【その3】静神社とアワの謎|那珂市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

しず神社の社伝は天保期に焼失したため非常に限られています。しかしながら静周辺は古代から多くの人々が生活しておりましたので周辺情報から辿れるところもあるのではと思います。

今回は前回触れた蛇信仰をより深く探ってみます。今に伝わる蛇信仰はじつのところ古代から続いていたのではないかとする説ですね。知っておくと静神社の参拝や周辺の散策がより楽しくなるはずです!

過去の記事をご覧いただかないと難しく感じるかもしれませんので、ぜひ以下の記事もご覧ください!

【その1】じっくり知ろう静神社|那珂市

【その2】蛇と静神社|那珂市

「阿波」について

奉納された蛇の絵

奉納された蛇の絵

静周辺の「アワ」

前回の記事で静神社周辺の藤内神社と鷲子山神社には蛇に対する信仰が見え、静と鷲子山には阿波国の忌部氏による繋がりも考えられるとしました。

これまでに取り上げた「三輪山信仰」に注意しながら少し視野を広げてみると興味深いことに気が付きます。『常陸国風土記』(721年成立)の那珂郡の記述を見てみましょう。

郡衙から東北方、河をはさんで駅家うまやが設けられている。もとは粟河に(もっと)近くて、河内こうちの駅家といった。今でも本の名に従って(河内と)名付けている。
常陸国風土記 全訳中|秋元吉徳|講談社学術文庫

「河内」は『和名抄』と『延喜式』の記述から今の水戸市渡里町と那珂川を挟んだ対岸の中河内辺りを指すそう。渡里町は水戸北ICのあるところですね。ここで重要なのは那珂川が粟河あわがわと呼ばれていたとされることです。

阿波山上神社

阿波山上神社

河内を流れる粟河(那珂川)を上ると藤内神社、その上に静神社、さらに上ると式内社の阿波山上あわのやまうえ神社です。この阿波は粟と同音・同義とされています。とにかくここでも「アワ」。

阿波山上神社のご祭神は少彦名すくなひこなです。三輪山信仰は大物主を主祭神とし、大国主と少彦名が配祀としますから、ここにも信仰の一端が見えました。同社は平地に鎮座しているのに「山上」と称するのは山の神を祀ることに由来するのではないでしょうか。

静周辺で活躍した氏族(忌部氏)の本拠地が阿波。そして同地域には古くから「アワ」と付く川や地名があります。「アワ」は文字通り穀物に由来するのでしょうか。続いては「アワ」の意味をもとめて県南地域に飛びます。

稲敷市阿波

大杉神社

大杉神社

茨城県の県南に位置する稲敷市。同市でもっとも有名な神社といえば大杉神社。「あんば様」の愛称で知られ、神社とは思えない豪華絢爛な境内が特徴です。

「あんば様」は『常陸国風土記』にもある「安婆嶋」の地名に由来するとされています。現在の鎮座地は稲敷市阿波ですから安婆嶋が転じてのことでしょう。ただ、もしかしたら初めから「あわしま」の発音かもしれません。

同社の由緒を公式サイトから引用します。

神護景雲元年(767)当時都が置かれた大和国(現・奈良県)を旅立った勝道上人は、下野国二荒山(栃木県日光)をめざす途上にあり、大杉神社に着くとそこで病苦にあえぐ民衆を救うべく、巨杉に祈念すると三輪明神(奈良県三輪の大神神社)が飛び移り、病魔を退散せしめたところから、やがて大杉大明神と呼称されるところとなりました。
大杉神社(公式)

現在は主祭神を大物主とし、大国主と少彦名を配祀しています。大杉神社のご神木は三本杉。これは三輪山を御神体とする大神神社の神文と同じ。ご神徳も完全に一致しますので三輪山信仰として間違いありません

注目は創建の年号です。静周辺では『常陸国風土記』の時代に三輪山信仰と「アワ」の関係が見えますので、もし「安婆嶋」が「阿波」と同義なら当地の三輪山信仰は神社の創建前までさかのぼる可能性があります。

当社を創建したとされる勝道は下野国の出身で大和国との関わりは不明です。三輪山信仰を伝えたとするなら、下野国にすでにあった同信仰を伝えたとする方が自然ではないでしょうか。また、勝道は上人の敬称から僧侶の印象があるかもしれませんが、特定の宗派に属しておらず分類するなら修験道のような立場です。

大杉神社の次郎杉(神木)

大杉神社の次郎杉(神木)

実際のところ勝道と大杉神社がどこまで関係したかはわかりません。ただ、大杉神社が今も天狗伝承を重視し、境内で禹歩を伝えていることなどを考えると神道よりも修験道寄りであり、その本営ともいえる日光山を開山した勝道が創建に関わるのは納得できるところです。

以上のような理由から、大杉神社の三輪山信仰は静周辺と同じように下野国を経由したと思うのです。その裏付けのひとつとして大杉神社の西北、すなわち下野国寄りに鎮座する阿彌神社(中郷)の存在が挙げられます。

阿彌神社(中郷)の入り口

阿彌神社(中郷)の入り口

同社の主祭神は豊城入彦とよきいりひこ。崇神天皇の皇子ですから神ではなく人間です。茨城では極めて珍しいご祭神といえるでしょう。なぜ生身の人間が祭神なのかといえば、『日本書紀』にあるように命が大和国から東国統治のために派遣され、三輪山信仰を伝えたとされることに起因すると思います。

ちなみに阿彌神社は阿見町の高久にも同名の神社があり、いずれも式内社(論社)です。阿彌神社と大杉神社の間にある楯縫神社も式内社(論社)なので「アワ」の地には不思議と式内社が集まっているようです。

「楯縫」は祭具の盾を調達する神祇氏族の名前でもあるので静周辺と同じように三輪山信仰を伝えたのも神祇氏族なのかもしれません。

なお、『常陸国風土記』によれば「楯縫」は普都主命(経津主命)が当地を平定後に楯を脱いだ地であることに由来します。経津主命は茨城県では旧下総国である県西地域を除いてあまり目にしませんが、「アワ」の地となれば式内社として祀られるのは興味深いですね。

ますます気になる三輪山と「アワ」の関係。わたしにはこれ以上を追求できませんが、個人的な結論は出ておりますので次にまとめます。

アワ=大蛇

先に結論から申します。「アワ」とは大蛇おろちを意味する言葉だと思います。ただし、初めからそうなのではなく別の言葉から転訛してのことです。

まずは『古語拾遺』(807年成立)にある次の記述をご覧ください。

素戔嗚命は天上から出雲国の斐伊ひい川の上流に天降あまくだりました。天十握剣あめのとつかのつるぎ(その名前は天羽々斬あめのははきりといい、今は石上いそのかみ神宮に納められています。古い言葉に、大蛇おろちをハハといい、大蛇を切るという意味になります)で八俣大蛇やまたのおろちを斬りなさった。
神話のおへそ『古語拾遺』編/監:神社本庁

これによると大蛇はかつて「ハハ」と呼ばれていました。古文の時代ですから発音は文字通りではなく「ハワ」あるいは「パワ」だったかもしれません。

もしそうだとすると「アワ」とは非常によく似た音ですから、聞き手の誤解もあって「ハワ」→「アワ」と転訛したと推測します。「パワ」の発音であれば「ファワ」に転じてから「アワ」かもしれません。

また、「ハハ」を文字通りに発音したとする場合、同音の「母」に興味深い遷移がありますので『岩波古語辞典』から引用して紹介します。

はは【母】 平安時代以降ハワと発音が変化したが、ロドリゲス大文典などによると、室町時代には再びハハとする発音もあったらしい>>

古代の発音についてまったくの素人なので考察が難しいのですが、発音の変化にある程度の法則性があるとすれば、大蛇を意味する「ハハ」も「母」と同様に「ハワ」になるのではないでしょうか。

そして結局は「アワ」に転訛していくのです。アワ=大蛇ですから、『常陸国風土記』にある粟河の本来の意味は大蛇河おろちがわです。それゆえ川沿いに蛇信仰が点在し地名にまでなっているのです。

こうした発想はわたしが知らずにこじつけているのかもしれません。あやしい説なので参考程度にしてください。

とはいえ、「アワ」と蛇、そして三輪山は奇妙ともいえる結びつきがあります。もとは静神社の謎の蛇信仰を辿るために展開した話なので「三輪山の蛇に由来しそう」として完結させてください。

これらはあくまで古代のことです。中世から近世、特に江戸時代はどうだったかはまた別の機会に書かせていただきます。そちらもだいぶエキセントリックで面白いのでご期待ください!