曹洞宗の元本山 東昌寺|五霞町

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

茨城県民でも五霞町の位置を答えられる方はきっと少ないはず。だって茨城の市町村で唯一利根川の向こう側なんですから。ほとんど埼玉県です。

そんな理由からついつい五霞町情報を見逃していないでしょうか。これまで何度か足を運んでいますが、なかなかユニークな寺社がありますのでオススメです♪

今回ご紹介するのは東昌寺とうしょうじ(曹洞宗)。自分でいうのもなんですが貴重な情報です。近くにいらしたら、ぜひお参りしてみてくださいね♪

東昌寺
東昌寺

由緒

以下の由緒は主に『茨城の寺(一)』を参考にしています。

永享11年/1439年
創建

簗田河内守やなだこうちのかみ満助が主君の菩提を弔うため、鎌倉から即庵和尚を招いて開山したと伝わる。

明応3年/1494年
寺領と賜る

室町将軍足利義澄より、野渡、下宮、西郷の地を寺領として賜る。

天正4年/1576年
移転

関宿西霞郷山王村に移転。七堂伽藍を建立し、末寺五百ヶ寺を有する。

天正18年/1590年
制札朱印を賜る

豊臣秀吉の小田原攻めの折、徳川家康が宿泊。そのとき秀吉より禁令を受ける。

天正19年/1591年
朱印地を賜る

徳川家康より山王村内に寺領として20石の朱印を賜る。

元和7年/1621年
馬籠原除状を賜る

田中石見守正修より馬籠原除状を賜る。

寛文6年/1666年
堂宇焼失

火災により堂宇焼失。その後、火災を恐れた松平因幡守康元は関宿城から馬籠原に移転して、子孫ははそこで暮らす。

元禄2年/1689年
現在地に移転

*境内石碑より

昭和8年/1933年
本堂屋根亜鉛葺き替え

*境内石碑より

昭和50年/1975年
梵鐘鋳造
昭和58年/1983年
本堂屋根銅板葺き替え

*境内石碑より

昭和63年/1988年
寺号標建立

平成元年/1989年
本堂屋根修繕

*境内石碑より

本尊は釈迦牟尼仏しゃかむにぶつです。曹洞宗(禅宗)ではおなじみですね。ただ、当寺が「山王」との結びつきが多々見えることを考えると、果てして他に信仰がなかったのかと疑問に思うときがあります。

当寺のある場所は山王山さんのうやまといい、それ以前は町内の山王にあったといいます。「山王」は共通しているわけですが、この言葉は天台宗の守護神との関係がたいへん深い。

天台宗の総本山は比叡山にある延暦寺であり、その守護神が日吉大社。山王はその御祭神の呼称のひとつです。日吉の分霊は各地に広まり日枝神社などの名称で信仰され、「ひえ」は「比叡」に通じるともいわれるのです。

境内には山王大権現が鎮座しておりますし、それほど山王と関係するのならはじめは天台寺院ではなかったのか、と考えても不思議ではないでしょう。しかし、そうしたお話は一切ありません

とはいえ、当寺が五霞の地域で特別な地位にあったのは間違いありません。末寺が500あったのが事実ならば、わたしが知る限り茨城No.1です。秀吉から禁令を賜ったというのも格式の裏付けになるかと思います。

文化財一覧

昭和43年(1968年) 梵鐘(県指定)
平成2年(1990年) 山門(楼門)(町指定)

アクセス

六国山 東昌寺は五霞町の山王山にある曹洞宗のお寺です。『道の駅ごか』から車で5分ほど。圏央道の五霞インターを下りてからだと8分といったところでしょうか。最寄り駅は東武鉄道日光線の幸手駅でそこから車で20分ほどかかります。

名称六国山 東昌寺
住所茨城県五霞町山王山827-1
駐車場あり
Webサイト五霞町

惣門

惣門
惣門

それではお参りスタートです。まずは惣門そうもんから。享保13年(1738年)、当時のご住職により建立されました。

東昌寺の駐車場はこの惣門の先にありますので、この写真は駐車後に一旦外に出てから撮影しました。惣門は表門(正門)という意味。禅寺でよく使われる言葉のようです。

柱には『立春大吉』と書かれた札が貼られていました。曹洞宗の開祖・道元が伝えたといわれる慣習で厄除けの意味があります。立春大吉を縦書きすると左右対称なんですね!

山王権現

山王権現
山王権現

惣門の先には文化財の山門があるのですが、その手前、右手を見ると鳥居が。。そう、お寺の境内に神社があるのです。

ここは山王権現。山王権現は神仏習合の存在。神でも仏でもありません。明治のはじめ頃まで各地にありましたが、神仏分離がされてからは日枝神社や日吉神社と呼ばれています。

治水・五穀豊穣・酒造りのご利益があるとされていますので水害に悩まされてきた五霞町にとって重要な存在だったのでしょう。

山王権現は天台寺院の鎮守です。本山である延暦寺の場合は日吉大社。わたしが住む土浦だと東城寺に対しての日枝神社ですね。ということは、近くに天台宗の寺院が?いや、むしろ東昌寺自体が…

そうした物証は見つかりませんでした。立て札の解説によると、この山王権現は近くの日吉神社と一体といわれています。

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おじいさんの姿をした山王権現が東昌寺の初代住職に寺を建てるように促したという伝説があります。ふしぎですな。

山門(楼門)

山門(楼門)
山門(楼門)

東昌寺の山門(楼門)は立派の一言。境内でご住職の次に印象的です。元禄2年(1681年)に関宿城主・牧野成貞まきの なりさだ公の妻が寄進したものです。。妻が!?珍しい出来事のように思いますが。。

楼門の天井には龍の画。やはり治水の願いを込めてのことでしょうか。わたしにはよく見えなかったのですが、楼門上には本尊の釈迦牟尼仏の坐像や十六羅漢が祀ってあるそうです。

境内には豊富な花々
境内には豊富な花々

山門から本堂の周辺には多くの花々があって大変美しいですよ♪

梵鐘

梵鐘
梵鐘

東昌寺の梵鐘は大変貴重なものです。県内に4基ある指定文化財の古鐘のうち、初めて梵鐘として指定されました。(昭和43年指定)

元享年間(1321-1324年)に下野国の鋳物師・大工甲斐権守卜部助光が制作とされており、以下のような特徴があります。

肩のはりがなく竜頭の出来が強い感じを与え、撞座(撞木のあたるところ)の蓮弁と乳頭が古式である。

茨城県指定文化財 梵鐘/五霞町教育委員会

な、なるほど。。梵鐘は本堂の左手に吊るしてあります。さほど大きくなく、おそらく1mもないかと思います。

貴重な梵鐘なので、大東亜戦争時に徴収令があった際には鐘を差し出すことで特別に徴収を逃れたというお話も伝わっています。

本堂

本堂
本堂

本堂は江戸時代の元禄(1688年〜1707年)よりも少し前に建てられたといわれます。戦国時代に2回ほど焼かれてしまったのだとか。

かつては修行寺の本山として500もの末寺を持っていました(直末は50)。なるほど。それなら秀吉が立ち寄ったのも頷けます。

本堂の前にはさまざまな植物が育てられていました。この写真は3月末に撮影したもの。暖かい季節になって彩りが鮮やかになったところでしょう。なんだかお参りするたびに増えている気がします。

境内には墓地がありますが、もともと檀家は持たなかったそうですよ。いばキラTVのインタビューでご住職がお応えになっていますのでご覧ください!(0:00〜5分ほど)

お堂は開放されていて上がってお参りできます。わたしのときはご住職が聞いていたと思われるラジオの相撲中継が。時代を感じさせる堂内もあってタイムスリップした気分になりました。

うまく説明できませんが、変わった雰囲気のお寺です。異世界のような。でも懐かしいような。足を運んだ方、ぜひ感想を聞かせてください。

御朱印

東昌寺の御朱印
東昌寺の御朱印

東昌寺の御朱印です。山王大権現、南無釈迦牟尼仏、東昌禅寺、傘地蔵菩薩と情報が詰まっております。地蔵菩薩は山門の左手にあります。昔はとても多くの信仰者がいたそうです。

お堂にご住職が不在でしたら鐘を鳴らしてください。それでも反応がない場合は。。本堂右手の庫裏からどうぞ。

まとめ

・東昌寺は五霞町にある曹洞宗のお寺。山王権現の導きによって創建

・境内は禅宗らしさに溢れ、多くの文化財が見れる

・御朱印は庫裏でいただける。できれば電話連絡の上

参考文献

茨城の寺(一)|著:今瀬文也
茨城県の地名|編:平凡社