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- 保和苑と水戸黄門の関係
- あじさいまつりと期間中の無料駐車場
- 桂岸寺の御朱印のいただき方
6月になって水戸のあじさいまつりがスタート。茨城を代表するあじさいの名所保和苑にはたくさんの観光客が訪れています。
保和苑の魅力は美しいあじさいだけではありません。水戸黄門(徳川光圀)や多くの水戸藩士とのゆかりがあって歴史的な価値も大きいです。年令や性別を超えて楽しめる定番の観光スポットですね。
保和苑はすでに多くのブログや観光サイトで取り上げられています。そこで今回は水戸黄門とのゆかりを中心にご紹介させていただきます♪
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2020年の見頃は6月20日頃と予想されています。
保和苑とは
保和苑は大悲山 保和院 桂岸寺の庭園です。名前がよく似ていますね。
お寺のはじまりは天和2年(1682年)。水戸藩の家老だった中山 備前守 信正の供養のために建てられました。当初は香華院と称しましたが、12年後に水戸黄門(徳川光圀)によって『保和院』とされ、庭園は『保和園』と名付けられました。
保和園は大正時代に荒れてしまいましたが、昭和になると当時の住職の奥さんを中心に周辺住民が保存会を結成。あじさいを植えるなどして、いまのような日本庭園造りがはじまりました。このとき名前を”保和苑”としています。
入園料は常に無料です。ただし、あじさいまつりの期間は駐車場代が有料となります。(2020年は6月17日現在ですでに有料)
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桂岸寺のさらに詳しい情報は水戸観光コンベンション協会のサイトをご覧ください。
これから境内をご紹介します。とても広く文章だとわかりにくいのでパンフレットの案内図をご覧ください。
これだけでもたくさんのあじさいが分かりますよね。
仁王門
車で訪問する場合、見事な仁王門をくぐることになります。先は仲見世のようになっていて趣がありますね。
桂岸寺は明治11年(1878年)に火災によって伽藍が焼失しました。この仁王門や本堂、愛染堂などはその後に建てられたものです。
水戸黄門さまご一行像
仁王門をくぐった先には『水戸黄門さまご一行像』。さすが水戸藩ゆかりのお寺です。
この石像がいつ頃造られたかは不明です。ただ、現存する中でもっとも古いと云われています。そういえば、顔に丸みがあってTVとは違う雰囲気。それより前に造られたのかもしれませんね。石像は右が助さん、左が格さんです。
格さんにモデルになった人物は水戸藩の安積 澹泊。勤勉で頭がよく大日本史の編さんで大活躍しました。光圀の諡『義公』は後継ぎの綱條が格さんに相談して決めました。信頼されていた証でしょう。このお寺には格さんのお墓もあります。
本堂
行基の作と伝えられる勢至菩薩を本尊とする桂岸寺の本堂です。
屋根を支える2本の柱は水戸藩の家老、中山信正と孫の信行を示しているといわれます。2人のお墓は中山家の代々が眠る飯能市(埼玉県)ではなく、この桂岸寺にあります。信正は前述しましたが、信行もまた水戸藩にとって特別だったのでしょう。
その柱を支えているのは亀!ではなく龍です。龍には9体の子どもがいて、そのうち1体は重いものに押しつぶされると気持ちよくなってしまうのだとか。。。この表情は快感!?
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ぴんころ地蔵尊
本堂の左手に進むと通称『ぴんころ地蔵尊』があります。お参りをすると天命を全うできて『ぴんぴんころり』と最期を迎えられるそうです。また、自分と同じ悪いところをなでると願い事が叶うとも。
地蔵尊のそばにある『宝歴の延命地蔵尊』も同様に『ぴんころ地蔵さん』と親しまれてきましたが、近年直接触れられるものを望む声が多かったので新たに造られました。たしかにたくさんの方が水をかけたり身体をなでていました。
とても優しげなお顔が魅力的です。
明星ヶ池
『明星ヶ池』はみんなの撮影スポット。池とあじさい、そして自分たちをパシャリ。
この池、水戸城の東にあった池と同じ名前です。家老・中山信正と光圀のゆかりがあるので名付けられたのでしょう。エピソードを簡単にご紹介します。
光圀の幼い頃はやんちゃ。若い頃は「はすは者」や「かぶき者」と呼ばれることもありました。当時の光圀や信正の人柄が伝わるお話ですね。2人の年齢は34も離れていますから、親子のような感覚もあったかもしれません。
「はすは者」はうわついた者。「かぶき者」は異様な身なりの者という意味です。若い頃の光圀はいまでいう不良でした
無所だめの大蛇
保和苑を順路通りに進むと、後半に『無所だめの大蛇』とある石柱を見つけます。これにはちょっとした伝説が書かれています。全文引用します。
保和苑の奥に「無所だめ」と呼ばれるため池があり、大蛇にまつわる伝説がある。蛇とりの名人がその大蛇を捕まえにきて、笛を吹いて大蛇をおびきよせ、なわで捕まえた。ところがこの大蛇は子どもをみごもっていた。名人は妻が妊娠している時だったので、哀れに思って大蛇を逃してやった。大蛇は草むらをとおって那珂川に去っていったという。
大蛇を捕える、というのがスゴイです。わたしの知る大蛇の伝説はだいたい出会った瞬間に大ピンチになりますので。ところで、大蛇の子どもは無事に生まれたのでしょうか。
この伝説で光圀の出生を思い出しました。あまり知られていませんが、光圀は母親のお腹から生まれない可能性がありました。『桃源遺事』によると父・頼房の意向といわれます。それを無視して家臣の三木が水戸の私邸で産ませたんです。光圀が歴代藩主の中で唯一水戸で生また理由です。
色々と事情のある話なのですが、生まれた子どもは立派に育ち歴史に名を残しました。この伝説の意図はわかりかねますが・・・光圀ゆかりの地で命の大切さを伝えているように感じます。
水戸藩付家老 中山備前守の墓
頼房と光圀に仕えた家老・信正公はこの地で眠ることを望みました。あじさいの時期は場所がわかりくいですが、墓地の奥の方に進むと墓石があります。
四角い枠に丸い石は家紋と同じ。知らないと不思議に感じますよね。墓石から見る門の先には瑞龍山(常陸太田市)。水戸徳川家の墓所がある方角です。
保和苑にはたくさんのあじさいが植えられた見晴台があるのですが、実はもともとなかった地形です。わざわざ山を造ったのは、そこから水戸城が見えるからと云われています。主君と城をずっと見守っているのですね。
墓石には『恭子』とあります。これは諡、いまでいう戒名のようなものです。名付けたのは光圀。意味は「丁寧な、つつしみ深い、礼儀正しい人」です。明星ヶ池のエピソードからも相応しく思います。
保和苑には他にも藤田東湖、藤田小四郎など水戸藩士の墓もたくさんあります。一般の方もお参りできますので、ぜひ足を運んでみてください。
御朱印
桂岸寺の御朱印です。御朱印料は300円。本堂右手の庫裏でいただいてください。
写真の御朱印は書き置きのものです。あじさいまつりの期間中はたくさんの方が訪れるので、書き置き対応も増えるかもしれません。
アクセス
名称 | 保和苑(大悲山 保和院 桂岸寺) |
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住所 | 茨城県水戸市松本町13-19 |
駐車場 | 仁王門の先にあり。あじさいまつりの期間は有料。 |
問い合わせ先 | 水戸市役所観光課 TEL:029-224-1111(代表) |
バスをご利用の場合 | バス:水戸駅北口7番乗り場から茨城交通「栄町経由茨大・渡里」行きに乗車。(15分)保和苑入口バス停下車 |
Webサイト | 水戸のあじさい祭り(水戸市観光コンベンション協会) 観光いばらき |
【2020年はまつり中止につき使用不可】無料駐車場
以下は乗用車の無料の駐車場の住所です。平日のみ、土日のみとわかれておりますので注意してご利用ください。
名称 | 利用日 | 住所 |
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茨城県水戸生涯学習センター跡地 | 土日のみ | 茨城県水戸市愛宕町4 |
常用銀行末広町支店 | 土日のみ | 茨城県水戸市末広町1丁目4−17 |
茨城県信用組合上水戸支店 | 土日のみ | 茨城県水戸市 上水戸3丁目3−28 |
鮨・割烹一心 第2駐車場 | 平日のみ | 茨城県水戸市上水戸1丁目7−28 |
まとめ
この記事のまとめ
- 保和苑は水戸藩ゆかりの庭園。昭和の時代に整備され、毎年6月になると見事なあじさいを咲かせる
- あじさいまつり期間中、最寄りの駐車場は有料になる。少し離れた無料駐車場がある
- 本堂右手の庫裏で御朱印をいただける
今回はあじさい少なめだったので、いばキラTVの動画でじっくりチェックしてみてください。
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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