【浅間さま】八代富士神社と初山参り|龍ケ崎市

この記事でわかること
  • 由緒とご祭神
  • 例大祭「初山参り」について
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

有名だけど神社に祀られていることは意外に少ない。そんな神様のひとりがコノハナサクヤヒメ。

非常に美しい女神として神話ではお馴染み。ご祭神とする神社があるなら、あやかりたいと思う方は多いのではないでしょうか。

今回はそんな方に龍ケ崎市の富士神社をご紹介します。例大祭に子供と一緒に参加するとなぜいいのかもわたしなりに解説してみました!

富士神社とは

富士神社

富士神社

由緒

正治2年/1200年
創建
6月1日、常陸国信太郡東条・下総国相馬郡文間の信徒数千人が五穀豊穣、子育てのため、駿河国冨士郡浅間神社(現在の冨士山本宮浅間大社)の御神鏡を折半してその一半をご神体として祀る
元亀2年/1571年
再興
城主・土岐治英により本殿再建および再興する
寛永10年/1633年
二の鳥居建立
慶安元年/1648年
社地造営
徳川家の役人、久世三四郎とその部下が田三反を寄進。近郷三千人余りが出役して寄付地を埋め立て社地を造営
正徳2年/1712年
手水舎・狛犬建立
享保19年/1734年
本殿再建
宝暦6年/1756年
赤門(仁王門)建立
明和7年/1770年
石橋(タイコ橋)建立
明治4年/1871年
郷社列格
※4月
明治6年/1873年
遷座
厳島神社を遷座
明治44年/1911年
遷座
村内の無格社・稲荷神社を境内社として遷座
昭和27年/1952年
宗教法人設立
昭和32年/1957年
一の鳥居建立

ご祭神は木華開耶姫このはなさくやひめです。父は大山津見おおやまつみで姉は石長姫いわながひめ。天孫降臨した邇邇芸命との間に三人の息子をもうけたことでも知られています。神武天皇(初代天皇)は木華開耶姫命のひ孫です。

出産の直前に邇邇芸命と一悶着あって燃え盛る産屋で出産したという衝撃的なエピソードの持ち主。一方でそんな状況で元気な子どもを生んだことで安産や子育ての神とされています。

当社でもそうした姫を頼りに多くの方々がお参りしています。特に例大祭(初山参り)には多くの親子が参拝して社殿裏手の「富士山」に登ります。こちらは後ほど詳しくご紹介しますね。

当社の由緒を眺めて注目すべきは十二支のひつじの存在。創建と例大祭は未の月(旧暦6月)となっています。土岐氏によって再興したという元亀2年(1571年)も干支でいえば辛未かのと ひつじ。単なる偶然ではなく呪術的な意図があるのでしょう。

ところで、創建した旧暦6月には積もるほどの雪が降ったとか。現代の暦だと7月から8月にかけての降雪ですから、基本的には「ありえない」。何を意味するのか気になるところですね。

アクセス

最寄りICは圏央道の牛久阿見ICもしくは阿見東IC。下りて約15分ほどでしょう。

最寄り駅は常磐線の龍ケ崎駅です。7kmほど離れているので車なら10分くらい。徒歩だと難しいですね。

駐車場は境内の南側にあります。たつのこ通りの方からいらっしゃれば、看板が目にとまるのですぐにわかるかと思います。

名称 富士神社
住所 茨城県龍ケ崎市八代町2177
駐車場 あり
Webサイト 茨城県神社庁

厳島神社

厳島神社

厳島神社

それでは一の鳥居からさんぱーい!

と、その前に厳島神社(祭神:市杵島姫命)にお参り。鳥居の手前に小さな池があり、その中央に鎮座しています。おそらく明治6年に遷座されたもので江戸期以前は弁天社だったと思われます。

弁天社は珍しくありませんが、「八代の」となると興味深い。『利根川図志』によればここ八代村(八代町)こそ『常陸国風土記』にある飯名社(筑波山)の末社の鎮座地なのですから。飯名社は江戸時代に弁天信仰が盛んだったそうですよ。

飯名社のご祭神は保食神と市寸島比売命。その分社はもちろん同じ祭神のはず。それに『図志』の記述と合わせるとこれが式外社かもね〜となるわけです。分社の鎮座地は稲塚古墳辺りともいわれています。

厳島神社の祠

厳島神社の祠

もっとも保食神と市寸島比売命が飯名社の祭神とされたのは、『風土記』の時代よりはるか後世のことだと思いますけどね。

ちなみにかつてこの地は稲敷郡に属しました。『図志』によれば「稲敷」は「飯名の社の敷地」に由来するとか。面白いですよね〜!

真偽の程は定かでありませんが、まずはこの大樹に覆われた神秘的な池にお参りしてから考えてみてはいかがでしょう。

鳥居

一の鳥居

一の鳥居

一の鳥居はシンプルな神明式。扁額はなく足の部分に「富士神社」と彫られていました。じつにわかりやすい。

ラブラブ道祖神

ラブラブ道祖神

こちらのほんの少し手前にこのようなラブラブ道祖神もあるので要チェックです。男女の道祖神を県内で見るのは稀!ぜひお見逃し無く。

この女性の足の位置といい扇の意味するところから察するに。。マニアにはたまらない逸品です!

太鼓橋

二の鳥居をくぐり参道を直進。右手には小さな境内社がいくつも。周辺地の開拓の際に集められたのでしょう。

柵に囲まれた太鼓橋

柵に囲まれた太鼓橋

そのまま直進を続けると正面に柵が置かれていて通せんぼ。一応右側から奥に進むことはできるのですが、これは一体。。

柵についた札を読むと「太鼓橋 一七七〇年建」。たしかに下には水流があるのですが。。橋がなくてもまたいで通れるレベルです。

太鼓橋

太鼓橋

それにあまりにも勾配がきつい。人間が渡ることを想定しているとは思えません。しかし、今から250年以上前にこれだけの橋をかけるのは大変なので特別な意味があるのでしょう。

常識では理解できないのでいつもの五行説に頼るとします。

太鼓橋の特徴はその形。半円あるいは円弧のように盛り上がりがあります。つまり上がってから下がる。五行説ではこの上から下への移動を水気の特性としています。

土や木だってそうだろうと思うかもしれませんが、水は火と対になることから特別視されるのでしょう。火は下から上に昇る特性を持っており、これは他の四行にありません。

それだと火気も一緒に発生していることになりますが、火と水では水のほうが強いため優先されます。こうした気の優劣関係を「相剋」、水が火を負かすことを「水剋火」といいます。

太鼓橋を渡ることで水気を生む。それは水神に力を与え、「水生木」の法則により木気が生じることに通じます。こうした気の親子関係を「相生」といいます。水が親、木が子ですね。

当社の祭神は木華開耶姫命。神号から考えて木気に属しています。祈願のために神を顕現させたり気を捧げることを意図としているのではないでしょうか。

なお、「歩く」という行為は五行の木気に配当されます。橋は基本的に歩いて渡りますから、そもそも木気とは密接な関係というわけですね。

wata

太鼓橋はどちらの方向から見ても最後は下りますから、実際に渡らなくても水気が発生します。もちろん本当にそのような意図であったかは知る由もありませんけどね

赤門(仁王門)

赤門(仁王門)

赤門(仁王門)

太鼓橋の先にあるのは赤門。でかっ!さすが旧郷社。社格相応の見事な門です。

こちらはかつて仁王門だったそう。本営の浅間大社は江戸期に富士権現などと呼ばれていましたので当社も神仏習合だったのでしょう。

鳥居や門、社殿に赤(朱)を使うことは珍しくありません。顔料の「丹」が虫除けになることから素材が傷みにくく長持ちします。それが「魔除け」と捉えられていたとも。

しかし、赤い鳥居や社殿は稲荷神社などに多く、鹿島神社や八坂神社ではあまり見られません。つまり魔除けが間違いとは言いませんが、その解釈では偏りがあることを説明できないのです。

それではこちらの赤色は何を意味するのか。五行説では「赤」を火気とみなしています。火気は「火生土」で土を生むわけですが、火と土の組み合わせは十二支の未と同じ。

この辺りから赤門は神社や祭りと関係が深いと考えられますね。

社殿

拝殿

拝殿

拝殿は寄棟造り。どっしりした印象でこれくらいのサイズにはちょうどいいように感じます。

手前には膨らんだお持ちのような植物。これ、なんなのでしょ。もうちょっと植物に詳しくなったらより散策が楽しくなるのですが。

狛犬(マスク)

狛犬(マスク)

狛犬(左)

狛犬(左)

社殿の前の狛犬はマスクスタイル。感染症の予防が意識されているようです。

社殿の中には奉献されたいくつもの絵画や扁額。火事に遭っていないようで先人たちの足跡が残されています。社号についてはいろいろな呼び方があるようで、富士神社のほかにも「冨士浅間神社」「浅間大神」などがありました。

覆屋と本殿

覆屋と本殿

本殿も大変立派なものでした。ただ、がっつりと覆屋に囲われているので中の様子はよくわからず。

獅子の彫刻と赤い本殿

獅子の彫刻と赤い本殿

色あせているものの社殿は赤く塗られていました。

富士山と初山参り

拝殿裏手の「富士山」

拝殿裏手の「富士山」

社殿の後方には富士山!

富士神社の境内にある山なのでこう呼んでもいいんじゃないでしょうか。高さは約30m。非常に勾配がきつい山でして、この日は雨が降った翌日だったので足元が大変危険な状況。わたしの基本戦略は「いのちだいじに」なので仕方なく見送ることに。

ふつうは数分で登頂できるそうです。祭りの日であればガイドとなるロープもあるのでなお安心。山道は上りと下りが別にあるのですれ違う危険性はありません。

富士山入口

富士山入口

さて、そんな八代町の富士山は旧暦6月に開かれる例大祭の舞台となっています。祭りの概要を常陽リビングの記事でご紹介します。

そのご神体を駿河国から迎えた日が、旧暦の6月1日(今年は7月14日)。この日は子どもの健やかな成長を祈願する「初山参り」が行われ、普段は静かな境内が5000人もの人出でにぎわう。

本殿の裏には高さ27・5メートルの小ぶりな山があり、頂上はご神体の故郷にある富士山山頂のようなすり鉢状。頂上の「お鉢」と呼ばれる部分にほこらが建ち、「初山参り」の前日の夕方、ご神体を乗せたみこしは頂上のお仮屋に安置。当日早朝から親はたすきを掛けた子供をおぶって急な山道を登り、頂上の周りを1周し、中央のほこらで成長した子を神様に見てもらう。
富士浅間神社 – 龍ヶ崎市

子供のためのお祭りで文字通り親子が一体となるようですね。登山は祭神(木華開耶姫命)に子どもを見てもらうためということになっています。

たしかにそうした面はあると思いますが、せっかくなのでここでも五行説の視点で見てみましょう。結論から先に申しますと、この祭りは火気を盛んにすることで子どもの成長を促しています

火気とは文字通り火の持つ気(エネルギー)のことです。火は下から上に昇る特性を持っていると前述しました。この特性が成長や発展と結びつけられ祭りに取り入れられているのです。

では、もっとも強力な火気とは何か。それは火の三合を用いた場合に発生します。火は寅に生じ、午に栄えて、戌に死す。つまり木気、火気、土気(もしくは金気)を揃えればいいのです。

木気は当社のご祭神です。火気は登山、登山でかく「汗」、山(三角形、円錐形など先がとがったものが炎を意味する)など多数。土気は人間ですが、この場合は特に子どもですね。

祭りの日はこの三点セットに加え、火気の弱点である水気を潰すことが同時に行われています。それが祭りの日程。旧暦6月は未の月。この月は火気でありながら土気(土用)を含みます。

この土気は火気の月にあることから「火生土」の法則で生まれとびきり強力。土気は「土剋水」によって水を負かします。1は水気の生数なので祭りの日程は「土剋水」を意味するのでしょう。

民俗学者の吉野裕子さんは、このような圧倒的な土気ゆえに旧暦6月を「水無月」と呼ぶようになったと説いていらっしゃいます。これには説得力があると思います。

また、初山参りは子どもが数えで7つになるまで続けられるとのことす。おそらく7が火気の成数であるため、それまで続ければ充分な成長を遂げられるという意味かと思います。

昔、子どもを産屋で生んでいた頃、「七夜」といって7日目になってから赤ちゃんを屋外に出すというのも同じ理由でしょう。

ちなみに端午の節句も同じような意図があるとされます。端午というだけあってもとは午の月(旧暦5月)の初午の日のお祭りです。午は火気の中央ですから火気としてはもっとも強力。

チマキ

チマキ

端午の節句では「チマキ」を食べますよね。チマキは草でくるんだ三角形の甘い餅(もち粉)です。草は木気(寅)、三角形は火気(午)、粉と甘さは土気(戌)に配当されます。

現代人にとって謎の食べ物チマキはこのような理由で誕生したと考えられます。といっても、この説は前述の吉野先生が著書で述べていることなんですけどね。

当社の例大祭「初山参り」は非常に知的で工夫されていると感じます。ここで書いたようなことを意識しながら参加するとより楽しめるはずなので、お近くの方はぜひチャレンジを!

wata

人間は土気。そして土気を生むのは火気ですから女性は土気と火気を併せ持ちます。それが未と重なるため例大祭は女性にとってもありがたい日なのです!

御朱印

富士神社の御朱印

富士神社の御朱印

富士神社の御朱印です。社殿から向かって左手の社務所でいただけます。

ご不在の場合が多いですが、近所にいらっしゃるので時間内であれば電話連絡すればいらしてくださいます。

社務所

社務所

書き手によっていくつか種類があるらしく、どれをいただけるかはお楽しみといった感じでした♪

まとめ

この記事のまとめ

  • ご祭神は木花開耶姫。子宝、安産、子育てのご利益があるといわれる
  • 例祭は旧暦6月1日。子どもの成長が祈願される
  • 御朱印は境内の社務所にて。不在でも電話すれば対応いただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社

この記事で紹介した本はこちら

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