【2020年】鹿島神宮の祭頭祭|駐車場・交通規制|鹿嶋市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

注意

2020年の祭頭祭は新型コロナウィルスの影響により14日に予定していた『祭頭囃し・春季祭のみ』延期となりました。日程は未定です。分かり次第、情報を更新します。
参考:鹿島神宮公式サイト
参考:茨城新聞(2020年3月2日記事)

常陸国の一宮、鹿島神宮のもっとも大きなおまつりといえば祭頭祭さいとうさい

今年(2020年)から関連行事の開催日が変更となりました。概要を以下にまとめます。

2020年の開催概要

  • 名称→祭頭祭
  • 日程→2020年3月9日 ※祭頭囃し・春季祭は14日日程は未定
  • 時間→10時〜祭頭祭、12時〜祭頭囃し、18時〜春季祭
  • 場所→鹿島神宮(茨城県鹿嶋市宮中2306-1)周辺
  • 公式サイト→鹿島神宮

このおまつり、長い歴史のある厳かな雰囲気の鹿島神宮のイメージとは少し違うかも。。

実際に見たことある方は少ないと思いますので、この記事でどんなおまつりかご紹介します。わたしが行けたのは最後の方でしたが、エッセンスはしっかりお届けしますよ!

祭頭祭とは

子どもから大人まで参加する囃し人

子どもから大人まで参加する囃し人

祭頭祭は鹿嶋市にある鹿島神宮で毎年3月9日に開催。鹿嶋に春を告げ、その年の五穀豊穣と天下泰平を祈願する大切なおまつりです。

特徴はなんといってもド派手な衣装の囃人はやしびと。太鼓の音と「イヤートホヨトホヤァー」の歌に合わせて樫の棒を組んだり離したりする祭頭囃さいとうばやしを行います。

その囃人を指揮するのが大総督。なんと5歳の男の子なんです!毎年、祭頭祭が終わった後の秋季祭卜定ぼくじょう(占い)をして決定。それにあわせてまつりの一団を務める郷(地域)も発表されます。

まつりの歴史は建仁4年(1204年)の文献にまでさかのぼりますが、時代によっていくつか意味を持っていたそうです。

江戸時代は仏教行事の「常楽会」を含んでいて、お釈迦様が亡くなった2月15日にありました。当時は鹿島神宮の境内に神宮寺があったので神仏が混ざっていたんです。3月9日の開催は太陽暦に変わった明治6年以降です。

鹿嶋デジタル博物館には次のような説もありました。

また、祭頭祭というと『防人の祭』であるという説が現在最も有名ですが、この説の起こりは、昭和7年以降のことです。
祭頭祭の歴史/鹿嶋デジタル博物館

満洲事変の翌年で日本が国連を脱退する前年。つまり戦争の気配が強くなった時代です。それぞれの時代の人々の思いが反映されてきたおまつりだと思います。

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いまのようになったのは神宮寺が廃寺となった明治初期からです。これからも時代に合わせて変化するかもしれませんね!
MEMO

祭頭祭は国選択無形民俗文化財に指定されており、記録や保存、公開を国から補助されます。重要無形文化財とは異なります

駐車場と交通規制

駐車場は有料です。

オススメは鹿島神宮まで徒歩3分、広くて停めやすい臨時駐車場(鹿嶋市宮中1-13)です。料金がわからないのですが、おそらく500円〜1000円です。

次にオススメするのは神宮まで徒歩7分ほどの駅前駐車場。3時間まで100円と超激安です。24時間停めても300円!

ただし、駅前は駐車できる台数が数十台です。停められたらラッキー!

その他の駐車場や14日の交通規制については以下のリンクでご確認ください。なお、9日はお囃子がありませんので交通規制もありません。


参考
祭頭囃し交通規制案内鹿嶋市公式

2019年の催事のようす

昨年は現地に行ってきましたよ〜!

ド派手で勇壮!鹿島神宮らしさに溢れる祭頭祭は特にご覧頂きたいおまつりですね。

囃人

駅前の格安駐車場に停めて鹿島神宮へ。鳥居の前の通りは通行止めされて歩行者天国になっていました。

鹿嶋神宮前通りで祭頭囃

鹿嶋神宮前通りで祭頭囃

鳥居に向かって直進すると。。いました。囃人です!

先陣を切る馬簾持ち

先陣を切る馬簾持ち

祭頭囃ははじめに馬簾を持った囃し人が大声を上げながら突進。ぐるぐると馬簾を振り回した後に残りの囃し人が続きます。

約1.8mの樫の棒と組んだり離したり。女性もいますが、力強く勇ましいので男たちの合戦を連想させます。囃人は一組あたり15人〜16人。今年は約200名が参加しました。

夕暮れの本陣

夕暮れの本陣

囃人は午後1時の出陣から終わりまで3時間以上、祭頭囃を続けます。子どもからご年配の方まで参加していますが、かなりの体力勝負ですね。

囃し人をよく見ると、まつり本来の衣装でない方もちらほら。ドリフの雷さまのようなアフロヘアーもいました。たしかにタケミカヅチは雷神の異名を持っていますが。。

囃人の子どもたち

囃人の子どもたち

ぬいぐるみやキャラクターのバッグを背負っている子もすごく多かったです。どんな意味があるのか気になるところ。ジャビットくんにはちょっと笑ってしまいました。

江戸時代、祭頭囃は「悪路王退治の余風」「鹿島香取の上古の神軍の様を象った様」といった解釈もされたとか。『悪路王』は実在したかわかりませんが、蝦夷の王です。

平安時代、初代征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷を平定した史実が、いつしか鹿島の神が蝦夷の悪路王を退治した伝説となって取り込まれたのだと思います。

寛文4年(1664年)に奥州の藤原満清から奉納された悪路王の首像は神宮の宝物になっていますよ!

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囃し人の「イヤートホヨトホヤァー」を漢字で書くと「礼豊穂善豊穂弥」。なんとなく『五穀豊穣』が伝わりますよね

大総督

大総督

大総督

祭頭祭の大総督。なぜ、5歳前後の男の子がなるのかはわかりませんが、続いているのには理由があるのでしょう。

大総督は朝10時に鹿島神宮で祈祷を受けてから月読社にお参りして本陣へ。狩衣から甲冑に着替え午後1時に行列を引き連れて出陣します!

社殿前に囃し込み

社殿前に囃し込み

大総督の後に囃し人が続き、町を練り歩きます。わたしが到着した午後3時半ごろはちょうど『うちだや』から鹿島神宮へ囃し込むタイミング。

神宮前の通りや境内は素晴らしい撮影スポットなので、たくさんのカメラマンがいました!

大総督は新発意とも呼ばれます。かつて仏教の催しでもあった名残です

一斉囃し

鹿島の神にお参りする囃人

鹿島の神にお参りする囃人

境内に入った囃人は社殿まで来るとお参りしてから待機します。

一斉囃し

一斉囃し

少しするといよいよ一斉囃し。すべての囃し人が楼門をくぐり社殿の前に集合。大総督の一声で一斉に踊りだします。

わずか5分ほどだったと思いますが、最後の力を振り絞った囃人による奉納。会場が熱気に包まれて、いるだけでドキドキしました。

最後の万歳三唱

最後の万歳三唱

奉納が終わると最後にみんなで万歳三唱!久しぶりにやりました。なかなか気持ちよかったです。これにてめでたくお開きとなりました。

本陣に帰る大総督と囃人たち(鳥居前)

本陣に帰る大総督と囃人たち(鳥居前)

夕日に照らされながら撤収する鹿嶋の皆さん。文字通り輝いていました。終日踊りっぱなしだった囃し人の爽やかな表情もよかったです!

まとめ

この記事のまとめ

  • 鹿島神宮の祭頭祭は毎年3月9日に開催
  • 令和2年から9日が平日の場合に祭頭囃しと春季祭を9日以降の土曜日に行うことになった
  • ド派手な衣装の囃人の踊りが特徴の五穀豊穣を願うお祭りとなっている

参考文献

鹿嶋ものしりハンドブック/編:鹿嶋市・鹿嶋市教育委員会・鹿嶋ものしりハンドブック編集委員会

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