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歴史ある神社なのにド派手。。ズバリ稲敷市の大杉神社のことです!日本各地にある大杉神社の総本営。茨城の県南地域でも有数の神社です。
見た目もさることながら、どんな願いも叶ってしまうスゴイご利益付き。ユニークな神社なので若い参拝者もたくさん。競馬とゆかりが深いことも面白い。ネタが豊富すぎる。。
この記事では大杉神社と境内の注目スポットをご紹介します。少しでも興味が湧いたら訪ねてみてください。決して退屈させません♪
由緒
*社殿に関する記述は別記事で紹介
流行りの病で人々が苦しんでいたアンバの地に日光山の開基で旅の僧侶(勝道上人)が立ち寄り、あんば様の宿る巨杉に祈願。すると三輪山から神々がやってきて人々を救済。以来、あんば様と三神を祀るようになる。
悪路王の乱で延暦寺の快賢阿闍梨が来訪。賊徒誅滅の祈願により国家安泰となったことで朝廷より荘園を授かる。安穏寺山内に社殿を造営し大杉大明神と尊称
京都紫野今宮大神を迎祀。今宮大杉大明神と称する
近隣の火災の類焼で社務所および旧記等を失う
「あんば様」の他に以下をお祀りしています。
- 倭大物主櫛甕玉大神
- 大己貴大神
- 小彦名大神
あんば様は、かつての地名「アンバ」に由来するそう。アンバは現在の茨城県南部から千葉県中央部のあたりを指し、常陸国風土記にも安婆嶋として登場するので、かなりの歴史があります。
あんば様は遠い昔からいる土地の神様。疫病をきっかけに別の神様を呼んで人々を救ったという由緒となっています。それがなぜ三輪山の神々だったのでしょう。
古事記と日本書紀には崇神天皇の御代に疫病が流行り、それを三輪山の神が治めたとあります。三輪山の神とは大物主神です。神社の由緒は記紀とも深い関係がありそうですね。
また、当社を全体像を把握する上で重要なのが、当社を創建した勝道上人です。敬称からすると僧侶と思われがちですが、仏教に限らず神道や陰陽道にも通じる修験道に属す信仰をしたと考えられている人物です。
現在の大杉神社の境内は神社としては理解し難いものが見えます。それは現代風にアレンジされたというわけではなく、むしろ古い時代の信仰を再現しているようにわたしは思います。
単に「派手」なだけでなく、じつは深い理由があるかもしれませんので、お時間があればぜひ細部にまで目を通していただきたいですね。
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アクセス
神社の駐車場は社殿の北側(裏手)。かなり広いので初詣でなければ問題なく駐車できます。一の鳥居からお参りしたい場合は、写真の左手の方からぐるりと回り込んでください。
名称 | 大杉神社 |
住所 | 茨城県稲敷市阿波958番地 |
駐車場 | 多数あり |
Webサイト | 公式 |
一の鳥居・二の鳥居
一の鳥居はやや変則。拝殿の正面にはありません。新しく道路を通した影響かもしれませんね。ただ、どちらも南西を向いているのは共通。じつはこれには重要な意味があるのではと思います。
鳥居の両端には二体の天狗像。いやはや巨大。天狗は妖怪ということになっていますが、その歴史は古く『日本書紀』にも「アマツキツネ」と訓じられて登場します。
長い歴史の中で時代ごとにアレンジされているのですが、現代に伝わっている天狗は山伏の姿をしていることが多いですね。石像の天狗も頭に頭襟らしきものを身に着けています。
山伏はいわゆる修験道に励む者たちでその活動拠点はもちろん山。しかし、江戸時代になると幕府の規制により主に里で活動するケースが増えました(里修験)。
当社は周辺に籠もるような山がありませんから、天狗や山伏がどのように当地に関わっていたのか気になるところですね。ちなみに二体の天狗は左をねがい天狗、右をかない天狗といい夢を叶える天狗とされています。
近年、二の鳥居は色合いが変わりました。以前は朱色だった部分を緑とし、神紋の羽団扇が追加されています。
羽団扇は天狗の持ち物ですね。当社との関係は言うまでもありませんが。。なお、柱をよく見るとちょっとしたデザインが施されています。ぜひ考察してみてくださいね。
神門
神門です。鮮やかな朱色、というか赤。厄除けや悪魔祓いの神社にふさわしい色合いです。本当に境内ぜんぶこんな感じ。豪華絢爛で賑やかな雰囲気。珍しい神社ですよね。
神門の右手に境内の案内図が建てられています。社殿は左下、つまり南西を向いており、その正面に麒麟門があります。麒麟門は開くことがありませんので実際にはこの神紋か北方の安穏寺の方面から境内に入ります。
安穏寺を「別当」と堂々と書いていることに驚きました。別当は明治以前の神仏習合時代に宮司に代わって祭祀をしていたお寺、あるいはその代表者を指します。
明治の神仏分離令によって寺社は明確に区別され、その過去に触れないことが少なくありませんから、このような表記は比較的めずらしいといえるでしょう。もちろん今はそれぞれ独立した存在です。
社殿
パンフレットに『境内は祈りのワンダーランド』とあるように、まさに不思議な世界を体現。こんなに赤い社殿は県内にそうそうありません。年間50万人の参拝者が訪れる神社はやはりふつうではありません。
社殿を一言で表現するなら赤とか豪華絢爛。実際にはさまざまな配色がされており、個人的には緑も印象的です。そもそも「大杉」の神社なのですから、植物の色はあって然るべきなのでしょう。
屋根の正面には羽団扇。これが意味するところはおそらく修験道および天狗のお社であること。大杉神社の由来を考えれば、三輪山神社のように三本杉を神紋としてもおかしくはありません。そうではないのは独自の信仰によるところかと思います。
瑞垣と本殿は拝殿よりもすさまじい。瑞垣には中国の故事が彫られており、その下の立て札によって解説されています。ここ神社ですよね?神道ですよね??なんて感覚に陥る人もいるかも。
こちらは『王裒』の故事。案内によれば修理前は彩色が剥がれていたとありますので、彫刻自体は古くからあったようです。なぜ神社で中国の故事が出てくるのかが面白いですよね。
前述したように修験道はさまざまな思想を取り入れています。修験(超能力を得る)のためなら日本独自のものであることに拘りませんから、学者が学ぶようなことも知っていたりします。
明治以降に修験道が廃止されると学校の先生になる修験もいました。何やらお硬そうな人と思われがちですが、それだけ学力に優れ、コミュニケーションのとれる修験もいたということですね。
本殿は千木のない流造です。龍と麒麟が争っているかのような彫り物が見えるのですが、肉眼だとわからないかも。。
アップにするとこんな感じです。雲や波の躍動したようすもよいのですが、個人的には蔓状の彫刻に注目です。
曲直の性質を持つ蔓は大物主命や少彦名命の神格に迫る存在です。たとえば少彦名命が登場したときに乗っていた船は蘿藦(ガガイモ)で出来ていました。ガガイモは蔓状ですし、それに乗る少彦名命と無関係とは思えません。
それに三輪山の神(大物主命)は蛇の姿をしているといわれますから、その見た目や曲直の性質は蔓といえるでしょう。証拠はありませんが、大物主命に関わる三輪山信仰において蔓状の植物は重要だと思います。
ところで大杉神社が多くの信仰を集めた理由ほひとつにあんば囃子があります。軽快なお囃子が農民の間で大ヒットして、1726年(享保11年)には領主が禁止令を出しています。異様な出で立ちで踊り続けていたそう。
ちなみに以下のような歌詞です。
阿波大杉大明神 悪魔を祓ってヨーイヨサ
ヨーホ ヨーホイ ヨーイヨサ
あんばの方から吹く風は疱瘡が軽いと吹いてくる
ヨーホ ヨーホイ ヨーイヨサ
もし社殿彫刻に興味が出ましたら、ぜひ当ブログの特集記事をご覧ください!
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麒麟門
2019年に再建された麒麟門です。再建は約280年ぶり。門には麒麟や龍、獅子など200以上の彫刻がされていて景気の良い雰囲気が伝わってきます。本殿に負けないくらいゴージャスですね。
麒麟門は大災害や富士山の噴火などの災厄を避けるため、江戸時代に建てられました。実は江戸の鬼門に位置しているんです。この門は江戸(いまは東京)に災厄がこないように開門しません。
鬼門の守護は当社の重要な役割のひとつですね。社殿が南西向きなのも鬼門(東北)にあるからこそでしょう。北や東を向いていたらそれより先があるということになりますから、東北とはいえません。東北に位置するなら東北を背にすることで示されるのです。
そしてここからは五行説や易の発想です。東北は易の思想において変化を起こす「山」を意味するので、山の神を祭って平穏を願ったのではと推測します。都の鬼門にある比叡山に延暦寺を建立し、その鎮守社に日吉大社があるのと同様です。当社の別当の安穏寺は天台宗ですし、鬼門に対する考え方は通じていたのでしょう。
易は占いであり哲学というとても難しい思想なのでここでは深くは触れませんが、最近境内に設置された「水占石」を見ると当社との関係性がうかがえます。上の案内板にあるのは易の「後天易図」を基にした図像です。
図の右上には「艮」とあり、これを訓読みすると「うしとら」。艮は十二支を用いる場合は「丑寅」と表記され、いずれも東北を意味します。鬼門=東北=山=艮です。当社を理解する上で易は重要なキーワード。易は儒教と関係の深い中国の哲学ですから、ここでも当社の懐の広さが垣間見えますね。
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御神木
大杉神社の御神木は2本。次郎杉と三郎杉と呼ばれています。かつてはあった太郎杉は寛政10年(1798年)により焼失しました。三郎杉は高さ28mで樹齢400年。次郎杉は高さ40mで樹齢1000年です!
三郎杉は社殿の左手にあるのでわかりやすいですが、次郎杉は社殿の裏側にあります。道路を挟んだ向かい側に下っていく通路があって、その先にそびえていますよ。大杉神社にきたらぜひお参りしてみてください。
良縁は悪縁を断ってから。というわけで、大杉神社には悪縁切りや厄除けも豊富です。そのうち注目の2つをご紹介します。
悪縁切りの斎庭
社殿の左手にある悪縁切りの斎庭。初めて見た方は驚くかもしれません。粉々になった土器(瓦)が散らばっています。
ここでおまじないを唱えて土器を割ると悪縁が切れるそうです。わたしが参拝したときにも何人か割っていました。人気といっていいのかわかりませんが、頼る方が多いです。ストレス発散もあったりして。。
社殿の右手にも同様に土器が散らばっていますが、そちらは厄除け。目的によって土器と割る場所が違っておりますのでご注意を。
厄除け桃
桃は古来から神聖な存在。桃源郷なんて言葉があるくらいですからね。
古事記ではイザナギが黄泉の国(死者の国)から逃げ帰るとき、桃の霊力によって追手(ヨモツシコメ)を振り払うことができました。さきほどご紹介した悪縁切りの斎庭にも桃がありましたね。
こちらの厄除け桃はなでることで厄が払われるそうです。ツルツルで気持ちの良い手触り。ぜひお試しください!
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神様が宿るお手洗い
いつの間にか新パワースポットが誕生していました。なんとトイレの神様を祀っています!
神様は雪隠神。古くから民間で信仰されており、特に妊娠や出産との関係が深いといわれています。
本当にトイレに祀られておりますので撮影はできませんでした。でも、どんなところか気になりますよね。神社の新しいパンフレットにありましたのでチラッとご紹介します。
トイレはすべて個室。それぞれの部屋に名前がつけられていました。九十九神之間、瑞獣之間、鳳凰之間などなど。壁には神々のお姿が。。ユニークで大杉神社らしいですね。
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境内社も豊富。今回ご紹介していない社を以下に一覧としてまとめます。
- 大国神社…御朱印あり
- 天満宮…御朱印あり
- 四柱神社
- 白山神社
- 五十瀬神社
- 葦船神社…御朱印あり
- 捄総社…御朱印あり
- 相生神社…御朱印あり
- 稲荷神社
それぞれ立て札で解説されておりますので、お時間のあるときにじっくり読んでみてくださいね。土浦市民としては大国神社が興味深い。。
勝馬神社
大杉神社にはたくさんの神々が祀られていますが、特に気になるのは勝馬神社。いかにも競馬と関係ありそうですが、実際にあります。もとの名前は馬櫪社。馬櫪社があったのは信太馬牧で千年以上前の朝廷の牧場のことです。
馬櫪社のご祭神は不明ですが、古くから馬を守護する神社として当地にありました。美浦村は競走馬を育てるトレーニングセンター(通称:美浦のトレセン)がありますので、馬たちの健康と成長を願って馬主や騎手、調教師なども訪れています。
馬櫪社は有志によって大杉神社に移され、一時期は大祭で競馬が開催されました。いまの名前になったのは平成14年ですが、それよりはるか前から信仰されているんです。
馬のある社の後ろに本殿が鎮座しており、競走馬の神紋が見えます。
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相生神社
相生神社は社殿裏手の駐車場に停めた際、社殿に向かう途中で目にする方が多いかと思います。「相生」とは互いに支え合って生きることです。
当社のご祭神は伊弉諾大神と伊奘冉大神。国生みと神産みをしたことで知られる夫婦の神様ですね。
その特徴はなんといっても「御神体」。巨大な男女のシンボルを初めてみたときは驚きました。同じような造形があるところといえば、高道祖神社(下妻市)や松岳寺(常総市)の境内社である淡嶋神社でしょうか。
立て札では次のように説明されています。
男女和合の神社で子授け(子宝)の神社として知られている。
男根石に願い紐を懸けて月参りする。子供が授かったら女陰石に叶い紐を懸け、お礼参りの祈祷を受ける。
石にどっさりと懸かった札はそれだけ人々の願いが叶ったということですね。いやはや衝撃的です。どの神社でも願われることかとは思いますが、当社はひと味もふた味も違うようです。
近年は書き置きで多様な種類を用意されています。境内社や摂社で気になる神社があったら社務所で御朱印があるか尋ねてみましょう♪
お正月などの記念日には限定御朱印を頒布することもありますよ!
・大杉神社は鎮座1250年。”アンバ”の地の神様として祀られた
・”あんばさま”は土地の神様。御神木の大杉に宿るといわれている
・”トイレの神様”は雪隠神。新設されたトイレで祀られている
・御朱印あり。正月には限定御朱印も
茨城県神社誌|茨城県神社庁
茨城の不思議辞典|編:石塚眞
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。