wata
- 由緒とその背景
- 茨城の頂点の登れること
- 御朱印のいただき方
wata
県内で一番参拝が難しい式内社・八溝嶺神社!
それもそのはず。八溝嶺神社は茨城でもっとも標高の高い山に鎮座していますからね。いまは道路が舗装されて参拝しやすいですが、むかしは苦行だったに違い有りません。
この記事では大子町の八溝嶺神社をご紹介します。と〜っても貴重な御朱印についても書きましたので、ぜひお参りしてみてください!
八溝嶺神社とは
由緒
ご祭神は大己貴命と事代主命です。大己貴命は国造りをした大国主命と同一視されており、事代主命はその次男です。”国譲り”の神話でお馴染みですよね。
由緒の古い部分は同町内の近津神社などとよく似ていますので事実関係は慎重に判断する必要があるでしょう。
途中に真言宗や天台宗との関係を感じさせます。神道、密教系の仏教、そして山岳信仰がミックスされており、修験道の存在も。。境内のこの石碑は重要な意味があると思うんですよね。
八溝山はかつて鬼が住んでいたとか神秘的な逸話の多い山。「八溝」は日本武尊の「この先は闇ぞ」に由来するとか8つの沢があるので名付けられたなどの説があります。
アクセス
八溝嶺神社大子町の八溝山(標高1022m)の山頂に鎮座する神社。神社(社殿)自体は茨城県に位置していますが、八溝山は福島、栃木県にも広がっています。そのため、いまも県をまたいで信仰されています。
駐車場は神社周辺の他、途中にも用意されておりプチ登山をすることもできます。
名称 | 八溝嶺神社 |
---|---|
住所 | 茨城県大子町上野宮2119 |
駐車場 | あり |
表参道の鳥居
右手に見えるのが表参道の鳥居です。昭和46年(1971年)に再建されたそう。ふつうはここから登っていきます。
訪れたのは11月16日。八溝山の麓はこれから見頃という感じ。中腹はちょうど見頃、山頂付近はすでに散っていました。季節感があっていいですね。
鳥居付近にはお手洗いやちょっとした駐車スペースがあります。休憩するのもいいですし、鳥居付近にある祠や石仏をお参りするのもいいですよ。
「八溝 龍虎神」なる社殿を発見。気になりますね。八溝嶺神社の境内社には含まれていません。
近くにあるのは七福神の大黒さまと恵比寿さま。日本神の大国主命と事代主命と同一視されていますから、八溝嶺神社と無関係ではないと思うのですが。。
参道
鳥居の先はしばらく山登り。車が使えますからヒヤヒヤするものの疲労はありません。途中、車を停めて景色を楽しむ場所もありますよ。望遠レンズで写真撮影をしているかたもちらほら。
景色ではなく鳥(ワシ?)を撮っている方もいました。11月はすでに寒いので大変です。。
鳥居から山頂までは15分ほどでした。冬場は路面が凍結したりして危険なので参拝を控えたほうがよいかと思います。
鳥居
神社前に到着。途中、登山をしている親子を何組か見かけました。かなり驚きましたが、結構いらっしゃるようです。麓からじゃないと思いますが。。
八溝嶺神社自体はさほど大きくはありません。両部鳥居も古そうですが、大きくはないですよね。
隣にある白馬は神馬像でしょう。那須町の商店が昭和55年に寄進していました。県をまたいだ信仰、いまだに続いているようですね。
階段を登って社殿の方に向かいます。
社務所
鳥居から社殿に向かう途中、左手に社務所があります。5月3日の例祭の日限定ですが、御朱印をいただく場合はこちら。御札などは拝殿の方で頒布しています。
社殿
拝殿前の狛犬。手彫り感があってわたしは好みです。天気が悪いと威圧感を放つのですが、この日は晴天に恵まれてなんだか気持ちよさそうに吠えていました。
八溝嶺神社の拝殿です。明治17年(1884年)に新築されましたので120年以上の歴史。なんとなくお堂の雰囲気もあります。
水戸藩は八溝嶺神社に対して特別な待遇をしていました。寛永7年(1630年)に初代水戸藩主・徳川頼房が参拝。そして葵の紋を許しています。
延宝4年(1677年)に光圀が造営。斉昭は何度も造営しています。明治2年(1869年)には水戸藩から斉昭の弓が奉納。時代が変わっても崇敬の念は変わらないのですね。
多くの信仰者がいたので配慮したのかもしれませんが、幕末の天狗党の乱の頃にはすでにかつての勢いがなかったとも。天狗党はそれを目当てに大子を目指したといわれています。
2019年11月に参拝したところ、開運神社めぐりのスタンプは置かれていませんでした。前月に猛烈な台風がありましたので片付けたのかもしれません。
でも、ここまで登ってきて押せないと少し凹む。。いやいや、また参拝させていただきます!
本殿の裏側に標高が示されていました。トップ・オブ・ザ・ワールド!
展望台
社殿の左側に見えるのが展望台です。思いっきりお城ですねぇ。。実際のお城はありませんが、観光的な要素でデザインされたのでしょう。
建設からだいぶ時間が立っており、なかなかの廃墟感を醸し出しています。ただ、ここは本当に絶景なのでぜひ登っていただきたいです!
本殿は展望だからでないと形がよくわかりません。山頂の神社を見下ろすのは不思議な気分ですけどね。
県下最高峰の八溝山、しかも山頂にある展望台ですから、ここが茨城のトップofトップ!カリン様とかムスカになった気分です!
秋は紅葉も美しいですし、春には珍しいおまつりがあります。八溝嶺神社の近くには歴史のある日輪寺もありますから、あわせて足を運んでみてください♪
遥拝所
八溝嶺神社は参拝が非常に難しいため遙拝所を設置しています。
遥拝所は神社やお寺に参拝できない方が代わりに拝む場所。日輪寺の遥拝所を兼ねて大子町の浅川地区にあるんです。
正確な住所はわかりませんが、常陸大子駅から県道461号と160号を使って北に進むと見えてきます。
道路を挟んで真弓神社がありますので、そちらを目指しても見つかると思います。真弓神社の住所は大子町浅川2881です。
大きな鳥居ですよね。そばにお賽銭箱も用意されており、八溝山(八溝嶺神社)を向いています。
近くの石碑によると遥拝所は昭和57年(1982年)に設置されました。「八溝知らずの偽坂東」という言葉がある通り、むかしも八溝山には登らずに八溝嶺神社や日輪寺を参拝したことにする方は多かったと思います。
御朱印
八溝嶺神社の御朱印です。5月3日の梵天祭でしかいただけない貴重な一枚。前述の社務所でいただけます。
わたしは足を運べませんでしたので、りんさんにお借りしました。来年こそは。。と思っていたら新型コロナで2年連続で祭りが中止に。
しかし、令和4年になって小規模ながら復活。いろいろな意味でありがたい機会でした。
梵天祭。。梵天というくらいですから仏(仏教)ですよね。もとを辿るとインド神話に登場するブラフマーのことですが。
神仏習合を感じさせる味わい深いお祭り、そして御朱印かと思います。
名馬”鵜黒”の伝説
八溝嶺神社や日輪寺には白馬の像が置かれています。絵馬はもともと本物の馬を奉納していましたから、寺社と馬には深い関係があります。
でも、この地(上野宮)と馬の関係はそれ以上。かつて馬の名産地だったんです。それを感じさせる不思議な伝説もあるんです。
それから沢に来るたび鵜を見かけるようになり、牝馬は鵜を見ると目を輝かせて近づいていくようになった。
それからしばらくすると牝馬は懐妊した。まさか鵜の子どもではないだろうな、と考えながら月日が流れやがて鵜のような黒一色の馬が誕生した。 ”鵜黒”と名付けられたその馬は見る見るうちに育っていった。
そしてある日、通りかかった一人の武将が鵜黒を目にして「これは良馬になる。。」とつぶやき、飼い主の農夫に買い求めた。農夫は武将に応じて鵜黒を渡すと武将は喜び去っていった。武将は那須与一宗高だった。
その後、崇高は鵜黒に乗って源平合戦に出陣し、大将義経の名に従い平氏の掲げた的を見事に撃ち抜いた。
名馬の産地で源氏ゆかりの地ということで、このような伝説が誕生したのかもしれませんね。
下野宮の近津神社には黒い神馬像があり、子どもがお腹の下をくぐると健康になるといわれています。こうした伝説と無関係ではないでしょう。
まとめ
この記事のまとめ
- 古い由緒は不透明。さまざまな信仰の跡があり修験道の存在も見逃せない
- 八溝山は県下最高峰。山頂の展望台に登れば茨城最高点
- 御朱印は5月3日の梵天祭の日だけいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の伝説/編:茨城新聞社
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。