wata
たまにはわたしのよく知らない神社を紹介させてください。北茨城市の磯原町大字豊田に鎮座する鹿島神社に関することです。いや、正確には鹿島神社の境内社である豊石崖神社についてです。
その存在を知ったのは同地で活躍する衆議院議員・石川あきまささんのブログ(8月19日更新)です。そのブログによると大六天王祭が開催されたとのこと。「大六天王」とは耳慣れない言葉ではないでしょうか。
「大六天」は県内の散策を続けるわたしでもほとんど耳にしたことがありません。筑西市の山倉神社以外だと小さな祠で見たことがあるかも、という程度。
ただ、なにか惹かれるものがあるので分かる範囲でまとめます。もし、ここに書いてあること以上にご存知であればぜひ教えて下さいね。
豊田鹿島神社とは
由緒
御祭神は武御雷之命です。鹿島神社の御祭神といえばコレ一択ですね。日本神話最強の武神です。本営のある鹿行地域には不思議と少ないのですが、旧常陸国であればよく見かけます。
由緒を見ると創建の伝説として御祭神が泉の水をすくったとあります。それがどのような意味かは分かりかねるものの、元来は水に関係する神様だったのではと思います。ただ、二度ほど遷座しているので、現在地からだと泉(水)との関係がわかりにくいものになっていることでしょう。
ところで、『茨城県神社誌』の当社の「祭祀」の項目には境内社である豊石崖神社の例祭が記載されていますが、同社についてはほとんど何も説明されていません。当社の祭祀は元旦祭と祈年祭、例祭しかありませんから、それに境内社の例祭があるとなると、とりわけ重要と想像できます。改めてどんな神様なのかと気になってしまいますね。
アクセス
常磐道の北茨城ICを降りて約3分。道中に注意が必要ですが、整備された駐車場が用意されています。
名称 | (豊田)鹿島神社 |
---|---|
住所 | 茨城県北茨城市磯原豊田401 |
駐車場 | あり |
境内入口
大六天王を知った2日後、偶然にも周辺を訪ねる機会がありましたので、ここぞとばかり参拝。夕暮れ時の磯原はちょっと物寂しい雰囲気。ちなみに磯原といえば童謡などの作詞家として知られる野口雨情の出身地です。
神社は山の中腹あたりにあるらしく、車で登ってよいのか悩みました。しかし、こちらの鳥居の向かって左のあたりが駐車場となっているのでご安心を。ただし、絶対に車同士ではすれ違えないのでご注意下さい。
石段や鳥居、手水舎などに古さは感じません。いずれも平成期に修繕されています。祭りの参加者は多いように見えましたし、氏子は健在で活気が維持されているようです。
手水舎の屋根には上り藤の紋が見えました。社紋は左三つ巴なので寄進した氏子の関係でしょうか。
社殿
2つ目の石段を上った先に拝殿があります。扁額がセンターから少し外れているのは寄進者の芳名を優先的に社殿に掲げているせいでしょう。ずいぶんな数になっています。
また、非常にわかりにくくて申し訳ないのですが、社殿の正面の屋根にある紋は三つ葉葵です。おそらく元禄期に徳川光圀公が参拝して当社を総鎮守社にしたとする歴史にならってのことかと思います。
本殿は朱色の屋根をした流造。千木は見えません。龍、獅子、獏らしき彫刻は白く染められています。脇障子にあるのもおそらくは獅子。鹿島神社の社殿は簡素である場合が多いので新鮮です。
ちなみに境内の石碑によると祭日は4月10日。これはいわゆる例祭にあたるかと思いますが、『茨城県神社誌』には11月23日とあるので微妙に食い違っています。ただ、石碑のほうが時代的には古いので変わったのかも。
境内社
本殿の向かって左手には小さな社殿が立ち並んでいます。左から順に愛宕神社、金刀比羅神社(大物主命)、鷺森神社(月読命・大己貴命)、雷神社(別雷之男命)です。社殿に御祭神は記載されていませんが、『茨城県神社誌』を参考に追記しました。ただ、境内社はこの他にも多数あることになっています。
境内社:豊石崖神社
今回の参拝でもっとも気になっていたのは鹿島神社本殿に向かって右手にあるこちらの境内社。豊石崖神社です。先日あった大六天王祭はこちらの祭り。古くは8月23日でしたが、現在は週末にあわせているようです。
地元の方が書いたと思われる『新れいな日記』には昭和46年に作られた当社の由緒書が見えます。それによると創建は神護景雲年間、現在地に遷座されたのは享和年間です。
そのすべてが事実とは思えませんが、江戸時代まで遡る歴史であることは間違いないでしょう。その証拠が例祭の名前にもある「大六天王」です。
正直、わたしは大六天王が具体的にどう信仰されていたのか分かりません。手元の資料『仏尊のご利益功徳事典』によると、釈迦の悟りを妨害した天魔が大自在天であり第六天であるとされています。「第六天」と「大六天」は字が違うので完全に同じとはいえないかもしれませんが、第六天(別名:大自在天)については次のようにあります。
欲界を支配するインドの大魔王だったが、日本では国土を生成し、五穀豊穣をもたらす神として信仰された。
仏尊のご利益功徳事典|大森善成
続いて第六天について引用します。
「第六天」とは、私たち人間が所属している欲界の最高位の天界たる他化自在天のことである。欲界は三界(欲界・色界・無色界)のうちのひとつで、 一番下の天界が四天王天、次が帝釈天( 308ページ)のいる切利天というように、計6階層の天界に分かれている。下から数えて6番目の天界なので第六天という。他化自在天では、望むものはすべて叶えられ、この世では考えられない最高の快楽が、自由自在に得られる世界である。しかし、自分より下位の欲界に生きる者の自由を奪い、自分の楽しみとする(他の天が化作する楽しみを自在に奪う天=他化自在天)ので、魔王と呼ばれる。
仏尊のご利益功徳事典|大森善成
「第六天」は他化自在天という世界(天界)とその世界の王の両方の意味で使われているようです。王の場合の「天」は「毘沙門天」のような「天部」の意味かと思います。「大六天」は異名の「大自在天」と混在した結果なのでしょう。
『茨城県神社誌』によれば御祭神は大物主命です。ただ、引用元には神仏習合時代が終わると、第六天(大六天王)は、神道の天神七代の六代目である面足尊と惶根尊に置き換わることが多かったとのこと。また、千葉県香取に本営がある山倉神社のように、高皇産霊神、建速須佐男神、大物主神の三柱を祀る場合もありました。
当社の場合は山倉神社の系統なのかもしれません。この件についてX(旧:Twitter)でつぶやいたら、山倉大神の神体を祀ることに始まったという説を教えていただきました。ただし、そうだとしても御祭神はまったく同じではありませんから、豊田の土着の信仰と習合した可能性は高いと思います。
憶測満載で申し訳ございませんが、この曖昧なところもまた日本ならではで面白いところ。本にこう書いてあるから、と断言できないところが奥深さであり面白さではないでしょうか。
余談ですが、鎌倉時代後期に成立した『沙石集』によると、アマテラスが始元の海から大日如来の印文を探し出したことで、日本は仏教の栄える国となりました。ところが、それを仏教と敵対する第六天魔王がやってきます。アマテラスは自分が仏教に近づけないと説得(ウソ)して魔王を追い返したとか。それが伊勢神宮で仏教が忌避される理由ということです。
このお話にはアマテラスに変わってイザナギ・イザナミが活躍する(『古今和歌集灌頂口伝』)など様々なバージョンがあります。共通しているのは第六天(大自在天)は魔王であり、仏教を攻撃するということですね。これらは中世に発展した神話ということで『中世神話』と呼ばれます。
日本人は昔から想像力を豊かにして新しい神様や信仰を生み出していました。ちょっとわかりにくい大六天王に対する信仰もそのひとつではないでしょうか。魔王を大切にするってちょっと、いやかなり変わっていますものね。
それに本来は恐ろしいはずの魔王を御祭神とするのもユニークですね。これは大黒天や荼枳尼天(お稲荷様)がインドでは凶悪な存在なのに仏教に感化されることで強くて聖なる存在となったことに似ています。牛頭天王も似たようなものでしょうか。分からないことだらけですが、ぜひぜひ想像力を膨らませて参拝をお楽しみ下さい!
wata
まとめ
この記事のまとめ
- 大六天王祭は境内社・豊石崖神社の祭り
- 大六天王は仏敵の魔王とされる
- 大六天王は第六天や他化自在天、大自在天などとも呼ばれる
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/編:平凡社
この記事で紹介した本はこちら
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。