玉造の愛宕神社|常陸太田市

この記事でわかること
  • 由緒とご祭神
  • 社宝の文化財について
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

ふと思ったのですが、水の神は数々いれど火の神は少ないですね。パッと思い浮かぶのはヒノカグツチのみ。他にいましたっけ。

そういう意味ではヒノカグツチに対する信仰は特に篤くなりそうですね。愛宕神社とは秋葉神社に祀られることが多い神様です。

今回は常陸太田市の玉造たまつくりに鎮座する愛宕神社を紹介します。火除(火災予防)のご神徳があるといわれ、立派な文化財を保持していますよ♪

玉造愛宕神社とは

愛宕神社

愛宕神社

由緒

天文年間/1532-1555年
創建
佐竹義篤の男、主計当所に居住し、愛宕大神を鎮祭
※久米町の常光院の境内にあったという説がある
元禄6年/1693年
遷座
水戸藩主徳川光圀公の命で現在地に遷座
江戸時代初期
朱印地を賜る
将軍府より朱印地13石を賜る。他除地2石6斗8升余
明治6年/1873年
村社列格
明治40年/1907年
供進指定
昭和27年/1952年
宗教法人設立
昭和30年/1955年
文化財指定
絹本著色五大尊絵像(2幅)が県指定文化財になる
昭和44年/1969年
文化財指定
絹本著色両界曼茶羅が県指定文化財になる

ご祭神は軻遇突智かぐつちです。そう称したのはおそらく神仏が分離する明治以降、それ以前は愛宕権現でした。「権現」は仏の仮(権)の姿の意味で神仏習合の時代によく使われた尊称です。

『茨城県神社誌』の由緒に記載されていませんが、遷座前は市内の久米町にある常光院の境内にあったと伝えられます。これは常光院の由緒にあることで同院の寺号(愛宕寺)から考えれば理解できるところです。

しかし、それだと当社は永享12年(1440年)に創建した常光院より古いか同じ時代に創建したはずなので天文年間とする社伝と食い違います。じつは社伝よりも古くから信仰されていたりして。

なぜ遷されたかは不明ですが、光圀公の寺社改革の時代ですから、一村に一社の鎮守を設ける方針のもとに玉造村の村社とされたのではないでしょうか。神社は信仰に限らず結束の場としても重視されました。

また、当社の特徴として県指定の文化財が2点もあることが挙げられます。いずれも廃寺となった弥勒院から受け継いだ仏画です。同院は当社南の旧久米第二小学校の敷地にあったそうです。

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今も昔も火除のご神徳があるといわれる神社です。御札もいただけますよ!

アクセス

最寄りのICは常磐道の日立南太田です。国道293号と県道167号を利用して北西へ。下りてから約20分ほどなので、あまり近くはありませんね。。

専用の駐車場でないかもしれませんが、境内南の「玉造ふれあい広場」の立て札のある公園に5台停められます。

名称 愛宕神社
住所 茨城県常陸太田市玉造1423
駐車場 あり

鳥居

一の鳥居

一の鳥居

玉造ふれあい広場の駐車場に停めてそのまま社殿に向かうとこちらの鳥居は見ること叶わず。立派な両部鳥居なのでぜひバックしてご覧ください。鳥居奥に見えるプレハブのある場所がふれあい広場です。

両部といえば両部神道とか両部曼荼羅などと使われるように真言宗と関係の深い言葉です。前述の弥勒院(明王三曼荼羅寺)も真言宗ですから、もしかしたら同院は当社の別当だったのかもしれませんね。

鳥居の先は一見すると車道ですが、じつは駐車場のそばに小さな神橋があったりします。本当に小さいので注意深くご覧ください。

愛宕山と社宝

愛宕山登り口

愛宕山登り口

社殿は愛宕山と呼ばれる小山の山頂に鎮座しています。こちらが入り口でして、よく見ると登山用と思われる小さな杖が置かれています。

山の高さは80mくらいなので厳しい登山ではありませんが、平地に比べたら格段に大変。

文化財の保管庫

文化財の保管庫

二の鳥居までは少し距離があり、それまでに文化財に指定されている社宝「五大尊絵像」「絹本著色 両界曼荼羅」を保管している建物がありました。前述の廃寺となった弥勒院の寺宝ですね。

当然、完全防護なので拝観NG。しかし、わたし自身は常陸太田市の集中曝涼の際に梅津会館で展示されているのを見たことがあります。まず驚かされたのはその大きさ。険しい表情と燃え盛る炎は恐怖を覚えるほどでした。

金剛夜叉明王(『いばらきの文化財』より)

金剛夜叉明王(『いばらきの文化財』より)

集中曝涼のときは写真撮影が禁止されていたので全容をお伝えできないのですが、参考までに金剛夜叉明王の方だけご紹介します。こちらは茨城新聞が発行した『いばらきの文化財』に納められたものです。

展示は毎年ではないので、ご覧になりたい場合は集中曝涼前の10月上旬頃に市教育委員会のサイトなどで展示物を確認しましょう。

いばキラTVの番組でちょっとだけ映っていますね。集中曝涼のようすと合わせてご参考に。

ところで、境内の立て札には五大尊絵像について次のような説明がありました。

五大尊は、不動明王ふどうみょうおう降三世ごうざんぜ明王、軍荼利ぐんだり明王、大威徳だいいとく明王、金剛夜叉こんごうやしゃ明王を指し、愛宕神社には軍荼利明王像と金剛夜叉明王像の二幅がある。いずれも赫赫とした火焔が広がり、右下に「泉涌寿暈尊」「泉涌寺」の墨書きがある。仁和四年(八八八)に仏門に帰依した、第五九代宇多天皇(寛平法皇)の御真筆と伝えられている。

泉涌寺は天皇家の菩提寺にあたります。神道の長ともいえる天皇が僧侶を中心に仏式の葬儀をされていたと初めて耳にしたときは驚愕でした。明治の神仏分離の際に神式に改められたので、今では知っている人は少ないかも。

もし、この画が宇多天皇の御真筆であれば国宝指定は間違いないでしょう。ここでは真贋よりも明王や曼荼羅を通じて天皇と弥勒院の結びつきを強調していることが重要かと思います。

MEMO
曼荼羅の製作時期は鎌倉時代とされる。

二の鳥居と参道

手水舎

手水舎

やたら頑丈に足を補強された手水舎。古くなれば仕方ないところですね。ただ、ここ以外はいい感じでくたびれており、古社の雰囲気漂うステキな境内です。

石段

石段

こけむした石段。古くなり不安定化して頼りないのもまた歴史の一端。

猿田神社

猿田神社

参道の途中、左手に見えたのは猿田神社。ご祭神はもちろん猿田彦さるたひこ。神話では導きの神として大活躍していますよね。

庚申講の祠ではよく目にしますが、こうして社殿で祀られることは少ない神様ですね。知名度の割に扱いがいまいちなのは妻である天鈿女命と似ているところ。

猿田彦命は高い鼻や導く習性から、古い哲学である五行説において「土気」の象徴と捉えられます。土気の神にはさまざまな神徳が考えられ、特にその本性である「稼穡」、つまり種まきと収穫が期待されます。

ただ、その役割は同じく土気と見做されるお稲荷さまに向けられることが多いので、猿田彦命は少々影が薄くなっていたようです。ここではなんらかの理由で立場が見直されているのかもしれません。

二の鳥居

二の鳥居

二の鳥居も両部鳥居。そして色は赤。一の鳥居とほぼ同じです。赤い鳥居は珍しくありませんが、火の神を祀る神社だけにその性質を表しているようですね。

拝殿

拝殿

拝殿

山頂に鎮座する社殿は極めて異質な趣。拝殿はまるで門のように奥行きがありません。

山頂は足場が少なくカメラを引いて撮影できませんので、このような見上げるアングルとなってしまいます。不安定になるにもかかわらず建立したのは山上に重要な意味があるとしてのことでしょう。

拝殿側面に打ち付けられた札

拝殿側面に打ち付けられた札

拝殿の側面には寄進者の札がびっしりと打ち付けられています。かなり読みにくくなっていますが、金銭のほかに五色布や三角布団が見えます。

神額

神額

三角布団とは扁額を掛ける際に額が傷まないようにとフックとの間に挟み込む三角形の厚手の布を指すのでしょう。些細と言っては失礼ですが、改めて挙げられることは珍しいと思います。

しかしながら、私見としては、三角形や布、赤色などは前述の五行説でいうところの「火気」にあたるため、火の神に対する供物としてふさわしいとされたのではないでしょうか。

火消しの扁額

火消しの扁額

扁額には神額のほかに火除祈願とも思える画がありました。火消しの手にはまといが描かれていて時代を感じさせます。ちなみに奉納された昭和27年は当社が宗教法人化された年ですね。

本殿

ロープで支えられた本殿

ロープで支えられた本殿

本殿は立地のせいなのか全体的に傾いており、拝殿から伸びるロープによって支えられています。写真からもそのスリリングなようすが伝わりますね。。

本殿の彫刻

本殿の彫刻

彫刻もなかなかに見事なもの。こちらは二十四孝の楊香でしょうか。父親を虎から助けているように見えます。楊香は日本人好みの説話なのかやたら目にする気がします。

彫刻は三面に施されているのですが、手元の写真には一面しか残っておらず。実際にいかれた方はぜひ残りも忘れずにご覧ください。建物が無事であるうちに。。

神楽殿

神楽殿

神楽殿

拝殿の向かいにあるこちらの建物は神楽殿のようです。社殿の周囲はあまりスペースがありませんので参集殿も兼ねるのでしょう。中には長椅子と神輿、それに携行缶らしき赤いプラスチックが並べられておりました。

山上の狭いスペースに無理やり建てられていますから、神楽殿といっても格別な意図があるように思います。

うさちゃん??

うさちゃん??

かなり個性的な建物でして彫刻では中央の鳥やその左右にいるウサギが目に留まります。ウサギはけっこう怖い顔してます。子どもは泣いちゃうかも。

神楽殿天井の家紋

神楽殿天井の家紋

建物の天井にはびっしりと家紋が描かれていました。氏子の方々のもののようですが、こうして眺めてみると色々あるんですね。昭和期の記録によると氏子は45戸とのことです。

それにしても山に神社を建てるのは大変ですよね。愛宕神社としてはよくあることですけど。火の神と山にどんな関係があるのかといえば、まず浮かぶのはヒノカグツチの体から生まれた神がことごとく山神であることですね。

それに当社の神徳である「火伏せ」も山なくして成立しないように思います。火伏せとは要するに火の力を弱めることですが、手っ取り早いのは水を用いること。しかし、火の神に水の要素は一切ありませんから、水源たる山が大きな意味を持つように考えられるのです。

愛宕信仰を単なる火の神信仰とするのは無理がありますので、おそらく当て字であろう「愛宕」の由来や鎮座地の山が強く関係している違いありません。誠に奥深いことです。

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社宝の絵画にある「軍荼利明王」と「金剛夜叉明王」はそれぞれ五大明王の南と北に配置されます。南は火、北は水の方位であることから愛宕信仰と密接な関係があるように思います

御朱印

玉造愛宕神社の御朱印

玉造愛宕神社の御朱印

玉造愛宕神社の御朱印です。参道沿いの宮司のお宅でいただけます。

実際に参道を歩いてみればしめ縄のあるお家が目にとまるはずです。ご在宅ならいただけるでしょう。

まとめ

この記事のまとめ

  • ご祭神は軻遇突智、創建は戦国時代とされるが、もっと古いかもしれない
  • 社宝の絵画は同地区にあって廃寺となった弥勒院が所蔵していた
  • 御朱印は参道沿いの宮司宅でいただける

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/編:平凡社

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