wata
茨城県の一本桜といえば、東の横綱が偕楽園の左近の桜、そして西の横綱が松岩寺の山桜です。基本ですよね。知らない方は茨城県の桜で番付表をチェックしておきましょう。
それでは松岩寺についてはどうでしょう。寺号だけだと高萩市にあることすらピンとこないかも…この記事でじっくりご紹介しますので、ぜひお花見の際に思い出して奥深く楽しんできてください♪
この記事でわかること
- 公式の由緒
- ヤマザクラについて
- 御朱印のいただき方
由緒
公式サイトを参考に由緒をご紹介します。
下相田村(元北茨城市花川町)竜寅寺の末寺として3世陽清寅によって開山。
開基は鈴木因幡守(大平五衛門ともいわれる)
※一節には慶長12年(1607年)、あるいは正保3年(1646年)に清恙によって開山といわれる
水戸藩の内原、林氏が検地を行う。寺内除地として八斗を得る
徳川光圀の命により上手綱長宏寺末となり、重山宗珍により再興
火災により天狗党の乱の際に花園山満願寺(現花園神社)から避難した大般若経600巻等を焼失
ご本尊は釈迦牟尼仏です。
有名なヤマザクラは樹齢300年以上といわれています。植えられたのは光圀公によって本末替えがあった頃でしょうか。「心機一転、結束を新たに」という心意気を感じます。
今でこそ周辺に立派な道路が敷かれていますが、かつては山奥に孤立した寺院でした。しかし、他に寺もなく信仰の要だったことから、村人が協力し非常にうまく運営されたと伝えられています。
寛文3年(1662年)の水戸藩の調査によると松岩寺の旦那は798人。高萩地域でもっとも旦那が多く、信仰を集めた寺院ということになります。
wata
平成11年(1999年) ヤマザクラ(県天然記念物)
アクセス
高萩ICから車で約30分。最寄りの高萩駅駅からも同じくらいかかります。なかなかの山奥です。駐車場は境内から道路を挟んで反対側に用意されています。広いのでほぼ確実に駐車できるでしょう。
松岩寺は常陸三十三観音霊場の台山寺の代番を務めています。観音像は廃寺となった台山寺にそのままありますので、お参りするなら以下の地図をご参考に。
上君田の交差点を北に進み、分岐を左に。
少し進むと鋭角に左折できます。ただ、車で進むのはちと不安があるかと。。ご安全に!
名称 | 君田山 松岩寺(曹洞宗) |
住所 | 茨城県高萩市下君田1569 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
松岩寺のヤマザクラ
松岩寺といえばヤマザクラ。駐車場から見える巨大なシルエットはなんともシンボリック。樹齢350年以上。幹周りは5.5m。圧倒的なサイズです。
ただ、ちょっと心配な枝ぶりですよね。『茨城県の桜』に次のようにありました。
平成31年4月撮影
【高萩市】松岩寺の山桜/茨城県の桜
平成25年以降上部の花付きが悪くなり、病気によるものとのことでした。
平成27年、樹勢回復のため枝が落とされました。
現在はたくさんの花を咲かせており、無事回復していると思います。
非常に高齢ですし、昨今の異常気象もあるので不安は残ります。でも、地域にとって大切な存在ですから、最後まで回復を祈りたいですね。
見頃は4月下旬頃。県内のヤマザクラでも遅いほうでしょうか。田植えの時期を知らせる役割(代見桜)もあったようで、地域のだれもが開花に注目していたことでしょう。
そういえば、地元の伝説によると松岩寺の位置する「君田」は南朝の天皇に献上するお米を作っていたことから名付けられたそうです。
wata
本堂
ヤマザクラを左手に見ながら石段をのぼり、山門をくぐれば本堂です。
約50年前に再建されたということで、比較的新しく見えますね。手前の石段が新しくなっているのは震災の影響かも。。境内には何箇所が崩れたような跡が目に付きます。
通常、扉は閉じられており中を見れませんが、公式サイトで内観が公開されております。ぜひご覧ください。
建物手前の蟇股を見ると。。佐竹扇!由緒ではほとんど語られませんが、地理的に考えれば佐竹氏との関係も深そうですよね。かつての本堂にも同様の装飾があったのでしょうか。
松岩寺の創建について3つの説をご紹介しましたが、もし前本堂に佐竹扇があったなら佐竹氏が常陸国にいた天正年間に創建された可能性が高いですね。
ところで、興味深いことに松岩寺のご住職は他の寺に移っていくことが多かったそうです。
6代住職は久米村(現常陸太田市)の常光院、7代住職は大子村(現大子町)の永源寺、9代住職は山方村(現常陸大宮市)の常安寺に渡りました。
むかしは松岩寺に限らずそうした慣習があったということなんですが。。信徒の信仰心が篤く、寺院運営に協力的だったので住職としての修業の場に最適だったのかなって思います♪
君田稲荷神社
本堂のある場所からさらに石段を登り墓地の方に進むと君田稲荷神社が鎮座しています。鳥居が崩れ、扁額が落ちてしまっているのは震災の影響でしょう。
鮮やかな朱色の旗を見るとふたたび再興しようとする気持ちが伝わってきますね。わたしも静かにお参りさせていただきました。
お稲荷さまは五穀豊穣の神徳があるとされますから、「君田」では古くから信仰されていたかと思います。それがいつからかといえば、おそらくは松岩寺の創建と同時期か少し遅れてと考えられます。
なぜならお稲荷さまは曹洞宗の守護神としての一面を持っているからです。有名なのは妙厳寺(曹洞宗)の創建とともに境内に鎮座した豊川稲荷(愛知県豊川)です。
建物の中を覗くとさらに小さな社殿が建てられており、柱には「稲荷真言」として「オン シラバッタ ニリウン ソワカ」の札が見えました。これは豊川稲荷のご祭神である荼枳尼天の真言です。
荼枳尼天は名前に天がつくことからも分かるように「天部」に属します。ご本尊とそれを信仰する人々の守護神で、鎌倉時代に中国から帰朝する寒巌義尹禅師が船上で感得したと伝えられています。
wata
荼枳尼天の真言の意味は「わが信心はどこまでも通じて、正しき戒力により、悪事災難を除き、福徳知恵を得、苦を抜いて楽となし、悲しみを転じて喜びとなすことが、必ず成就する」です。
御朱印
松岩寺でいただける御朱印は2種類です。ひとつは松岩寺と御本尊、もうひとつは常陸三十三観音霊場です。本堂右手の庫裏でお声掛けください。
・本堂に佐竹扇の蟇股あり。天正年間の創建か
・樹齢300年を超えるヤマザクラがある
・御朱印は本堂右手の庫裏で代番の台山寺のものもいただける
高萩市史(上)|高萩市史編さん委員会
茨城の寺(一)|著:今瀬文也
高萩の昔話と伝説
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
寺院巡りにどうぞ