wata
平将門は茨城県の英雄です。間違いありません。
将門の伝説は県内各地にありますが、その中でも坂東市は特別。以前、将門の首塚ならぬ胴塚の紹介をしましたが、他にもたくさんのゆかりがあります。
そんな坂東市へ再び足を運びました。今回は平将門をご祭神としている国王神社と岩井将門まつりをご紹介します。
国王神社とは
国王神社は坂東市の岩井にあります。岩井はかつて将門が活躍した場所。そして終焉したとされる場所でもあります。
将門と国王神社の関係を入口の立て札から引用します。
国王神社
祭神は平将門である。将門は平安時代の中期、この地方を本拠として関東一円を平定し、剛勇の武将として知られた平家の一族である。天慶三年(940年)二月、平貞盛、藤原秀郷の連合軍と北山で激戦中、流れ矢にあたり、三十八才の若さで戦死したと伝えられる。その後長い間叛臣の汚名をきせられたが、民衆の心に残る英雄として、地方民の崇敬の気持は変わらなかった。本社が長く地方民に信仰されてきたのも、その現れの一つであろう。
本社に秘蔵されている将門の木像は将門の三女如蔵尼が刻んだという伝説があるが、神像として珍しく、本殿とともに茨城県文化財に指定されている。
坂東市
将門はもともと混乱していた関東の地にやってきて不利な状況ながら連勝を続けて名を挙げました。当時の状況を考えれば将門がいなくても戦はありましたし、力のある誰かが統治者になっていたでしょう。戦をしたことは問題ではなく、勝利を続けるうち新皇を名乗ったことが後世まで問題視されました。
国王神社のWebサイトによれば、江戸時代まで表立って祀ることができなかったとか。明治時代になるとふたたび朝敵に。将門を神として祀っていた神田神社は明治政府によって将門をご祭神から外されています。(1984年に復帰)
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国王神社の入口です。とても厳粛な雰囲気。境内が高い樹々に囲まれていて昼間でも少し暗めです。この日はのぼりがあって少し賑やかでした。
社殿
国王神社といえば立派な茅葺き屋根。立派すぎてやや歪んでいる気も。。
国王神社は972年に将門の三女如蔵尼が建てました。ただ、その経緯は謎に満ちています。如蔵尼は奥州(いまの東北地方)にいたのですが、突然この地に戻ってきて父を祀る神社を建てたのです。将門に関する不思議な夢を見て思い立ったそうですが。。かなりのミステリー。そのときに彫った将門の像が、いまでもご神体です。
たくさん奉納品があるのは、この日に開催された岩井将門まつりで戦勝祈願がされたため。まつりで『勝つ』のはちょっと変わっていますよね。
国王神社は天下泰平と国家の安全を祈る神社。ご祭神が平将門ということで『戦いに勝つ』ご利益があるとも。勝負どころでお参りするのがよいでしょう♪
御朱印は岩井将門まつりの日とお正月にいただけます。まつりでいただく場合は10時の戦勝祈願の前後がオススメです。
茨城県坂東市の国王神社です。
正月と将門祭の時のみ御朱印が頂けるので訪問しました。
拝殿の中も見ることが出来ました。
平将門の絵は500円でA3サイズでした。持ち帰って額に入れました。 pic.twitter.com/FpviaccQnS— たけちゃん (@TakeUshiku) November 11, 2018
たけちゃん(@TakeUshiku)さんの情報によると、将門まつりの日に平将門の絵も販売しています。かっこよくてありがたい一枚ですね♪
名称 | 国王神社 |
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住所 | 茨城県坂東市岩井951 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト 坂東市観光協会 |
岩井将門まつり
岩井将門まつりのようすをご紹介します。まつりは国王神社で戦勝祈願してスタート。その後、町中でパレードと伝統行事があります。
国王神社で参拝したあと、パレードを見に行きました。町の中心地で盛大にやります!スゴイ人混みで驚き。44回目とのことで、たくさんの方が楽しみにしているのでしょう。
初めて来る方は駐車場に気をつけましょう。チラシの地図はわかりにくいです。シャトルバスもありますので、しっかり準備することをおすすめします。
パレードの概要
パレードは主に3つにわかれていました。武者行列(子どもたち含む)、神田ばやし、騎馬隊です。タイムスケジュールだと分かれているように見えますが、人数が多いのでほぼ一体となっています!
相馬野馬追騎馬隊
パレードの先陣は騎馬隊。この馬はどこから?と思ったら北郷騎馬会の名を発見!正式名は『相馬野馬追 北郷騎馬会』です。南相馬市(福島県)から来てくれました。
野馬追は相馬地方の伝統行事。1,000年以上前にはじまった軍事訓練で野馬を敵と見立てて追います。その訓練をはじめた者こそ平将門。北郷騎馬会は野馬追を後世に伝える会です。
それにしても1,000年の伝統はスゴイ。国指定の民俗文化財になるのも納得です。
法螺貝を鳴り響かせて行進がはじまりました!礼螺といいます。不思議な音色ですが、気持ちが引き締まります。
とにかくカッコイイです!凛々しい表情もいいですね。
武者行列、神田ばやし
騎馬隊に続いて武者行列やお囃子がやってきました。みんな楽しげな表情ですが。。大人たちの中には騎馬隊と同じように凛々しい表情の方も多いです。本格的な衣装ですから緊張したのかもしれませんね。
まとめ
坂東市には平将門ゆかりの史跡がたくさんあります。終焉の地ということもあって将門への人々の想いは特別。
かつて将門を表立って祀れない時代がありました。でも、歴史を冷静に見直せばただの悪人とは違い、弱いものとは戦わず自分より強いものを相手にしていました。国王神社が伝える通り“弱きを助け強きを挫く”精神は人々の共感を得るのだと思います。
将門まつりはそうした気持ちの集合体。これだけ盛大に楽しくやれば誤解している人も見直すはず。短い時間でしたが、とても充実した気持ちになれました。
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。