wata
古墳の上に鎮座するとっても珍しい神社を見つけちゃいました。しかもご近所。
わからず建てたのか、それとも。。気になるところですよね。
この記事では土浦市の常名に鎮座する常名神社をご紹介します。じつは御朱印をいただけるんですよ♪
社殿の焼失について
2023年5月8日付の毎日新聞で常名神社の社殿の焼失が報じられました。記事を一部抜粋します。
7日午前0時40分ごろ、茨城県土浦市常名(ひたな)の常名神社付近から火が出ているのに近隣住民(40)が気づき、「竹林が燃えている」と119番した。木造銅板ぶき平屋建ての本殿約30平方メートルと、隣接するプレハブ物置約5平方メートルが全焼し、約1時間後に消し止められた。出火当時、神社は無人でけが人はなかった。土浦署と市消防本部が出火原因などを調べている。
土浦署などによると、近くに住む無職の女性(81)が通いで社務などをしていたが、出火当時は不在で無事だった。
茨城・常名神社が全焼 御朱印ブームで「隠れた人気スポット」|毎日新聞
火災により現在の境内は当記事の内容と大きく異なっており、御朱印の頒布等も難しいかと思います。当社について何か変化がありましたらすぐに記事を更新いたします。
この記事を更新している今現在も出火の原因等については報じられていません。
常名神社とは

常名神社
由緒
※『茨城県の地名』では大正10年(1921年)


御祭神は菅原道真公と誉田別命です。天神社と八幡神社を合併したので当然ですね!
菅原道真といえば「学問の神様」として知られている一方で、死後に怨霊となって恨みのあるものに雷を落とした伝説が有名です。それが雷神であり、稲作を助ける農業神とされる由縁でしょう。
現在の境内は志望校の合格の絵馬が見られるので前者の天神像かと思いますが、かつては後者を意識していたのではと思います。
ただ、当社の例祭は11月3日(文化の日および旧明治節)となっており、天神社特有の初天神などが見られないことから、八幡神社の性質が強かったことが考えられます。
常名って変わった地名ですよね。「日棚」とか「浸る」に由来するのでしょうか。傾斜のある土地で昔は桜川も近くを流れていましたので、いろいろと想像が膨らみます。
創建について不詳とされていますが、合併して誕生しましたので大正2年、もしくは同10年としてよいかと思います。合併した東天神社などの歴史は不明とのことですね。
常名神社が鎮座する常名天神山古墳(市指定文化財)は全長約70mの前方後円墳。一部削り取られましたが、元は90mほどあって玉塚古墳(手野町)に次いで市内2番目の大きさです。
『茨城の地名』によれば、現在の鎮座地は西天神社のあった場所です。
生前の「菅原道真」はこちらから
アクセス
都和南小学校のある高台から少し降りたところ。住宅街に囲まれているので市民であってもほとんど知らないかも。。
鳥居付近に駐車場はありません。社殿の裏の方から境内に回り込んで下さい。以下のような場所です。
正直、参拝者はほとんどいませんので駐車できないことはありませんが、道中細い道路なので運転にはご注意を。。
名称 | 常名神社 |
---|---|
住所 | 茨城県土浦市常名2445-1 |
駐車場 | あり |
サイト(連絡先等) | 茨城県神社庁新治支部 |
鳥居

社号標と鳥居
車は境内の駐車場に停めてぐるりと回って鳥居まで戻ってきました。村社の社号標と明神鳥居がありますね。
合併してひとつとなった常名神社ですが、それは時の政府の神社合祀令によるもの。氏子自らの意思でないので全国的には不満を持つ方も多かったとか。
ただ、常名神社の場合はスッキリまとまったそうですよ。同じ祭神の天神社だったせいかもしれませんね。

石段と手すり
社殿へ続く石段は急です。手すりがあるので大丈夫ですが、石段は狭い幅で年月が経っていることから丸みを帯びています。要するにかなり注意が必要でした。
拝殿

最後の石段
やっと拝殿が見えました。。ハァハァ。ちょっと疲れます。

拝殿
拝殿は銅板らしきもので覆われており中を見ることができませんでした。やっぱり防犯のためでしょうか。
お賽銭を投げ入れる穴から『二拝二拍手一拝』の案内が見えました。御祭神は道真公と八幡さまなのでふつうの参拝していいようです。ぱんぱんっ!
拝殿の隣には絵馬がちらほら。天神社の性格がありますので地域の方が合格祈願をされたようです。
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本殿

本殿(覆屋)
覆屋で大切に守れた本殿です。屋根の部分には天の邪鬼らしき彫刻が。。

屋根を支える天邪鬼
珍しいですよね。市内の東光寺でも同じ彫刻を見たことがあるんです。職人さんが同じだったりするのでしょうか??
そういえば東光寺も神仏習合が色濃く残っていました。ここも随分と。。
神仏習合の名残が見られる境内

古墳の上の境内社
少し境内を見て周ります。いまでこそキレイに整備されていますが、かつては木々が鬱蒼と茂った鎮守の森だったのでしょう。
社殿は前方後円墳の後円部にあります。後円部は高さ約5.8m。前方部は3mなのでちょっと高くなっています。
古墳は付近でよく見かけるんですよね。車で5分ほどの武者塚古墳では石棺や数々の銅製品が発掘されていまして、出土品は国指定重要文化財となっています。

神仏習合の名残の石仏
前方部のあたりには境内社の稲荷神社などが並んでいます。お地蔵さまのように見えるのは神社誌にある大日如来でしょうか。そしてこんなものも。。

不思議な樹木
むむっ、よくわからない植物ですが、ここだけ土を残して維持されています。根のあたりに石碑があって「善道法師」と掘られていました。嘉永2年(1849年)に造られたようです。
なにか特別な場所だと思うのですが。。うーん、ミステリーなまま帰ってきてしまいました。宮司さんだったらわかるかな?

石造宝篋印塔
同じく前方部にある宝篋印塔。安土桃山時代の作とされ市指定文化財です。
宝篋印塔は免罪と来世の幸せを願う塔なので武士との関係が深いと考えられます。安土桃山時代はいわゆる戦国時代とかぶりますから、当地の武将が残したのかもしれませんね。。
そういえば、土浦市史をのぞいてみると殿里に近い水田辺りに常名城があったそう。城主の菅谷治貞で天正18年(1590年)に佐竹氏によって滅ぼされてしまったのですが。。
城跡には「八幡」の祠が残っているそうです。八幡さまは源氏の守護神ですから常名城主は源氏だったのかもしれませんね。
この地に合祀された八幡神社はそちらにあったのでしょうか。常名城は高台にあったといいますから、常名神社の景観と少し似ていたかも。
城主の菩提寺は常名神社から徒歩5分の金山寺でしたので、なんだか城がこちらに移ってきたかのようですね!もしかしたら宝篋印塔も!?
御朱印

常名神社の御朱印
常名神社の御朱印です。個人的に大変思い入れのある神社なので、いただけてニヤニヤしております。
御朱印の頒布場所は宮司のご自宅なので、ネット上での公開は控えさせていただきます。
ただ、神社庁に所属している神社なので周辺の本務社で尋ねれば連絡先を教えていただけるかと思います。もちろん参拝後にいただいてくださいね。
まとめ
この記事のまとめ
- 常名地区の鎮守社、天神社と八幡宮が合祀された
- 古墳の上に鎮座している珍しい神社
- 御朱印は宮司の自宅でいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城県の地名/下中邦彦
この記事で紹介した本はこちら
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
御朱印巡りをされる方へ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。