wata
- 硯宮神社の由緒と改称について
- 神社の例祭について
- 御神体の「硯」について
江戸時代、水戸藩は二代藩主の光圀公によって寺社改革が行われました。特徴的なのはいわゆる「八幡改め」で、八幡宮や八幡神社が取り潰されたり別の神社に変えられといわれています。
ただ。。例外はたくさんあるんですよね。水戸藩領のイメージがないかもしれませんが、潮来市で発見したのでご紹介します。辻の硯宮神社です!
硯宮神社とは
硯宮神社は潮来市の辻に鎮座しています。潮来市役所から徒歩5分。国道51号を「潮来市役所前」の交差点で南へ。突き当りを左折すると右手に見えてきます。
由緒を公報いたこから引用します。
康平六年(1063年)源頼義(祖父)が奥州を平定して鎌倉に帰り、材木座に氏神として応神天皇をお祀りし八幡宮と称した。関東一円は、源氏の勢力が強かったので現硯宮も往昔は、「今宮八幡社」と称して応神天皇をお祀りして村社として栄えた。治承四年(1180年)十月頃、頼朝は源氏再興の為、平家軍と富士川を挟んで対陣した。その時、水鳥の羽音を敵襲と錯覚した平家軍は戦わずして敗走した。源頼朝は、佐竹氏の力を借りて平家軍を上洛しようと思ったが、その招きに応じてくれない。その意、必ず我を狙撃するだろうと思い佐竹氏を討つべく常陸国金砂山(現 常陸太田市)に向かう途中、頼朝一行は(頼朝が居たかは定かでない)辻の今宮八幡社に立ち寄り鹿島神宮に奉納する戦勝祈願の文章を書かれた(と伝承されている)その時使った硯が奉納されてあった。
後世(1692年)水戸光圀公(西山)が領内巡視の折、潮来に立ち寄り当社の硯を見て「これは中華の産するところの馬蹄石と言い珍重すべき物」と言われ御神体として祀るよう命じ、宮号を硯宮と改めさせたと言われている。現在、応神天皇と硯が御神体として祀られている。
第50回 潮来市の誇れる文化 公報いたこ(2010年10月号)
補足すると御神体が硯でご祭神が応神天皇(誉田別命)です。御神体は2022年4月の『広報いたこ』に模写が掲載されていましたので紹介いたします。
同広報によれば「硯」は古墳時代の石枕であることが判明しているとありましたので、その歴史は頼朝の時代よりもさらに数百年は遡るようです。埋葬品が御神体なのは少々気になる事態ですけど。。
硯を奉納した頼朝といえば、付近の長勝寺にも戦勝祈願で立ち寄ったと伝えられています。当社周辺は源氏との関係が深かったのかもしれません。
その後、光圀公によって社名は変えられましたが、ご祭神は同じですし「潰し」や「改め」は見られません。もちろんこうした由緒がすべて事実とは限りませんけどね。
光圀公は吉田神道の影響を受けて神仏混淆を嫌っていたといわれますが、そのような発言や意志は文献からは見られません。水戸藩の寺社改革は文字通り寺院と神社を健全に運営させるための改革だったのでしょう。
未熟な僧侶が仏式と称して神社で奉祀することを禁じるのは当然のこと。加えて幕府や吉田神道が原則的に神職以外の奉斎を認めなかったこともあるかと思います。とはいえ水戸藩は修験(山伏)が神職の代わりを務めることは認めていますので、状況によって妥協はあったようです。
話がそれましたが、当社が無事に存続したのは当時の神職や別当の奉仕がまっとうだったためでしょう。
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いまの潮来市の全域が水戸藩の領地でなく旧大生原地区のあたりは麻生藩に属していました。
アクセス
神社の駐車場と断言できないのですが、境内の裏の方にゲートボール場があり、その隣に駐車スペースがあります。
県道5号沿いで消防団の建物の隣です。写真の右側の辺りですね。消防車の出入りや交通の妨げにはなりませんので、ひとまず停めさせていただきました。
名称 | 硯宮神社(旧:今宮八幡宮) |
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住所 | 茨城県潮来市辻206 |
駐車場 | あり |
鳥居
ちょっとわかりにくいですが、一の鳥居です。二の鳥居と近いのは、道路ができたことで境内が狭くなり本来の位置から移されてきたのでしょう。
鳥居の右手前には茨城百景を示す石柱。もしかしたら、指定された当時とは景色が変わっているかもしれませんね。
参拝した日はちょうど祭礼の日だったので提灯が飾られ境内には神輿が準備されていました。新緑の彩りもあって活力が湧いてくる雰囲気です。
二の鳥居の明神式両部鳥居。ちょっと朽ちていますが補強されているので安全でしょう。印象的な朱色。瑞垣も鮮やかな赤でして硯宮神社のイメージカラーのようになっています。
社殿
銅板葺きのシンプルな拝殿。間口3間、奥行きは2.5間です。幣殿もあるしっかりした造りだと思います。昭和54年(1979年)に火災で消失してしまったものを同56年に再建したのだとか。
愛友酒造の樽が並んでいるのをいつも目にします。地元の酒蔵。。というか愛友酒造は神社のおとなりにあります。
愛友酒造は硯宮神社のお神酒はもちろん鹿島神宮のお神酒も納めています。酒蔵見学をすると試飲もさせていただけるのですが。。おいしいです!
赤い瑞垣と流造の本殿です。
千木は内削ぎと外削ぎの中間のような形。独特ですね!
愛友酒造は見学可能です。電話予約すると10〜15分程のガイドをお願いできます。あやめまつりや神社の参拝などとあわせるとよいかと思います。(お酒の購入も可)
お神輿
硯宮神社の例祭は毎年7月下旬に開催されます。
山車には山車人形としてご祭神の応神天皇が置かれます。これまたかっこいい!
神輿は大人と子ども用があるようですね。ちょうど境内の参道の両方が置かれていました。
2019年の様子をYoutubeで発見しました。わたしは夜までいられなかったので、ありがたい映像です!
潮来はあやめまつりが終わると夏祭りシーズンに突入して、お盆の万燈会が終わるまでずっと観光シーズンといった感じです。
暑くて見て回るのは大変なんですけど、祭りが盛り上がるのは夜なのでぜひ遊びに行っていただきたいですね!
夜の山車は午後6時30分以降に見れるようです。以前のタイムスケジュールをご参考に。(参考:潮来お祭り委員会のブログ)
境内社
拝殿の左裏手の辺りに境内社が2つと祠がひとつ鎮座しています。
左手の祠は七面大明神です。日蓮宗ゆかりの女神ですね。潮来の築地には鎌倉時代に開かれた法華宗の名刹・妙光寺がありましたし、この辺りでは宗派は違えど日蓮聖人の教えを信じる方が多かったのでしょう。
ちなみに日蓮宗と法華宗の宗祖はいずれも日蓮聖人です。この地に伝わる「清姫伝説」の清姫も法華宗と日蓮宗のお寺を巡っていたそうです。
右手の赤い社殿は水神宮です。中には水速女命とある祠がありました。水運で栄えた潮来らしい神社ですね。
そしてもっとも興味深いのが左の社殿。社名を確認できませんでしたが、おそらく神社の掲示板と茨城県神社誌に記載のある妙正神社です。
ご祭神は香香背男命。天津甕星とも呼ばれる日本書紀に登場する神で高天原に逆らったことから武甕槌と経津主と争うことになりました。
ご祭神としては非常に珍しいです。特に武甕槌をご祭神とする鹿島神宮のある鹿行地域というのは驚き。県内でお祀りしているのは大甕神社くらいしか思い浮かびません。
それに社名も聞いたことがないです。「妙」の文字からすると法華宗や日蓮宗との関係ありそうですが。。この神社についてなにかご存じの方がいらしたらぜひ教えてください!
まとめ
この記事のまとめ
- 創建は平安時代末期か。源氏の勢力域だったことによる
- 例祭は毎年7月下旬。山車と神輿がでる
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
潮来町史/潮来町史編さん委員会
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
御朱印巡りをされる方へ