明野の安倍晴明伝説|宮山ふるさとふれあい公園・晴明橋公園|筑西市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

たまには突飛なネタ!筑西市の安倍晴明あべのせいめいの伝説です。

安倍晴明は平安時代に実在した人物。現代でいう天文学博士で当時の科学に精通していました。でも、世間的には不思議な術や占いができる陰陽師おんみょうじとして知られています。

2001年に野村萬斎さんが主演した映画『陰陽師』がもっとも強いイメージでしょう。ゲームやマンガなどにもよく登場しますので、若い世代にも知られた人物です。

その人物が茨城と関係あるなら、かなり楽しいですが。。調べられる限りのことをやってきました。他に情報ありましたら、ぜひご一報をお願いします。

安倍晴明伝説とは

わたしが安倍晴明伝説を知ったきっかけは、昭和書院から発売された『茨城の伝説』という本。内容は以下の様なものです。

昔、旧明野町のあたりに猫島村本田という村があった。そこに安倍晴明が住んでいたという伝説がある。

晴明は安倍仲麻呂の子孫で天文学博士。母は絶世の美女で信太姫と名乗っていた。晴明を産んでからは葛葉くずのはと名乗ったが、晴明が三歳のときに一首の和歌を残して去っている。

どんな歌を読んだか、どうした去ったのか、その辺の消息はわからない。しかし、猫島村には葛葉稲荷があるから、なにかはあったと思われる。

葛葉が去った時期に吉備真備きびの まきびが筑波山麓に来た。吉備は晴明と出会い陰陽に関する大切な書を渡し、晴明は鹿島神社や日光山などを参拝して書の研究を進めていき、ついには日本一の学者と認められるほどになった。やがて京都に渡り、さらに活躍の幅を広げていった。

葛葉稲荷については”茨城”で存在が確認できません。でも、大阪には実在していて、本とそっくりな伝説があります。大阪と茨城、遠く離れた場所にまったく同じ伝説があるのはなぜ?

これ以上わからなかったので、伝説に登場する地・旧明野町(筑西市)を訪ねました。

MEMO

安倍仲麻呂は唐に留学して科挙(いまでいう公務員試験)に合格した超秀才。玄宗皇帝の側近として唐と日本の関係をとりもった。吉備真備は仲麻呂と同じときに留学をしていた関係。

宮山ふるさとふれあい公園

筑西市では晴明ゆかりの2つのスポットを紹介していました。(伝説は市役所公認!)宮山ふるさとふれあい公園晴明橋公園です。

まずは資料の展示があるふれあい公園を訪ねました。

宮山公園の看板が郷土の偉人を紹介

公園の看板は筑西市ゆかりの先人として3人を紹介しています。平国香たいらのくにか岡田寒泉おかだかんせん、そして安倍晴明。晴明は文化のまちづくりに貢献したとあります。

展望台外観

安倍晴明ゆかりの歌碑

安倍晴明の資料があるのは、展望台の中です。展望台の前には立派な石碑がありました。晴明に関する事柄です。となりの立て札を全文引用します。

「恋しくば…」歌の由来
平安期の陰陽師、安倍晴明は実在の人物だが、その生涯には謎が多い。晴明出生の伝承では、母は和泉国信太いずみのくにしのたの森(大阪府)の白狐。ある日遊女姿で旅に出た白狐は、常陸国ひたちのくに筑波山麓猫島(筑西市猫島)に三年間滞在した。この地で安倍(阿部)仲麻呂(あべのなかまろ)の子孫と出逢い恋に落ちた。
やがて童子(晴明)が生まれた。ある時、童子に狐の寝姿を見られてしまった母は、「恋しくば…」の歌を残してこの地を去った。

  恋しくば 尋ねきて見よ 和泉なる
  信太の森の うらみ くずの葉

神童と呼ばれた童子は都に上り、晴明と名乗り陰陽の道を学んでいた。が、母恋しさのあまり、信太の森を訪ね母と再会する。
この時、母が信太大明神の化身であった事を知った。簠簋抄ほきしょう(慶長年間成立)には、晴明の筑西市出生が明記されており、後の様々な晴明伝の原点となっている。「恋しくば…」の歌は、晴明の前半生を語る枕詞でもある。 
 筑西市

謎がいくつか解けました。

葛葉は白キツネの化身。大阪から茨城へ旅した際に晴明の父と出会いました。晴明が生まれてからの関係はわかりませんが、三人は一緒に暮らしていなかったのでしょう。それから葛葉は正体を晴明に知られてしまい、歌を残して去っていった。母を恋しく想う晴明は一度だけ再会して、すべてを知る。。。壮大なストーリーですね!

それでは、展望台へ入ります。

陰陽師の解説2

陰陽師の解説

いかにもな展示品が並びます!晴明伝説に関するものをピックアップします。

晴明伝記の版木

ズバリ!この地域に安倍晴明がいたとされる根拠として、もっとも重要な史料がこの版木はんぎです。明野町猫島の高松家に残されていたもので、晴明に関する事柄があります。

書かれた年は1711年頃と推定。版木には現在の猫島は安倍晴明の故郷、という書き出しから始まっていて、晴明や晴明の祖先のことなども書かれています。

晴明ゆかりのお宮

この版木を所有する高松家は版木以外にもゆかりがあります。

高松家の敷地内にはお宮がありまして、そこに祀られているのは大臣 安倍仲麻呂あべの なかまろ 公。晴明の祖先とされる人物で遣唐使でした。(渡った唐で亡くなった)

また、同じお宮に和泉国 信太大明神も祀られています。祭神は晴明の母とされる信太姫(葛葉姫)。

いずれも晴明ゆかりの人物で古くから信仰されています。とても興味あるのですが、個人のお家のもので参拝は叶いません。

簠簋抄について

安倍晴明の出生の地が旧明野町のあたり、というのは簠簋抄ほきしょうにあります。でも、簠簋抄には不明なことが非常に多い。。。

MEMO

もともと簠簋ほきという書があって、それは晴明が編纂したと云われています。それをわかりやすく書き直したのが簠簋抄ほきしょう。しかし、そもそも簠簋ほきは晴明の死後に書かれたものなので、それを読みやすくしたといっても信憑性はかなり低い。それに簠簋抄ほきしょうは著者不明。

簠簋抄の内容が世間に広まっているのは、民俗学者の折口信夫おりぐち しのぶが紹介したからです。晴明の母がキツネの化身であること。晴明を産んだ後に和歌を残して去ったこと。その後、大阪で晴明と再会していることなどがそうです。

この地に残る晴明伝説は、簠簋抄ほきしょうと高松家の版木が大半です。著者やつくられた時代がほとんどわからないので、晴明の出生地がココとするのは少々難しいですね。

展望台から公園を一望してから、公園の管理センターへ行きます。

展望台から見る宮山ふるさとふれあい公園

地元の方の意見

管理センター

天気がいいのに、雲行きが怪しくなってきた晴明伝説。地元の方はどう思っているのか、管理センターで尋ねてみました。

晴明伝説を知っている方はいるのですが、わりとクールな意見が多いですね。最近、フィギュアスケートの羽生結弦選手が『陰陽師』の音楽を使用したので、テレビ局が晴明の出生をいろいろと調べたそうです。それによって、関西方面で生まれた説が有力だとされたので、「たぶん、そう」という声がありました。

wata

晴明を知っていても、歴史の事実関係まではあまり興味がないようです。普通はそうですね。。。

でも、くじけずに調査を続けます!

アクセス

名称宮山ふるさとふれあい公園
住所茨城県筑西市宮山504
Webサイト筑西市役所
駐車場あり

晴明橋公園

晴明橋公園の石碑

晴明橋公園の石碑です。安倍晴明が明野ゆかりの人物であることが書いてあります。おおむね、前記したものと同じです。となりの立て札には晴明橋の由来となる逸話があります。

むかし、この地は湿地帯で雨が降ると近くの観音川が増水して水田が水浸しになりました。それに心を痛めた晴明は、地形を利用して石橋をかけました。橋は川の水をしっかりと防いだので、災害から救われた村人は晴明にとても感謝したそうです。

橋は残っていませんが、その伝説にちなんでつくられた公園です。駐車場は5台ほど駐車可。でも、正直なことをいうと小さな公園なので車でなんども通り過ぎてしまいました。ただ、此の地にとって大切な伝説なので、こうしてあるのですね。

wata

わたしが訪ねたとき、ちょうど草刈りをしているところでした。晴明を訪ねてくる方のためにも手入れされているので、もし筑西にきたら足を伸ばして欲しいです♪

アクセス

名称晴明橋公園
住所茨城県筑西市猫島762
駐車場あり(約5台)

晴明伝説まとめ

伝説めぐりはひと区切り。ここまでわかったことをまとめます。

  1. 晴明伝説は古文書『簠簋抄ほきしょう』と高松家所有の『晴明伝記』にある
    でも、いずれも書いた人や時代がよくわかりません。一次資料を読んだ人がごく僅かで、その方の解釈が全国に広まっていると思われます
  2. 晴明伝説に似た伝説は全国にある
    大阪の葛葉稲荷神社や後述する女化神社にも似た伝説があります。この地の特別な物語、というわけではなさそうです。
  3. 筑西市は晴明伝説を楽しんでいる
    晴明の名はいろいろな場所で見れます。例えば、あけの元気館には温泉『晴明の湯』がありますし、明野の武道館は『晴明館』といいます。公園もあれば、町の歴史として紹介もしていて、明野をつなぐ絆のようなもの。安倍晴明を町の暮らしに楽しく取り入れているのがいいですね!

晴明橋公園から見る筑波山

晴明橋公園から見る筑波山です。筑西市は”筑”波山の”西”の名前の通り、しっかりと筑波山の風景を楽しめます!最近では、ダイヤモンド筑波なんていうのもあります。

筑西市は伝説めぐりもいいですが、おいしいお米やキングポークなどの名産品、それにかつて都だった歴史なんかをめぐっても楽しめます。今回は駆け足だったので、またのんびりと訪れることにします。

おまけ:晴明が京都へ渡った経緯

『いばらきのむかし話』には晴明が京都に渡った経緯が書かれています。

晴明は吉備真備から与えられた『陰陽の書』をもとに常陸国で勉学に励んでいました。その一環として鹿島神宮へお参りした際、小さなヘビの命を救います。するとヘビはお礼にと晴明を竜宮へ連れていき『珍しい薬』を授けました。

その後、晴明はときの天皇が病で悩んでいると知り、薬を持って上京。天皇の病は無事に完治しました。『晴明』の名はそのとき天皇から授かったものです。

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驚くことに『晴明』の名は天皇から与えられたもの。本にはこの辺のことがざっくりとしかありませんが、気になる内容です!

雑記『晴明伝説』と『女化伝説』

伝説では晴明の母親は白キツネ。紹介した物語では大阪からの旅の途中で晴明の父と出会いました。その大阪に残る伝説では、猟師から救ってもらった安倍保名に嫁いでいます。

この伝説を読んだとき、どこかで聞いたことが。。。と思ったのですが、やっと思い出しました。猟師から救われた白キツネが、助けた男に嫁ぐ物語は茨城にもあるんです。牛久市と龍ケ崎に残る『女化伝説』です。

しかも、最後は子どもと別れること、そのときに和歌を残していることなども同じです。う〜む、これは一体・・・。

晴明の母は信太姫という名前です。信太しのだは大阪の地名ですが、むかし、茨城にもありました。読み方は信太しだで、1300年も前からあるんです。いまでいうと土浦、牛久、稲敷、美浦あたりです。牛久が入っているので、やはり女化伝説との関係を意識してしまいますね。2つの伝説にはなにか関係があるのでしょうか?

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