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歴史を学ぶならマンガですよね〜!
わたしは『るろうに剣心』を読んでなければ幕末や明治維新に興味持たなかったかも。やっぱり面白いとか分かりやすいって大切です!
先日、かすみがうら市のお城(かすみがうら歴史博物館)に立ち寄ったら、同市出身の竹内百太郎と伊東甲子太郎の生涯を描いたマンガを発見。わずか300円で色々と学べる傑作でした。
この記事ではかすみがうら市の『先人シリーズ』の記念すべき1冊目『竹内百太郎と伊東甲子太郎』をご紹介します。歴史が苦手という方もぜひお読みいただきたいです!
かすみがうら市の先人シリーズとは
『竹内百太郎と伊東甲子太郎〜つながるワタシたち』はかすみがうら市の市政10周年を記念して2015年(平成27年)に制作されました。全96ページの大半はマンガになっており、同市の先人について非常にわかりやすく学べます。
取り上げられている竹内百太郎と伊東甲子太郎はいずれもいわゆる幕末(江戸時代末期)に活躍しました。百太郎は天狗党、甲子太郎は新撰組に所属していましたので二人はまったく違った立場といえるでしょう。
マンガの主人公は郷土の人物を学ぼうとする女子高生モモコ。それを歴史好きなナオキがサポートします。百太郎と甲子太郎は作品で一言も話しません。あくまでモモコたちが歴史的な事実を辿りながら、当時の二人について考える物語です。
歴史に詳しい方は二人をどのような描くのか興味を持つことでしょう。天狗党は藩内で乱暴狼藉を働きましたし、新撰組は京都の治安維持のためとはいえ過激なことをしました。甲子太郎に至っては裏切り者扱いされることも。。
本書はそれを承知で多面的な人物の捉え方を提案しています。それでは内容について簡単にご紹介します。
竹内百太郎と天狗党
竹内百太郎(かすみがうら市安食出身)はどんな人物だったのか。決して情報は多くありませんが、次のようなことが描かれていました。
- 郷士(武士に準ずる)の立場。豪商の家でお金持ちだった
- 私塾や弘道館で水戸学を学んだ教養人。水戸学の影響で尊王攘夷派に
- 佐久間象山の門下で砲術。千葉周作の門下で剣術を学んでいた
- 天狗党に参加。筑波山挙兵時は総裁の立場で藤田小四郎を補佐
- 幕府軍に追討され一橋慶喜に助けを求めるが、慶喜自らが天狗党を追討。
絶望した百太郎は幕府に全面降伏した後、処刑される
かなりのエリートです!
文武両道でお金持ち。出来杉くん並のスペックを持っていました。ただし、イケメンには程遠かったとも。。そんな百太郎がどうして過激な天狗党に加わったのか。本書は当時の情勢や水戸藩内のできごとを簡潔に説明しています。
水戸藩が朝廷から攘夷の勅許を受けたことや将軍継嗣問題への関わりに触れていたのはよかったですね。後の井伊直弼による安政の大獄(尊王攘夷派への弾圧)につながる出来事です。日本史の教科書にもしっかり載せて欲しいところ。
その後、井伊直弼にリベンジする形で桜田門外の変が起きます(水戸藩士を中心とする大老暗殺事件)。この辺から水戸藩は完全に分裂して天狗党が暴走していきます。
一般的に天狗党の評判は散々なものですが、本書では別の意見が載せられています。桜田門外の変については以下です。
本来は薩摩藩など諸藩の志士たちも加わって、暗殺だけでなく、幕政の改革と攘夷実行を目的とした「義挙」のはずだったが、幕府側の激しい探索もあって、諸藩の参加は実現しなかった。
京都へ向かう厳しい進軍は次のようであったとも。。
だが、そうした中でも、各地での食事や宿泊の際には、きちんと代金を支払い、できるだけ民衆に迷惑をかけないように心がけていたという。
むしろ天狗党の行軍を阻止しようとした幕府側が途中の宿場を焼き払うなどを行っているのだ。
このため天狗党の評判は悪くなかったらしい。
本書に天狗党の問題点は一切書かれてなかったので中立な視点とはいえません。しかし、天狗党に支持者がいたこともまた事実。志を持った人はいたのでしょう。
話を百太郎に戻してどんな人物だったのか改めて考えてみます。
もともとは藩主の徳川斉昭のように、幕府に必要な改革を訴えることに注力しており、武力を用いるつもりはありませんでした。現実的な考え方だったので広い交友関係を持てたのだと思います。
しかし、評判が高くなるほど責任を感じる、あるいは負わざるを得なくなり、過激派とも切れない関係となっていく。
天狗党の参加者の大半は農民でした。財力はありませんから挙兵してもすぐに活動不能となります。資産のある百太郎の存在は色々な意味で重要だったのでしょう。マンガで百太郎が農民にお金を払っていますが、演出ではなく本当にそういう役割だったのかもしれません。
百太郎は責任感があって義理堅い。だからダメだとわかっていても逃げずに渦中にいた。責任を取る形で天狗党と運命を共にしたのではないでしょうか。
気づいたら組織全体が誤った方向に進んでいた。。現代でも同じような状況に置かれることはあります。わたしたちはこうした事態になったらどうすればいいのでしょうか。あるいはそうなる前に避ける方法はあるのでしょうか。
歴史を学ぶのは将来に活かすため。簡単に結論は出せませんが、考える時間が長ければ判断しやすくなります。まずはマンガではじめてみてはいかがでしょう。
百太郎の士魂は、明治22年、靖国神社と茨城県護国神社に祀られました。さらい明治40年には従四位が贈られ、竹内家の墓所には碑が建立されました。
資料9/竹内百太郎と伊東甲子太郎
現在、百太郎の名誉は回復し、国のために尽くしたとして靖国神社に祀られています。
竹内百太郎は桜田門外の変に参加予定でしたが、当日連絡がつながらず不参加だったといわれます
伊東甲子太郎と新撰組
天狗党が筑波山で挙兵した1864年。伊東甲子太郎(かすみがうら市中志筑出身)は新撰組に入隊しました。
甲子太郎のことはよく知らなくても、新撰組はご存知ですよね。過激な尊王攘夷派が集まる京都で治安維持をしていました。新撰組を例えるなら。。すごい警察(語彙力)
甲子太郎については各所で紹介されていますので、ここでは本書が掘り下げたことに触れます。
まずは天狗党との関係について。甲子太郎は水戸に遊学し尊王攘夷の思想を学んでいます。年代的にも天狗党に参加していておかしくありません。それではなにか関係があったのでしょうか。
伊東甲子太郎が天狗党と関わったという記録は見つかっていない。
だが、天狗党と無関係とも考えられない。
同じ水戸学を学んだ者同士であり、甲子太郎が彼らに共感していたことは間違いないだろう。
実際、甲子太郎は天狗党関係者と密かに会合するなど、一党に加わろうとしていたフシがある。
先にご紹介した百太郎とのニアミスにも触れていますが、接触した記録はありません。新撰組の脱退やその後の活動を考えると思想的にはかなり近いんですけどね。
坂本龍馬との共通点を上げているのも面白いです。二人の剣術は北辰一刀流。尊王攘夷の思想を学び、幕府や他藩の志士と語り合いながら各地を巡りました。龍馬の船中八策と甲子太郎の建白書が似ていることも興味深いです。
それに竜馬は暗殺された4日前に甲子太郎に会っているんです。気になる関係ですよね〜。
ところで、銀魂という作品に登場する伊東鴨太郎は甲子太郎をモデルにしています。鴨太郎は真撰組(新撰組がモデル)を分裂させて乗っ取りを図る悪役。もちろん創作ですが、史実をモチーフにしているので実際の甲子太郎がどうだったのか気になっている方も多いかと思います。ネガティブな評価の理由は入隊からすぐに役職につく異例の出世をしたこと、人望が厚かったこと、それなのに脱退したことで乗っ取りなどの疑惑を持たれています。。
隊内で局長(近藤勇)を含めて圧倒的な信用を得ていたことはたしかでしょう。でなければ参謀の役職にはつけませんし、探索方として各地を周るなどありえません。裏切る可能性があるなら徹底的に見張って行動を制限するはずです。
それに各地を周るうち考えを変えたり買収される可能性もありますよね。新撰組はそのリスクが小さいと考えていたので重用したのだと思います。
そこで新撰組は対立勢力と関係を築くことになります。戦闘に参加した隊士が表に出てきたら話し合いはこじれるでしょう。つまり、現場要員でない甲子太郎は新撰組で政治的な役割を担うかもしれなかった。
甲子太郎は水戸藩と尊王攘夷派に理解があって人脈もある貴重な存在です。いくら佐幕派の新撰組でも、幕府だけで外国を相手にするのは無理があるとわかっていますから、甲子太郎をきっかけに仲間を増やしたかったと思います。
でも、それだけ信用されていた人物が隊を離れたら命を狙われますよね。織田信長にとっての明智光秀のような存在です。弱点を知り尽くしているといいますか。甲子太郎も身の危険は感じていたはずです。なのになぜ油小路事件は起きたのでしょうか。
歴史の謎は尽きませんし、もしかしたらこの先もわからないかもしれません。考えたり知る必要はあるのでしょうか。
じつは同じようなことを本書の主人公も考えました。正解が無い問ですがひとつの答えを出していますので、ぜひ参考にしていただければと思います。
新撰組によって討たれた甲子太郎は弟の鈴木三樹三郎の活動により従五位が贈られました。また、三樹三郎の息子 辰雄によって昭和4年に靖国神社に祀られるようになりました。新撰組では唯一です。
まとめ
幕末に活躍した竹内百太郎と伊東甲子太郎はかすみがうら市出身。
激動の時代を生きた二人はさまざまな視点で捉えることが出来ます。
かすみがうら市では二人を評価するマンガを制作し、郷土の先人を広く知ってもらう活動をしています。
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。