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4月4日は何の日かご存知ですか?実はあんぱんの日なのです。アンパンマンのあんぱんです。明治8年に明治天皇へあんぱんが献上された日なので記念日とされました。
そのあんぱんを発明したのが木村安兵衛。木村屋の創業者です。それが茨城県とどんな関係があるのかといいますと、なんと牛久市の田宮に生まれ、つまり茨城出身というわけです。
今回はそんな安兵衛とあんぱんについて学べるマンガをご紹介します。ネット上で読めるのでだれでもいつでも読めますよ!それとゆかりの神社も発見したので、行ける方はぜひ!
木村屋の創業者にしてあんぱんの開発者・木村安兵衛について学べるのはibaraki e-bookにある『あんパンの生みの親 木村安兵衛』です。リンク先でだれでも読めます。
マンガが公開されたのは今年3月、茨城新聞などのメディアが報じていたので知っていたのですが、そのときは龍ケ崎市の図書館などでしか読めませんでした。今では電子図書館でいつでも読めます。ありがたい!
安兵衛は婿養子として龍ケ崎市の川原代町に渡って農家をしていました。ゆかりの人なんですね。
しかし、水害(小貝川の氾濫)で農業が難しくなってしまったので新しい仕事を探すため江戸へ。そこでパンの製造を始めるのです。そのときなんと50歳!当時としては高齢なので大決心です。
また当時の日本でパンは一般的でなく、味も日本人好みではありませんでした。そこで日本人の舌に合うように改良を重ねて誕生したのが木村屋のあんぱんなのです。
明治天皇に献上されたあんぱんは、塩漬けされた桜の花びらをうめこんだ「酒種あんぱん桜」です。(リンク:銀座木村屋總本店)
酒種はパンをふくらませるための材料ですね。それまでのビール種ではやわらかく仕上がらなかったので、酒まんじゅうにヒントを得て生み出されました。
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現在、龍ケ崎に安兵衛がいたことがが分かるものはほとんど残っていません。しかしマンガには少しだけ安兵衛の足跡を感じさせるものが描かれていました。(じつは表紙にもある)
それがこちらの神社です。川原代町の田んぼの中にありまして、お祀りしているのはお稲荷さまと筑波山三社大権現。建立したのは木村屋の四代目である栄三郎です。
神社は鳥居と異なる方向を向いています。てっきり筑波山の方向かと思っていましたが、どうやら違うよう。もしかしたら参拝者が安兵衛のいた江戸を向くようになっているのでしょうか。
訪ねた際に木村屋と分かる棟札はありませんでしたが、場所と見た目からして木村屋のもので間違いありません。『茨城県神社誌』に未記載ということは氏神と思われます。
周辺の道路がかなり狭いので参拝には少々苦労するかも。見たとおり駐車場はありません。でも偉大な茨城の先人を感じられる神社ですから、龍ケ崎に行ったらぜひ思い出すだけでもしていただきたいですね。
アクセス
以前のGoogleMapには「権現堂」とありましたが、現在では名称が改められています。どなたかがマンガをご覧になったようですね。
・木村家の創始者である木村安兵衛は茨城県出身(生まれは牛久市田宮)
・安兵衛のあんぱんは、明治8年の4月4日に明治天皇に献上され、その日が記念日となった
・木村屋の建てた神社は安兵衛の故郷である龍ケ崎市の川原代町にある
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。