平将門ゆかりの地!国王神社と岩井将門まつりを訪ねてきました(坂東市)

騎馬会5

平将門たいらのまさかどは茨城県で英雄です。坂東市には将門の首塚ならぬ『胴塚』があって、いまでも大切に祀られています。過去に記事にしましたので、詳しくはこちらからどうぞ。

将門の胴塚平将門の首塚!じゃなくて胴塚がある延命院!謀反者でなく英雄としての将門に触れてきました♬(坂東市)

そんな将門のゆかりを訪ねて、再び坂東市を訪れました。今回は平将門をご祭神としている国王神社岩井将門まつりをご紹介します。

国王神社とは

国王神社は坂東市の岩井にあります。坂東市は2005年に岩井市と猿島町の合併によってできました。のちほど岩井将門まつりをご紹介しますが、岩井は将門とのゆかりが特に深い場所です。

岩井が特別なのは将門終焉の地とされているからです。平安時代、将門はいわゆる平将門の乱を起こして敗れました。首は京都に送られ、胴体は市内の延命院の敷地内に埋葬されたと云われています。(延命院の記事でもご紹介しています)

国王神社の鳥居

国王神社の入り口です。とても厳粛な雰囲気がします。境内が高い樹々に囲まれていて、昼間でも少し暗めなのもあるでしょう。この日はのぼりがあって少し賑やかでした。でも、非常に気持ちが落ち着く場所です。

入り口の案内板に以下のようにあります。

国王神社
祭神は平将門である。将門は平安時代の中期、この地方を本拠として関東一円を平定し、剛勇の武将として知られた平家の一族である。天慶三年(940年)二月、平貞盛、藤原秀郷の連合軍と北山で激戦中、流れ矢にあたり、三十八才の若さで戦死したと伝えられる。

 その後長い間叛臣の汚名をきせられたが、民衆の心に残る英雄として、地方民の崇敬の気持は変わらなかった。本社が長く地方民に信仰されてきたのも、その現れの一つであろう。

 本社に秘蔵されている将門の木像は将門の三女如蔵尼が刻んだという伝説があるが、神像として珍しく、本殿とともに茨城県文化財に指定されている。
坂東市

将門はもともと混乱していた関東の地にやってきて、不利な状況ながら戦で勝ち続けて名を挙げました。当時の状況を考えれば、将門がいなくても戦はありましたし、力の強い誰かが統治者になっていたでしょう。たくさん戦をしたことは問題でありません。勝利を続ける中で『新皇』を名乗ったことが後世まで問題視されました。

国王神社のWebサイトによれば、江戸時代まで表立って祀ることができなかったとか。明治時代になると、ふたたび朝敵とみなされます。将門を神として祀っていた神田神社は、明治政府によって将門をご祭神から外されています。(1984年に復帰しました)

wata

将門については時代によって大きく評価が変わっていますね。中央集権を目指す政府にとっては、危険人物なのかもしれません。

社殿

国王神社社殿1

国王神社は972年に将門の三女・如蔵尼にょぞうにが建てました。ただ、その経緯は謎に満ちています。如蔵尼は奥州(いまの東北地方)にいたのですが、突然この地に戻ってきて父を祀る神社を建てたのです。理由は将門に関する不思議な夢を見て思い立ったそうですが・・・かなりのミステリーです。ちなみに、そのときに彫った将門の像が、いまでもご神体です。

国王神社内

奉献の品がたくさんですね。この日は岩井将門まつりが開催されました。まつりは国王神社で戦勝祈願してスタートするんです。まつりで『勝つ』とはちょっと不思議ですが、面白いです!

MEMO
如蔵尼といえば、以前瀧夜叉姫の伝説でご紹介しました。瀧夜叉姫は将門の娘で、父の無念を晴らすために鬼になったというものです。この神社は、その伝説とぜんぜん関係ありません。

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国王神社は天下泰平と国家の安全を祈る神です。ご祭神が平将門ということで、『戦いに勝つ』ご利益があるとも云われます。勝負どころでお参りするとよさそうですね!

名称 国王神社
住所 〒306-0631 茨城県坂東市岩井951
Webサイト 公式サイト

岩井将門まつり

続いて、岩井将門まつりのようすをご紹介します。まつりは国王神社での戦勝祈願にはじまって、町中でずっとパレードと伝統行事が披露されます。坂東市のWebサイトのチラシをご覧いただくとわかりやすいです。

わたしは国王神社で参拝した後、最後のパレードを見に行きました。町の中心地で盛大にやります!スゴイ人混みで驚きました。44回目とのことで、たくさんの方が楽しみにしているのでしょう。

注意
初めて来る方は駐車場に気をつけましょう。チラシの地図はわかりにくいです。シャトルバスもありますので、しっかり準備することをおすすめします。

パレードの概要

武者行列1

パレードは主に3つにわかれていました。武者行列(子どもたち含む)、神田ばやし、騎馬隊です!タイムスケジュールだと分かれているように見えますが、人数が多いのでほぼ一体となっています!

相馬野馬追騎馬隊

騎馬隊の馬

北郷騎馬会

パレードの先陣は騎馬隊でした。この馬はどこから?と思いましたが、北郷きたごう騎馬会の名を発見!正式名は相馬野馬追そうまのまおい 北郷騎馬会です。南相馬市(福島県)から来てくれました。

MEMO
野馬追は相馬地方の伝統行事です。もともとは1000年以上前にはじまった軍事訓練で、野馬を敵と見立てて追います。その訓練をはじめた者こそ平将門です。坂東市とのつながりがあったんですね。北郷騎馬会は野馬追を後世に伝える会です。

それにしても1000年の伝統はスゴイです。国指定の民俗文化財になるのも納得です。北郷騎馬会には公式サイトがありますので、さらに詳しく知りたい方はどうぞ。

法螺貝を吹く男性

法螺貝をを鳴り響かせて行進がはじまりました!礼螺れいがいといいます。不思議な音色ですが、気持ちが引き締まります。

騎馬会2

騎馬会4

とにかくカッコイイです!凛々しい表情もいいですね。

武者行列、神田ばやし

武者行列

稚児行列

君の御前

騎馬隊に続いて、武者行列やお囃子がやってきました。みんな楽しげな表情ですが、大人たちの中には騎馬隊と同じように凛々しい表情の方も多いです。本格的な衣装ですから、緊張したのかもしれませんね。

まとめ

岩井将門まつり1

坂東市には平将門ゆかりの史跡がたくさんあります。終焉の地ということもあって、将門への人々の想いは特別です。

かつて表立って祀ることができない時代がありました。でも、歴史を冷静に見直せばただの悪人とは違います。農民のような弱いものとは戦わず、自分より強いものを相手にしていました。国王神社が伝える通り、“弱きを助け強きを挫く”精神は人々の共感を得るのだと思います。

将門まつりは、そうした気持ちの集合体のようでいいですね。これだけ盛大に楽しくやれば、誤解している人も見直すでしょう。ほんの短い時間でしたが、とても充実した気持ちになれました。