wata
夏祭りといえば祇園祭。現在では八坂神社の例祭として毎年7月下旬に開催されることが多いかと思います。土浦市の場合は旧郷社の真鍋八坂神社の祇園祭が有名です。
土浦の夏祭りとしては「真鍋のまつり」もよく知られています。8月下旬に開催されるので子どもたちにとってもかなり印象的かも。「真鍋のまつり」は真鍋八坂神社のご近所に鎮座する真鍋鹿島神社の例祭です。
神社自体はあまり有名でないかもしれませんね。でも真鍋小学校と土浦一高の間にあるといえばなんとなく分かるでしょうか。今回はそちらに神社について可能な限り詳しくご紹介しますね。
この記事でわかること
- どこよりも詳しい由緒と御祭神
- 駐車場はなし。真鍋八坂神社を利用
- 御朱印は宮司の本務である真鍋八坂神社で
由緒
鹿島神宮の鬼門五社中の一社として創建と伝わる。
天慶の乱に際し、常陸大掾平国香が戦勝祈願。
10月、町内の吹上神社を合併
6月に熊野神社、10月に猿田彦神社を合祀。
ご祭神は武甕槌命です。鹿島神社の本営は茨城県鹿嶋市です。常陸国の時代は一宮とされていたので、国内のあちこちに本営から分霊して神社が創建されました。茨城を代表する神様ですね。
それに加えて、天照大神、熊野加夫呂岐櫛御気奴命、猿田彦命を配祀しています。これらは明治の合祀によるのでしょう。アマテラスは吹上の御祭神でしょうか。この社号は県内で初めて目にした気がします。
創建は大同年間。神社巡りをされている方ならよく耳にしているはず。当社の場合は「鹿島神宮鬼門五社」のひとつとして創建されたと伝わります。後の四社は…知りません!
もうひとつ興味深いこととして、天慶の乱(平将門の乱)の際に常陸大掾であった平国香が戦勝を祈願したという伝承があります。国香が敗れてしまったのは、将門の力が鹿嶋の神を上回ったということでしょうか。
県内の戦勝祈願といえば、源平合戦に勝利した源氏にちなんだものがほとんど。ほぼ八幡太郎伝説となっていますが、こうして敗れた平家側の名前が上がるのはなにか特別な理由があるのかもしれませんね。
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アクセス
神社専用の駐車場はありません。氏子であれば社殿の後方から車で境内に入れるようですが、一般の参加者はNGです。真鍋小の桜を見るために駐車することも当然できません。
本務の真鍋八坂神社の駐車場を利用できますので、10分ほど歩いて参拝することになるかと思います。
名称 | (真鍋)鹿島神社 |
住所 | 茨城県土浦市真鍋4-3-6 |
駐車場 | なし |
Webサイト | なし |
鳥居
真鍋八坂神社から徒歩で参拝。向かって右手にあるのは真鍋小学校です。だいぶ古い学校でして、古木のソメイヨシノが知られています。校舎自体は新しいのでそれを感じさせませんね。
こちらで御朱印が始まったことを耳にして、2年ほど前に参拝したところ鳥居前の整備工事がされていました。それで今のようになったのですね。
「奉納」の石柱の裏を覗くと「代表取締役 中川清」。市長を16年務められた土浦の名主ですね。現在は中川グループの「総帥」の立場なのだとか。ネオ・ジオンみたい。でも「社長」よりカッコイイですね。
玉垣には神社と地域に関するお囃子や会社の名前がずらりと見えます。お囃子は神社がないと成立しませんから、存続を願ってやまないのでしょう。
有志によってたびたび整備されているので古社の雰囲気は感じません。境内でもっとも古いものといえばこちらの鳥居でしょうか。宝暦11年(1761年)に建立されました。土浦(藩)が栄えていた時期ですね。
参道
住宅街に鎮座する鹿島神社はかろうじて鎮守の森をキープ。だいぶ人の手が加えられているようですが、ありのままは荒れていると同義ですから、これが神社本来の姿なのかもしれません。
参道沿いに建てられた記念碑。「皇紀二千六百年」とあります。戦中の戦意高揚のために建てられたのでしょうか。「真鍋町大字大宮鎮座」とあります。
たぶん「大宮」が旧村名です。郷社の真鍋八坂神社と近いのですが、村が違うので信仰する人々も違ったのでしょう。ちなみに八坂の大字は「天王前」です。
中川延四郎氏は昭和40年代に編纂された『茨城県神社誌』で当社の責任役員になっています。
拝殿
入母屋造の拝殿。水引虹梁に目立った彫物はなく、小さめの注連縄が提げられていました。
注連縄をまじまじと見ることは少ないので、こんな形あったかなと考えました。注連縄は原則的に参拝者から見て右側がはじまり、左側が終わりです。その中間で左右の藁を結ぶようになっているとは。
こちらが近年加えられた案内。江戸時代に貿易と商業都市として栄えた土浦には多くの人々が住んでいたので、それに見合うだけの寺社があります。御朱印巡りにはうってつけなので、嬉しい案内ですね。
拝殿の手前の石灯籠の裏側には「真鍋小学校同窓会 会長 中川延四郎 他一同」。前述した中川(元)市長のお父さんですね。
昭和51年、同窓会一同は真鍋の善応寺の梵鐘を再鋳して奉納しています。真鍋小学校の創立百周年を記念しての事業とのことでした。同小学校に隣接する当社も同様の想いからなのでしょう。
本殿
本殿は一般的な流造。千木と鰹木はなく、脇障子や羽目板に彫物が見られません。シンプルなタイプですね。
向拝の手挟、海老虹梁は波と雲、妻飾りにも雲がありました。これらはすべて水に関係するので、火に弱い社殿を守る気持ちからあしらわれたのではないかと思います。彫刻に関しては一貫性があります。
鹿島神社例大祭(真鍋のまつり)
「真鍋のまつり」として知られる当社の例祭(鹿島神社例大祭)。お囃子として参加している「新川囃子連合」がInstaやYouTubeで情報をシェアしてくれていたのでご紹介します。
旧村社の小さな祭りと思うことなかれ。旧六号に交通規制をかけて大々的にやりますから市民であれば知っている方は多いかと思います。
旧暦では9月9日でしたが、現在は8月下旬。子どもたちの夏休みラストスパートに重なりますから、それはもう盛大にやります。これが終われば夏も終わりという感じですね。
御朱印
真鍋鹿島神社の御朱印です。本務の真鍋八坂神社でいただけます。わたしは土日に拝受することが多いですね。最近は神職の方が授与所にいらっしゃいます。
御朱印のブームが真鍋鹿嶋の氏子の方々の耳に入ったようで近年頒布がはじまりました。
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・真鍋鹿嶋神社は大同元年創建。平国香が戦勝祈願したという
・境内は中川グループをはじめ、多くの崇敬者によって整備されている
・御朱印は真鍋の八坂神社でいただける
茨城県神社誌|茨城県神社庁
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。