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- 虚空蔵堂の由緒
- 十三参りについて
- 御朱印のいただき方
茨城の七五三はスゴイと言われます。ノリはまるで結婚式。ホテルの宴会場を使ったりします。費用だってそれはもう。。ともかく伝統的なお祝いは素敵ですよね。
先日、東海村の村松山虚空蔵堂を訪ねました。七五三シーズンだったので着物で着飾った子どもがたくさん。お祝いはささやかでも楽しいですが豪華なのもいいです。
今回は賑やかな雰囲気で虚空蔵堂をご紹介します。日本三大虚空蔵堂に数えられる古刹。有名な十三詣りについてもご紹介します。
村松山虚空蔵堂とは
村松山虚空蔵堂は東海村の村松にあります。原研(日本原子力研究開発機構)のお隣にあるので、東海村を強く感じる場所ですね。
虚空蔵堂は平安時代(807年)に弘法大師(空海)によって創建。弘法大師は真言宗の開祖。虚空蔵堂も真言宗(豊山派)の寺院です。
室町時代は佐竹氏の保護を受け、江戸時代には徳川幕府からは50石の朱印地を授かっています。さらに水戸光圀が本尊に帰依し、修繕を行いました。すごい歴史ですね。。
ご本尊は弘法大師が自ら彫ったとされる虚空蔵菩薩(大満虚空蔵)。日本三体虚空蔵と言われています。これには大変ありがたい言い伝えがあります。
なんでもご本尊になった木はこの地に流れ着いた光る流木だったとか。それを偶然見つけた弘法大師が刻んだそう。なんとも神秘的。。いや、仏教なので神はおかしいですか。
当寺は平城天皇の勅額を賜りました。勅額とは扁額を天皇が書いたということ。勅額には『村松山神宮寺』とありました。
あれ?虚空蔵堂じゃないんですね。と、調べたら、なんどもお寺の名前が変わっています。神宮寺は室町時代の動乱で、勅額を含めてお寺のすべてが焼失してしまいました。1487年に再建されて村松山日高寺に。それ以降も火災や廃仏毀釈の影響で名前や建物が変わっています。激動の時代を乗り越えてきたお寺なんですね。
境内を周りながら、七五三と十三詣りについてご紹介します。
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文明年間(1480年〜)に火災によって消失したお堂を長享元年(1487年)に頭白上人が再建したともいわれています。
仁王門
立派な仁王門!1970年に、かつて火災で焼失したものを再建しました。仁王門なので金剛力士像(阿吽の像)が立っています。像は1315年にできて1594年に塗り替えられた記録があります。
像はゲージなどのさえぎる物なく見れます。けっこう珍しいと思います。スッキリしていてわたしは好き。
門の前に七五三や十三詣り用にきれいな立て札がありますね。記念写真を撮るためにも嬉しい気くばりです♬
本堂(大摩尼殿)
立派で美しい本堂!大正6年(1917年)に再建されました。
カラフルな幕は五色幕。色はお釈迦様の教え(智慧)を意味しています。お寺のお祝い事で使用されます。当寺は常に五色幕があるんですけどね。
本堂の扁額には大摩尼殿とありました。こちらが正式な名称のようです。
外回りの彫刻はスペシャル!パンフレットに次のようにありました。
外回りの彫刻は江戸彫刻の系譜を引く常陸後藤流の後藤保之助(1862〜1930)の作と言われています。一刀彫で彫られ、木目の美しさや深い彫りなどが特徴です。
後藤保之助は後藤縫殿之助の次男です。縫殿之助は笠間稲荷の本殿を彫った超名工で稲荷の本殿は国指定重要文化財です。せっかくなので参拝したら凝視してください!
本堂の手前には牛と虎の像が置かれています。これはおそらく本尊の虚空蔵菩薩が守り本尊の思想において丑寅の方位を守護するとされていることに由来するのでしょう。
丑寅は東北、すなわち鬼門の方位です。災厄を避ける意味でも虚空蔵菩薩の信仰は古くから篤いものだったと考えられます。
実は本堂の屋根にも牛虎が。。牛はともかく虎は日本にいませんから、十二支を通じた信仰であるといえるのではしょうか。さらにその背景には五行説があると思うんですけどね。
ちなみに守り本尊は丑年と寅年生まれの人々を守護するともいわれています。境内の授与所では守り本尊のお守りもあるのでぜひチェックしてみてください。
十三詣りとは
七五三はご存じの方が多いでしょう。3歳、5歳、7歳のお祝いです。年齢や内容は地域によりますが、子どもの健やかな成長を祈ることは一緒。もともと11月15日に祝っていましたが、最近ではこだわらずに少し前の日に行います。訪れた日は11月5日でした。もうちょっと前からお祝いしているそうです。
十三詣りは知らない方が多いかも。わたしは最近知りました。虚空蔵堂のWebサイトの説明を引用します。
生まれた年の干支(えと)が、初めて巡ってくる年(数え年の十三歳、満十二歳)に行われるのが十三詣りです。数え年の十三歳になった少年少女が、身も心も大人に成長したことに感謝するものです。この歳は男女とも人生最初の厄年であり、このとき初めて大人の寸法(本裁ち)の着物を作ってもらい、女子は「本身祝い」、男子は「元服祝い」「若衆入り」という行事を行いました。
十三詣り/村松山虚空蔵堂Webサイト
虚空蔵菩薩は智慧を授けてくれる仏様です。そのため、十三詣りは智慧詣りや智慧もらいとも云われます。「そらで覚える」の「そら」は虚空蔵菩薩のことです。ぜひその知恵にあやかりたいですね!
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数え年は生まれた年を1歳とします。つまり、現在の西暦から生まれた西暦を引いて、+1歳したものがその人の数え年です
鍾馗霊神堂
本堂裏手にある鍾馗霊神堂には鍾馗霊神の絵馬(昭和59年・村文化財指定)が祀られています。
鍾馗様は道教由来の神様なのでお寺で見かけるのはかなりレアかも。。庚申塔や月待塔のようにこの地の民間信仰のようすが見えますね。
絵馬は高さ150cm、幅200cmと驚きのサイズ!東海村の有形民俗・信仰に指定されています。
絵馬は延宝三年(1675年)に疫病が流行った際に藤原高信によって奉納されました。精魂込めて100日ほどかけて製作された当絵馬により疫病は治まったのだとか。
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奥の院(多宝塔)
本堂の裏手の道をのぼっていくと奥の院があります。実は本堂にご本尊(日本三体虚空蔵の大満虚空蔵)はありません。通常、ご本尊はこちらの奥の院に安置されています。
虚空蔵堂のWebサイトに以下のようにあります。
大満虚空蔵尊が安置されています。虚空蔵菩薩の五十年に一回の開帳記念として、昭和九年(1934)に建立されました。
奥之院(多宝塔)/村松山虚空蔵堂Webサイト
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三重塔
大日如来像が安置されている三重塔です。再興から100年の記念事業として1998年に建てられました。高さ21m。奥の院よりもさらに巨大です。
奥の院に三重塔。いまの時期も素敵ですが、紅葉したらもっと綺麗でしょう!お祝い事でなくても訪れたくなるお寺です。
御朱印
虚空蔵堂の御朱印です。本堂の左手にある授与所でいただいてください。御朱印専用の窓口があります。
たしかお正月は1回目の週末を過ぎるまで受付しなかったと思います。大変な混み方なので参拝にもご注意ください。
御朱印の受付時間は9時から3時30分までです。
アクセス
店名 | 村松山 虚空蔵堂 |
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住所 | 茨城県那珂郡東海村村松8 |
御朱印受付時間 | 9:00-15:30 |
交通 | 【電車をご利用の場合】JR常磐線「東海駅」下車 【車をご利用の場合】 ・常磐自動車道~北関東自動車道「ひたちなかIC」20分 ・常磐自動車道「那珂IC」30分 ・常磐自動車道「東海スマートIC」15分 ・常磐自動車道「日立南太田IC」20分 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
まとめ
この記事のまとめ
- 村松山虚空蔵堂は弘法大師の創建。日本三体虚空蔵堂
- 十三参りは虚空蔵菩薩から知恵を授かる行事
- 御朱印は9-15:30の時間帯に授与所でいただける
参考文献
茨城の寺(一)/今瀬文也
寺院巡りにどうぞ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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