【究極のタウン誌】月刊びばじょいふる 40年余りの歴史に幕『タウン誌の森を歩く』開催(北茨城市)

雑誌は読まなくなりましたねぇ。大抵はネットで事足りますから。

近年、本が売れない、雑誌が売れない、廃刊になったなどと耳にすることが多くなりました。そして昨年、茨城のとあるタウン誌もついにその歴史に幕を閉じました。

。。しかし、そのタウン誌は他とまったく違ったんです。少し気になることがあって最後のようすを見てきたのですが。。勘が冴えた自分を褒めてやりたい。

この記事では県北エリアで発行されていた月刊びばじょいふるをご紹介します。最後の展示会のようすとあわせてどうぞ♪

MEMO
『月刊びばじょいふる』は『ジョイフル北茨城市』『月刊ジョイフル』『びばじょいふる』と名称が変わりましたが、記事の表記は『びばじょいふる』とします。

月刊びばじょいふるとは

創刊号(ジョイフル北茨城)

創刊号(ジョイフル北茨城)

2020年2月7日、いつもわたしがチェックしている読売新聞の電子版に次のような記事が投稿されました。

 北茨城市を拠点に県北地域の情報を発信してきたタウン誌「月刊びばじょいふる」が450号(2019年12月5日発行)で終刊となった。40年余りの歩みを振り返る企画展「タウン誌の森を歩く」が同市磯原町磯原のかつらぎ画廊で開かれている。編集発行人だった同画廊代表の桂木なおこさん(73)は「創刊した者として責任を持って締めくくりたかった」と話している。
県北タウン誌40年の歩み 450号で終刊/読売新聞オンライン

ずっと県南に住んでいたもので県北のタウン誌についてはまったくの無知でした。だからこそ興味津々。40年の歴史とはスゴイですよね。。一体どんなタウン誌なのか気になって仕方なかったので、なんとか最終日(2月11日)に足を運んできました。

企画展の開催されたビル

企画展の開催されたビル

会場のかつらぎ画廊に到着すると駐車場は満車でした。まだ午前の早い時間だったので最終日とはいえ評判なんですね。10分ほどコンビニで時間を潰してから駐車完了。

入口付近で暖色の優しい雰囲気をした案内パネルが目に留まりました。さりげないですがサインのお手本のようなデザイン。期待に胸がふくらみました♪

画廊の入ったビルは2Fが『びばじょいふる』の編集室。1Fがパフェやワッフルを提供するカフェ(カフェ・ミュゼ)となっており多くの女性たちで賑わっておりました。北茨城は観光地なのでおしゃれなお店多いんですよね。

建物のドアを開けてすぐ右手が企画展の開かれているギャラリーです。薄暗くなっていて挨拶文や歴代の編集者のお名前が照明で照らされておりました。

その挨拶文、素晴らしいのでご紹介します。

「タウン誌の森」へようこそ!

 耳を澄ましてこの町を歩くと、多くの人々の嬉しそうな声を感じることができます。それは毎号誌面に関わってくださった(取材に協力、エッセイを寄稿、おめでとうに登場!など)方々のささやかな、それでいてエネルギッシュな存在感のある声でもあります。
 通巻450号には私たち制作者の努力だけではなく、41年に亘りタウン誌を支え続けてくれた地域の文化マグマが潜んでいるのです。
 毎号きれいな衣装を着させてやりたいと、表紙にはこだわって編集を進めてきました。
 写真・絵画・陶芸・織物などさまざまな素材から生まれたアートな作品は、多くの読者を釘付けにし、この画廊が生まれる要因ともなりました。
 どうぞ思い思いに散策をしてください。そして木漏れの中、皆さまがあの時の1冊に出会い懐かしんで下されば、企画者として望外の喜びです。
『月刊びばじょいふる』編集発行人 桂木なおこ

地域の文化マグマ」で「これだっ!」と思いました。

地域に宿る不思議なエネルギーってあると思うんです。北茨城ではなぜか芸術や文化について考えてみたくなりますが、マグマのせいだったのかな。

企画展「タウン誌の森を歩く」

ギャラリー入口

ギャラリー入口

ギャラリーのゲストブックに書き込んでいると中から光沢のある青いスーツの女性がいらっしゃいました。画廊の代表で月刊びばじょいふるの編集長・桂木なおこさんです。

最終日のお忙しい中にお伺いしましたが、素敵な笑顔で迎えていただき『びばじょいふる』の歴史を教えて下さいました。(茨城新聞にも同内容があります)

都内で女性誌や企業のPR誌の手掛けていた桂木さんは出産を機に帰郷。当時、北茨城に地域情報誌がなかったことからご自身で発行することを決意しました。

それから40年。発行部数を1万6千まで伸ばしただけでなく内容にもこだわり抜きました。茨城新聞には「うちと同じ本は絶対出せない。自信を持って言える」とありましたが、実際に読めばだれもが納得することでしょう。

ギャラリー内

ギャラリー内

ギャラリーに入ると壁一面に表紙が並べてありました。別冊もあるので450冊+αですね。

クワガタも関係があるのかな?ずいぶん年季が入っている様子でした。じつは大人が座っても大丈夫なイスなんです。目の部分はぐるぐると回転させて遊べます。いや、遊びました。

こだわりの表紙

こだわりの表紙

こだわりの表紙は写真、絵画、イラストなどさまざま。はじめのうちはポップな印象ですが、徐々にスペースを広く使った落ち着いたデザインに変化していったようです。

『びばじょいふる』はほぼ女性によって制作されました。女性の読者が多かったと思いますが、男性をうならせる記事もふんだんに盛り込まれているんです。それではわたしが感じた『びばじょいふる』のスゴさをご紹介しましょう。

wata

ギャラリーでは来場者の方々が昔話に花を咲かせておりました。家族のアルバムを見るのと似た感覚なのでしょうね〜

読者参加型の『超』地域密着スタイル

ページを捲って驚いたのは顔と名前(実名)、さらに住んでいる町名まで記載されていること。むかしは大らかだったなぁ。。

主に寄稿者や取材の協力者たちなので隠すことではありませんが。。信頼関係が必要で本当に取材しないと書けないことですよね。まさに地域密着。

地元の医者、職人、芸術家など専門家たちも続々と記事に登場します。読者といっても何らかの専門家であることは多いですからね。プロの執筆家でなくても活躍できるようにしっかりした企画のおかげです!

素朴なエッセイもあれば、お医者さんの健康アドバイス、サークル活動の紹介、従業員の紹介などもありました。校内新聞並の距離感です。現代では絶対ムリ!

地域を味方にするとこんなことができるんだ、と感動しました。地域のひとりひとりが価値を提供するタウン誌。見事です。

圧倒的な企画力

『びばじょいふる』は企画力も素晴らしい。「やったら面白いけど難しい、面倒」それらを何度も実現してきました。

新春の市長対談

新春の市長対談

こちらは昭和64年1月号。1月7日に昭和天皇が崩御されて8日から平成になりましたら感慨深い号ですね。それはともかく。。

新春一発目の記事のタイトルは『県北をどうする』。出席者は松崎龍夫北茨城市長と鈴木藤太高萩市長。司会は編集部です。

新年を迎えるにあたって市長たちがざっくばらんに市の課題と豊富を語るというシンプルながら興味深い内容となっています。

タウン誌が市長対談の場を設けるのは歴史的な出来事です。面白いのでいまでも民間のどこかがこういうことやってくれないかなぁ。。

新年号といいますと、どこもイベントを開催しますからそれだけで誌面を埋めることが容易です。読みたい方も多いことでしょう。

そこであえて手間を掛けて『地域の反省と未来を考えさせる』をするのがグレイト。しかも市長が語るとは驚きです。

野口雨情の手紙

野口雨情の手紙

続いて郷土の偉人の手紙を振り返るという企画。北茨城市から野口雨情岡倉天心。高萩市から長久保赤水松村任三の手紙を紹介しています。

こちらも企画と取材、そして教養がなければ書けない内容です。面白いのはプライベートを紹介ということで、いつもと違った人柄を見せていることです。

野口雨情は同級生にたくさん手紙を出しているのですが、その中から友人に茶碗を贈ったときに添えた手紙を紹介しています。

茶碗は野口家が水戸光圀から下賜されたもので佐野竹之助(桜田門外の変に参加)と吉田松陰が酒を飲んだとか。どう考えても家宝なんですが贈っちゃうんですね。

岡倉天心の手紙

岡倉天心の手紙

岡倉天心は五浦で釣りに没頭しており、好みの技師に設計させた釣船『竜王丸』を造船しました。そんとき天心はボストン美術館で働いていたので造船監督の渡辺千代次氏に手紙を送ったんです。

内容は。。「サンマとタコには興味ないけど、他に大漁があったら連絡して」というもの。釣り◯チ天心。五浦の海がだいぶ恋しかったのかもしれません。

高萩の長久保赤水と松村任三は学問に関することでした。要約すると「勉強しろ!」お二人とも根っからの学者気質ですからね〜

これらの記事はわずか2ページにまとめてあるのですが簡単にはできません。コスパ的にはかなり厳しいはず。それをやり遂げたのは制作者に未来(ビジョン)があったのでしょう。

面白いもの、貴重なものを読者に。さらに「後世が読んでも満足できる紙面づくり」を意識されていたと思います。

『びばじょいふる』が残したもの

既刊誌のお持ち帰りコーナー

既刊誌のお持ち帰りコーナー

会場の『森のお持ち帰りコーナー』では既刊誌を持ち帰ることができました。会場の切り抜きを見ただけでも濃さや視点の面白さを感じていましたが、じっくり読めば読むほど奥深く楽しめます。

いま手元に40年前の一冊があるんですが、なんとも新鮮なんですよね。

野口雨情のプライベートな交流や北茨城市教育長のエッセイ、編集長自らが解読した古文書など。非常に個性的であり貴重。それに関わった方々の思いが伝わってくるので時代を越えて惹きつけます。

わたしの勝手な想像ですが、これだけのクオリティを出すには制作している段階で「数十年後にどんな評価を受けるか」を考えていたのではと思います。

子どもや孫、さらに先の世代が読んでも楽しめるものをつくる。だからあえて時間がかかったり手間のかかることをする。『いま』しかできないこと。『自分たち』しかできないことに責任を感じていたのではないでしょうか。

制作者の方々には、いまなにをすれば将来良くなるかが見えていたと思います。

『びばじょいふる』は終了しましたが、続けてきたことや考えてきたことは将来にとっても大切です。目先の評判やビジネスばかり気にするのではなく、読者の教養や郷土愛を育む視点は別のメディアでも応用できるはず。情報が拡散しやすい時代だからこそ、こうしたことを広めたいですね!

まとめ

この記事のまとめ

  • 『月刊びばじょいふる』は北茨城、高萩、日立エリアのタウン誌
  • 1979年7月に創刊。2019年12月450号をもって終刊となった
  • 現代では真似できない究極のタウン誌だった

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