【旧沼尾神社】福田の春日神社|那珂市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • 由緒とご祭神
  • 境内社の沼尾神社について
  • 御朱印のいただき方

天手力雄あめのたぢからおという神様をご存知でしょうか。登場回数は少ないものの天岩戸神話で大活躍した立派な神様です。

しかし、神社の祭神としては非常に珍しく、わたしが県内の神社で名前を目にしたのは数えるほど。そしてそのたびに腑に落ちない点があるのです。

今回は那珂市福田に鎮座する春日神社を紹介します。境内社の沼尾神社に同神が祀られておりますので、少し不思議な話として覚えておいてもらえたらと思います。

福田春日神社とは

春日神社

春日神社

由緒

大同4年/809年
創建
4月8日創建、初めは沼尾神社、または思案宮と伝わる
天和3年/1683年
別当の廃止
別当の宝寿院が廃寺となる
元禄年間/1688-1704年
改称
水戸藩主徳川光圀により現在の社号に改められる
明治6年/1873年
村社列格
明治13年/1880年
沼尾神社創建
境内社として本殿から分霊した
明治45年/1912年
供進指定
昭和27年/1952年
宗教法人設立

ご祭神は本営(奈良県:春日大社)と同じく以下の通りです。

  1. 天児屋根あめのこやね
  2. 経津主ふつぬし
  3. 武甕槌たけみかづち
  4. 姫大神

興味深いのは『茨城県神社誌』と『那珂市の社寺祠堂』のいずれにも上記の並びで紹介されていること。一般的に春日神社の祭神といえばはじめに武甕槌命が書かれます。

武甕槌命を第一殿に祀る本営に準じてのことでしょうが、県内の一部の春日社では当社のような例外が見られるんですよね。さらには天児屋根命のみを祀る場合も。

まだきちんと調べていないのですが、それらはかつて那珂郡と呼ばれた場所に多く見られるため、藤原氏の血を引くという那珂氏が関係しているのではと思います。

また、社伝には創建にまつわる次のような伝承が記されています。

社伝によれば村内の原坪の水田の中に「三池」という三小池があり叢篠が繁茂し、村人はここに入ると必ず災難が起こると畏れていた。大同の初めここより怪光を発したので村人が畏れて祈祷すると霊告があり、神社を建てて祀ったという。
那珂市の社寺祠堂

神秘的ですよね。創建当初は沼尾神社と称したとあり、現在境内社の沼尾社で天手力雄命が祭神ということは、初めは現在とまったく性質が異なる神社だったのかもしれません。

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当社はもと福田村の鎮守社。原福田、仲福田、下福田の人々の崇敬を受けていました

アクセス

常磐道の那珂ICを下りて約3分と非常にアクセスがよく、通り沿いのあるので非常に見つけやすいのですが、駐車場がない(見つからない?)のがネック。

なんとか周辺で安全な場所を見つけてください。ないことはありません。

名称春日神社
住所茨城県那珂市福田779
駐車場なし

鳥居

鳥居

鳥居

駐車に一苦労してようやく参拝。明神式の鳥居の前には祭りの案内が。

当社には何度も参拝しているのでわかるのですが、各お祭りの前にはしっかり告知するスタイル。参拝者をとても大切にしている姿勢が伝わりますよね。

わたしは歴史探訪がメインなので人知れず参拝することが多いのですが、それでも迎えていただけることが伝わると嬉しいものです。

社殿

手水舎

手水舎

参道は50mほどでしょうか。コロナ禍なもので手水舎の利用は禁止。本来の使い方をすれば手元を水で洗い流すので安全だと思うんですけどね。

拝殿

拝殿

鮮やかな朱色の屋根がまばゆい。一般的な入母屋造だと思います。令和2年の写真なもので、社殿には天皇陛下の御即位を祝う幟が掲げられておりました。

本殿

本殿

本殿は流造。男千木で鰹木は三本です。特別な彫刻は見られないごく一般的な社殿といったところ。

扁額

扁額

県内の春日神社を参拝するたびに思うのですが、武甕槌命を中心とする信仰でありながら、なにゆえ鹿島神宮から分霊しなかったのでしょう。

藤原氏の氏神として性質が強いせいでしょうか。それとも一緒に祀られる経津主命や天児屋根命を重視していたとか。当社の祭神の並びを考えるとその可能性はありそうですね。

当社は天和年間に別当が廃止され、元禄年間に社号が改められました。元禄には宮司も新しくなっていますので、この時代は信仰においても大きな転機になったことでしょう。

なんとなくですが、現在の祭神でありながら別の社号は考えにくいので、社号と一緒に祭神も改められたのではないかと思います。

沼尾神社

沼尾神社鳥居

沼尾神社鳥居

拝殿から向かって左手にあるのが境内社の沼尾ぬまお神社です。由緒によれば春日神社の創建当社は沼尾神社または思案宮と称したとか。

沼尾神社といえば沼尾社として『常陸国風土記』にも記載される古社。経津主命を祭神とし、坂戸神社と天の大神の社と合わせて「香島の天の大神」と呼ばれていました。

沼尾神社社殿

沼尾神社社殿

しかし、『茨城県神社誌』によれば、当社の祭神は天手力雄あめのたぢからお命。天の岩戸神話で天照大神が引きこもった岩戸を動かした神様ですね。つまり一般的に知られる沼尾神社とは違うわけです。

天手力雄命を祭神とする神社は県内で極めて稀ですが、わたしはすぐに二社が思い浮かびました。ひとつは常陸国の二の宮である静神社。もうひとつは東海村の石神社です。

静神社の祭神は言わずとしれた建葉槌たけはつち。のはずなのに、なぜか江戸時代は天手力雄命とされました。現代では本来の形に戻され天手力雄命は相殿神として祀られていますが、この強引な祭神交代は当社と似ています。

石神社は大甕神社の宿魂石の伝説に関連して、香香背男を打ち破った神として天手力雄命を祀っています。香香背男といえば『日本書紀』では建葉槌命に敗れたとされるのに、どうして天手力雄命なのでしょうか。

経津主命と建葉槌命という武甕槌命と関係の深い神々が天手力雄命に置き換えられていることは重要だと思います。また、静神社、石神社、当社は徳川光圀公が参拝している(とされる)点が共通しています。

春日神社の方は藤原氏の祖神である天児屋根命を重視しているようですし、天手力雄命も祖神として祀る氏族がいたのでしょうか。気になるところです。

春日神社にしろ沼尾神社にしろ、古くからある信仰というより国外から信仰を持ち込まれたことが考えられます。といっても数百年以上前のことなので充分古いともいえますが。。

当社に限らず天手力雄命を祭神とする神社には興味深い経緯がありそうですね。引き続き調査を続けて参ります。このことについてなにかご存じの方がいらっしゃればぜひご一報くださいね!

御朱印

福田春日神社の御朱印

福田春日神社の御朱印

福田春日神社の御朱印です。お正月や祭の日であれば社殿でいただけますが、ふだんは不在なので境内に隣接する宮司宅になるかと思います。

そちらもご不在だと思ったら。。もう一軒のほうかもしれません。

まとめ

この記事のまとめ

  • 大同年間創建。現在のご祭神は春日大社と同じ
  • 古くは沼尾神社と称した。現在は境内社として鎮座し、祭神は天手力雄命
  • 祭の日以外であっても御朱印は宮司宅でいただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
那珂市の社寺祠堂/那珂市教育委員会
茨城の地名/編:平凡社

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