【将門参拝】弓田香取神社と境内社|坂東市

この記事でわかること
  • 由緒とご祭神
  • 境内社について
  • 御朱印のいただき方

wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

今年のお正月は晴天に恵まれ穏やかでしたので、のんびりと各地を参拝しておりました。この時期は初めての地であっても年賀の挨拶でいつもより親しくなれる気がしますね。

2日の坂東市めぐりでは弓田の香取神社に伺いしました。ささやかですが、気づきをシェアしますので、ぜひお参りの参考にしてください♪

弓田香取神社とは

弓田香取神社

弓田香取神社

由緒

不詳
創建
創建年代は不詳だが、氏子中では千年を超える歴史という
天正2年/1574年
整備
弓田城主・染谷民部守、部落の産業開発を祈願し境内を整備
寛永5年/1628年
社伝修営
正徳元年/1711年
神階正一位を授かる
その後、延享3年、文政12年、寛政3年、天保8年にも裁許状を授かる
正徳2年/1712年
社伝改築
明治6年/1873年
村社列格
明治40年/1907年
合祀
同地内無格社の上下両天神社を合祀
明治25年/1892年
楠植樹
氏子染谷喜平が伊勢参拝を記念して二本の楠を植樹
明治42年/1909年
合祀
同地内無格社の八幡、八幡、白山、熊野、厳島、山、弁財天社を合併
昭和10年/1935年
二の鳥居建立
昭和57年/1982年
社号標及び一の鳥居建立
昭和61年/1986年
屋根銅板葺替
平成2年/1990年
境内社造営

ご祭神は経津主ふつぬしです。県西地域ではお馴染みですね。かつて香取神宮を一宮とする下総国に属していたことも関係あるのでしょう。また、本殿に菅原道真公を配祀しています。

当社が鎮座する坂東市は平安期に猿島郡と呼ばれ平将門の拠点となっていました。そのため将門関係の逸話が多く、当社にも承平3年(933年)に将門公が参拝したという伝説があります。氏子が千年の歴史を持つというのは、それらに由来するのでしょう。

また、当社は兵営の守護神として創建され、境内東にある談議所・兵庫屋敷などの小字はその頃の名残といわれています。鎮座地の「弓田」も合戦を連想させますね。ちなみに当地は昭和30年(1955年)まで弓馬田村といいました。

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境内はとってもコンパクト。しかし興味深い境内社が並ぶのでディープな参拝を好む方におすすめです!

アクセス

圏央道の坂東ICを下りて約5分。距離的には短いのですが、道中細い道が続くのでかなり心配な気分に。

駐車場は境内の南側です。ちょっとわかりにくいものの、スペース的には充分かと思います。

名称 香取神社
住所 茨城県坂東市弓田273
駐車場 あり

榊山古墳

「榊山古墳」の石柱

「榊山古墳」の石柱

駐車場に車を停めて目にとまるのは榊山さかきやま古墳」の石柱。しかし、坂東市の公式サイトによれば湮滅状態。つまり跡形なし。あまり規模が大きくなかったのでしょうか。

最近、古墳と神社の関係が気になっているので、できればもう少し情報がほしいですね。古墳は現代で言う墓地。特別な埋葬をされるということは尊い存在なのでしょう。

それはきっと神に通じる概念なので同地に神社を創建したことと何らかの関係があると思うんですよね。例えば埋葬されていた人物の子孫が氏神として創建したとか。。

MEMO
古墳からは粘土棺、刀子、直刀、土器片が出土しました。

鳥居

境内入口

境内入口

駐車場を一旦出て鳥居正面へ。明神鳥居、神明鳥居、そして拝殿を一望。境内の清掃がいつも行き届いていると評判です。

右手の御神木は銀杏ですね。凄まじい太さに育っています。秋に色づく姿も見てみたいですね〜

社殿

拝殿

拝殿

拝殿は授与所と一体となっていて機能的。ガラス張りなので中の様子がなんとなく見えます。こうした明るい拝殿は好みです。

建物が比較的新しいので見た目からは歴史を感じないかもしれませんが、江戸時代に計5通の裁許状を授かった由緒ある神社。神階は正一位です。

裁許状は京都の吉田神社の祭祀を司る吉田家が朝廷の神祇官に代わって発行していたものですね。神祇官は律令制下で誕生しましたが、平安時代後期にはその機能を停止していたのでした。

拝殿と本殿

拝殿と本殿

覆屋に囲まれた本殿です。瑞垣でしっかりガードされているので離れたところから拝ませていただきました。

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当社では医業も行っていたようです。宮司の本業は医者だったのかな?

境内社:「ほつぼ社」等

境内社

境内社

主祭神にお参りしたら今度は境内社めぐり。こちらは明治時代に合併した5社です。

右からほつぼ社、熊野社、白山社、弁天社、八幡社。有名なものばかりですが、ほつぼ社とは一体!?神社側でもよくわからないようで、次のようにありました。

ほつぼ社

創立年代は不詳なれど、昔から夜泣きかん虫等、子供の発育にご神徳あるとの信仰厚く、現代は子供の健康成長を願ってお参りが絶えない。

かん虫というのは、子供がギャン泣きする原因になる虫ですね。本物の虫ではなく、そういう虫がいるのではないか、という道教的思想です。「三尸の虫」の仲間でしょう。

本尊であろう石像は原型を留めていませんでしたが、『茨城県神社誌』には「不動像」とあります。ということは密教系の僧侶、もしくは修験が信仰を促したのでしょう。

当社のすぐ近くにある慈光寺(通称:弓田不動尊)は天台宗の寺院で不動明王を本尊とするので関係が気になるところです。もしかしたら当社の別当を務めていたりして。

また、熊野社は弓田の正光院の住職が遷宮をしたそうです。とすると、ほつぼ社も同様かもしれません。今度「ほつぼ」の意味だけでも聞いてみようかな。

【弓田不動尊】ポックリ不動尊の慈光寺|坂東市【北関東三十六不動尊霊場】

境内社:山神社?

山神社の三像

山神社の三像

興味深い境内社がもうひとつ。どこにも社号がないので断言できないのですが、『茨城県神社誌』の記述を参考にすれば山神社です。

それにしても。。なぜ仏像らしき三像なのか謎すぎる。顔に手を当てている左の像は如意輪観音かと思いますが、他の二体はなんでしょう。ポーズからすると毘沙門天と不動明王に似ていますね。神社としての祭神は大山祇おおやまくいです。

境内社には小さな松の枝が置かれていました。参拝したのは正月3日だったので門松と同様に新春を迎えていたのかと思います。

ところで、なぜ正月に松なのかご存知でしょうか。松は常緑樹で長寿。若々しく長生きの象徴なのでおめでたい植物です。また、緑は春の色なので新春を迎えるに相応しいと考えられていました。

さらに松の古字は木偏に八白。八白は九星で丑寅を意味することから、神霊が宿るものとして丁重に祀ることで災難を避け無事に正月を迎えられると考えられていました。

丑寅はいわゆる鬼門(北東)の方角です。鬼門が不吉だとされるのは変化が起こるとされているからで、「変わりなく」が善とされた時代には敬遠されていました。

ただ、どれだけ嫌がっても春の前には暦上の鬼門がくるので、それなら色々工夫して乗り越えようというわけです。俗信と言えばそれまでないんですけど、そうした精神は見習いたいものです。

男女神

女男神社

女男神社

社殿の向かって右後方に鎮座するのは女男神めおとかみ。近年、社が建てられたようです。中にあるのは男女のシンボル。男子神と女子神と名付けられていました。

露骨な形なので初見は驚きますよね。ただ、それは現代人の発想で古代まで遡れば極めて神聖な存在だったことでしょう。

男子神と女子神

男子神と女子神

神社によってはこれらを陰陽石と呼ぶこともあります。万物は陰陽によって成り立つという思想のもと男女をそれに見立てているわけですね。

余談ですが、『日本書紀』の伊弉冊神が『古事記』のように死なないのは陰陽説の影響といわれます。伊弉諾と伊弉冊は男女の神で陰陽を表すので、どちらかが欠けたらもう片方も滅ぶ定めです。

陰陽説を重視したのは輸入元の大陸(中華)を意識していたせいとか。本当かどうかわかりませんが、『日本書紀』は冒頭から陰陽説が色濃いのであり得るな〜と思います。

『イザナミ』についてはこちら

御朱印

弓田香取神社の御朱印

弓田香取神社の御朱印

弓田香取神社の御朱印です。お正月なので神職が迎えてくださり拝殿左手の受付所でいただけました。

普段は不在の場合もありますので、電話連絡でお越しいただくことになるそうです。

まとめ

この記事のまとめ

  • 主祭神は経津主命。平将門の伝説がある神社
  • ユニークな境内社あり。山神社には三体の石像
  • 御朱印は拝殿内の授与所でいただける。神職不在時は電話連絡

参考文献

茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社

この記事で紹介した本はこちら

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