く境内
- 御朱印のいただき方
wata
武甕槌命を祀る神社といえば鹿島神宮や鹿島神社とだいたい名前が決まっています。(祭神が複数の場合は別)
ところが、稲敷市には同神を主祭神としながら大宮大神なる社号を用いる神社があるではないですか!なんとも興味深いことです。
というわけで、この記事で詳しくご紹介します。。が、色々説明しているうちにかなり難しくなってしまった気がします。
難しいのはおそらく五行説の部分なので気になる方は「相生」「相剋」「三合」「成数」についてぐぐるか吉野裕子先生の本で勉強しましょう!ワンランク上の参拝ができるようになりますよ♪
大宮大神とは

大宮大神
由緒
御祭神は健御雷之命です。言わずと知れた常陸国の一の宮、鹿島神宮の御祭神ですね。配祀は次のとおりです。(明治期に合併した神社の祭神と思われます)
- 誉田別命
- 此花咲耶命
- 皇産霊神
- 宇賀玉命
- 表筒大神
- 菅原道真
- 高彦霊命
- 市杵島姫命
- 宇賀玉命
また、当社には次のような伝説が残されています。
鹿島の神は此の地の宮原の地に、香取の神は立切でご休憩なされ、猿田彦の導きにより現在の鹿嶋・香取の地に御鎮座しました。その後、その御在所の跡に神社が建立されました。
大宮大神のパンフレットより
『常陸国風土記』には天智天皇の代で初めて朝廷から鹿島に使いが渡り神の宮を建立したとあります。当社の創建はその前の出来事ということなのでしょう。
さて、それよりも興味深いのは創建の日付です。古代の創建にもかからず、月日まで伝わるのはかなり珍しいのではないでしょうか。
その疑問を深堀りするために今回も陰陽五行説であれこれ読み解いていきます。五行説は古代中国の哲学で漢字の伝来と共に日本に渡り民俗に影響したと考えられています。当社のパンフレット(表紙)にもシンボルがありますので無関係ではないはずです。

パンフレット
まずは創建年の意味を探ります。天智元年(668年)を干支にすると戊辰。続いて旧暦3月といえば辰の月。そして15日は。。私見ですが、やはり辰を意味すると思います。
15は3と5の倍数です。五行説では3を木気、5を土気の生数とし、15はその2つの気を持つと考えられます。そして木気と土気を併せ持つ十二支は辰のみ。
これは奇跡的な偶然とか予めそのようにしたというよりも、五行説の思想に基づいて後付されたのではないでしょうか。社殿の再建や造営の月日も同様です。(年は事実の可能性が高い)
なお、辰は五気のうち木気に属しますが、季節の終わりを含むため土気(土用と呼ばれる18日間)も併せ持ちます。つまり、発育と稼穡(種まきと収穫)の力を持つ農業にとってありがたい十二支というわけです。
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アクセス
最寄りICは圏央道の稲敷東。下りて約10分ほどです。
整備された駐車場はありませんが、鳥居の傍か鳥居の右手を進めば宮司宅の前に停められます。
名称 | 大宮大神 |
---|---|
住所 | 茨城県稲敷市伊佐部1710-4 |
駐車場 | あり |
鳥居

大鳥居
大宮大神の鳥居がこちら。あまり交通量が多くないので、わたしはこの通りの手前のあたりに駐車することが多いですね。
この先に社殿があるわけですが、境内は西向きとなっています。一般的な神社は南や東を向いており、鹿島神宮は北向きです。西というのはなにか特別な事情がありそうですね。

狛犬(阿)

狛犬(吽)
たとえば、西向きは東(極東)に位置することを意味するとか。方角の東は前に掲載した図のように木気です。

社号標
ちなみに鳥居の随分手前、あずま北小の辺りに社号標が建立されています。ちょっと気づきにくい。

天鈿女宮
さらにプチ情報。境内社で技芸上達の神社である天鈿女宮は鳥居からちょっと離れたところに鎮座しています。具体的な場所は記憶喪失なのでお伝えできません!!
手水舎

手水舎
鳥居の先を100mほど直進すると右手に手水舎です。建物と手水鉢のいずれも平成22年に奉納されたそうで、まだまだ新しく感じました。それにしてもスゴイ彫刻。
このご時世なので残念ながら水は張っていませんでした。まぁ、立派な鉢を拝めただけよかったとしましょう。
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神門

神門
当社最大の特徴はこちらの神門、そして風神と雷神の像です。
像は手水舎と同じ年に奉納されたものですが、以前(寛政8年)にもに土浦の仏師から奉納されたものが神門に安置されていたといわれます。
いまの石像はそれらの代わりというわけですね。なんでもこの2つの像は色々と偶然が重なってこちらに置かれるようになったそうですが。。

雷神像

風神像
風神と雷神の扱う風と雷はどちらも「振動するもの」として木気に属します。木気は五気で唯一の生命ですから、とにかく動くものや育つものに配当されることが多いのです。
そして「振動」にはちゃっかりと「辰」の字が入っていますから、これらは神社と御祭神に力を与える呪物といったところでしょう。
雷神の背中にある太鼓の数は木気の成数に由来して8個と決まっています。成数は気を活性化させた状態を意味する数で、各気の生数(元素を意味する)に土気の生数5を足したものです。
椿

椿
社殿を見る前に。。向かって左手に赤い花を付けた木が立っていました。遠目でわかりにくいですが、椿かと思います。椿は御神木とは別に神社のシンボルとされています。
椿は名前の通り「春」の象徴です。赤い花は夏(火気)の色でもありますので、季節のめぐりを意味する縁起の良い植物といえるのではないでしょうか。
春の植物といえば桜が思い浮かびますが、散る桜に対して椿は常緑樹です。神社ではよく榊などの常緑樹を祭祀に用いられるので、こちらもそのような用途があったりして。
茨城だと榊が少し育ちにくいのでヒサカキという少し葉の小さな似た植物を育てるのですが、それだったら椿で代用するのもいいかもしれませんね。なにせ当社は木気の神社なので!
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社殿

拝殿
大宮大神の拝殿です。健御雷之命を祀る鹿島神社ではまず見られない配色。朱色の社殿といえば稲荷神社や天満社ではないでしょうか。

本殿
本殿は一般的な流造。男千木で鰹木一本。立派な瑞垣で仕切られていました。

下がり藤の神紋
棟木等の神文は巴なのですが、『茨城県神社誌』に登録されているのは「下り藤」です。拝殿手前の天水受で確認できますよ。
それにしても独特な神社ですよね。健御雷之命を祭神としながら「鹿嶋神社」などと称しないのは、神宮から分霊したのではなく別の伝承に基づき創建したという独立心なのかもしれません。
境内社

境内社
本殿の背後に境内社が並んでいます。特別取り立てるものはありませんでしたが、この辺りは「宇賀神」を祀ることが多いようですね。
宇賀神はお稲荷様として知られる「倉稲魂命」と名前が似ていることから同一視されることが多いのですが、まったく別の神だと思います。
宇賀神は蛇神であり、この地方ではそのような石像も置かれていたはず。また、市杵島姫命とか弁財天も蛇と関係のある神様です。配祀にもいくつか見られますね。
当社は篤く辰を信仰する一方で周辺には蛇(巳)の信仰。「辰巳(巽)」という言葉があるように、この二支は一体として見られることもあるのでさらに奥深い何かがあるのかもしれませんね。
祭祀メモ
1月7日…御扉祭 氏子全員が未明に参拝。祭典終了後に初祈祷で家内安全を祈る。氏子中、元旦より1月7日のこの日まで大神の御眠中として鳴り物、香りのするものを慎む
9月1日…詣宮祭 早朝の祭典執行後、氏子全員当社を降り出しに氏子内の諸小社をもれなく素足詣する
10月19日…例祭
御朱印

大宮大神の御朱印
大宮大神の御朱印です。拝殿に参道の右手の社務所を兼ねた宮司宅でいただけます。
まとめ
この記事のまとめ
- 創建は天智年間、鹿島神宮へ向かう途中に建御雷神が休憩した場所といわれる
- 境内には辰や木気に由来するものが多々見える。農耕神として崇敬したのではないか
- 御朱印は参道そばの社務所兼宮司宅でいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社
この記事で紹介した本はこちら
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ