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北茨城市の花園渓谷に位置する浄蓮寺を訪ねました。
よくお手入れされた境内と三十三体の観音巡りを楽しめることが魅力。拝観料が200円かかることもあってお寺の方が常駐しています。いろいろとお話を聞けるのでぜひ観光コースに含めていただきたいですね!
この記事では北茨城市の浄蓮寺をご紹介します。例年だと紅葉の見頃は11月中旬くらい。ICから20分ほど。アクセスは悪くありませんので、オススメの参拝スポットです!
この記事でわかること
- お寺の由緒とご本尊について
- 三十三体観音巡りについて
- 紅葉の見頃は11月下旬〜12月上旬
- 御朱印のいただき方
由緒
奥州山寺(山形県山形市)を創立した慈覚大師(円仁)が帰路で当地に立ち寄って開山したと伝わる。
*一説によれば大同年間(806-810年)のこと
山門金剛寿院大僧都法印猷宝によって中興。
源頼朝が朱印地50石を寄進したといわれる。
兵火に遭い堂宇焼失。
*『天台宗茨城教育寺史』では天正10年(1582年)
教須によって中興
門末寺院である成就院、泉養寺、幸照寺、円泉寺、本妙坊、覚成坊、発心坊、中音坊、松林坊、大善坊が退転。以降、幕末まで寺中に石沢寺、門徒6ヶ寺(大悲寺、本乗院、安養院、地蔵院、宝蔵院、隠坂寺)として存続。
万延元年(1860年)から6年かかって境内を再興
25世龍蓮の代に建立
ご本尊は阿弥陀如来です。当初の本尊は円仁によって彫られたといわれますが、そちらは現存しないようです。阿弥陀信仰が流行るのはもっと時代が下ってからなので興味深い謂れです。
創建当初は道場であったといわれ、中世から近世にかけては修験道が盛んであったと考えられています。境内の三十三観音像や江戸時代に虚空蔵菩薩の別当であったといわれるのもその根拠になるでしょう。
お寺のパンフレットによれば、建久2年(1190年)に源頼朝から50石、その後に領主の車丹波守義秀から100石を賜ったとあります。ただ、勢力の割に江戸時代に朱印地がないのは修験の要素が強かったせいでしょうか。
山号を「八葉山」とする前は「猿田山」でした。『古今著聞集』に建仁3年(1203年)のこととして見える「常陸国の猿如法経写経に成功の事」は当寺を指し、旧山号の由来となったそうです。
昭和60年(1985年) 三十三観音(市指定)
アクセス
名称 | 八葉山 遍照院 浄蓮寺(天台宗) |
住所 | 茨城県北茨城市華川町小豆畑2733 |
駐車場 | あり *市営の無料駐車場が近くにあります。 |
Webサイト | なし |
仁王門
浄蓮寺の仁王門です。境内への入口はこちらのみ。入場したらまずは拝観料の支払うため、本堂右手側の寺務所へ向かってください。
浄蓮寺は嘉永元年(1848年)に全焼しました。仁王像は天和3年(1683年)の作とのことなので、おそらく火災の際には別の場所にあったのでしょう。この門と仁王像は次世代にしっかり残していきたいものですね。
本堂
茅葺屋根の本堂です。仁王門でも触れましたが、浄蓮寺はたびたび火災に遭っています。大規模なものは天正2年(1574年)と嘉永元年(1848年)。宝物類まですべて燃えました。
いまの本堂は安政4年(1857年)に建てられたもの。茅葺き屋根は維持がたいへんなので、その費用とするため拝観料を設けています。
紅葉の時期は落ち着いた色合いで荘厳な雰囲気が漂っています。ただ、暖かい時期の境内も素晴らしいですよ。特に新緑の時期はエネルギッシュで爽やかに感じるかと思います♪
愛染堂
浄蓮寺の名物は阿弥陀如来像と三十三体観音だけではありません。愛染堂の愛染明王も注目です!
愛染堂の由来
花園地区ガイド ~浄蓮寺~/北茨城市商工会
淨蓮寺の愛染明王は、車城主、車丹波守義秀公が戦勝祈願のため、満願寺(現在の花園神社)に奉納したものと言われ、この明王像の中には体内仏が納められ、1593年(文禄2年)に愛染堂が建てられたと伝えられている。
愛染堂は写真中央の真っ赤な建物。中にはやはり真っ赤な明王が怖い顔で待っています。怖い顔は悪いものを追い払うため。愛染明王は恋愛の神様ともいわれます。名前に『染』の文字があるので、染め物関係の守護神とも。
戦国武将の直江兼続は『愛』の字の装飾がある兜をかぶっていました。愛宕神社説がありますが愛染明王の『愛』の意味ともいわれます。愛染明王も軍神とされるからです!
愛染明王は満願寺が廃寺となったため浄蓮寺に遷されました。
三十三体観音とは
浄蓮寺の名物といえば、なんといっても岸壁の三十三体観音です。18世紀前半頃に彫られたと考えられ山伏が立ち入る修行の場であったとされています。
「三十三」は観音菩薩の仮の姿の数をあらわし、観音霊場の札所によく用いられています。ちなみに最古の観音霊場は茨城も含まれている坂東三十三観音霊場です。
観音像の種類は次のようになっています。
- 如意輪観音(六観音)
- 馬頭観音(六観音)
- 准胝観音(六観音)
- 千手観音(六観音)
- 不空羂策観音(六観音)
- 十一面観音(六観音)
- 聖観音
- 地蔵菩薩
いわゆる六観音が網羅されています。それに聖観音を加えた七観音は仏教伝来の頃から信仰される由緒ある観音さまです。なぜか一体だけ地蔵菩薩がいるのが面白いですね。
三十三観音は建物のある敷地を出て、花園川を下に見ながら進んだ道にあります。途中から崖を昇るようになりますから、スニーカーだとけっこう危ないです。
観音めぐりのスタートはなぜか不動明王、続いて弁財天。その後の三十三体とも岩を削って造られています。柔らかい花崗岩だとしてもスゴイことですね。
観音様はそれぞれ姿も違っています。彫りが浅くなってしまい判別が難しいものもあるのですが、じっくり見れば徐々に判別できるようになって面白いですね。
上記の不動明王のように像の前には白い立て札がありますから、ある程度の位置は瞬時にわかるようになっています。
7番目以降は非常に高い場所。足場の状態によっては途中で諦めた方がいいでしょう。わたしは少しぬかるみがあってので8番目あたりで引き返しました。写真はその場所から撮影したものです。引き返せる場所で止めてください。
12月の上旬に訪れたたら紅葉は終わっていました。あと1〜2週間早ければまだ残っていたそう。訪れるなら11月中がいいかなと。花園川のせせらぎを聞きながら紅葉を楽しむ。きっと素敵な時間を過ごせます。
wata
・8月はヘビが出るかも。細い山道での遭遇に注意
・10月はスズメバチが出る可能性あり。事前にお寺側に確認してください
・足場に注意。当日晴れでもぬかるみがあれば中止の判断も必要
御朱印
浄蓮寺の御朱印です。書き置きのみとなっています。本堂の右手にある拝観料をお支払いする場所でいただけます。
令和6年に確認したところ御朱印を休止する場合があるようです。
授与所では厄除けとして角大師の御札がいただけます。
浄蓮寺には不思議な伝説もあります。県北らしく動物(猿)が登場するお話です。
むかしむかし。茨城県の北部の山中にとても信仰のあつい和尚がいました。和尚は動物の言葉がわかったので、いつも仲良く遊んだりおしゃべりをしていました。大きな猿と一緒に暮らしていたので、村人は和尚のことを「猿の和尚さん」と呼んでいました。
ある日、和尚は「人々のために法華経を写してあげよう」と思い立ちます。しかし、和尚には紙もお金もありません。そこで、山から紙の原料となる『こうぞ』をとってきて自ら紙を作ることにしました。でも、一人で紙を作るのはたいへんです。それに冬場の水仕事は高齢の和尚にこたえました。和尚は凍えた手を日なたで何度も暖めて作業をしました。和尚と生活する猿はその姿をずっと見ていました。
ある時、和尚は手を暖めながらそばの猿に話しかけました。「紙を作るのは本当に大変だ。もし、お前が人間だったならなぁ」それを聞いた猿はなにかいいかけると姿を消しました。
猿が向かった先は長者の屋敷でした。屋敷には立派な馬がいたので、猿はそれを盗んでお金に変えようとしたのです。屋敷には大勢の人々がいますが、猿は気配を隠して馬に近づき、すきを見て盗み出したのです。屋敷の者たちはすぐに気が付きましたが、猿はすぐに和尚のもとに向かわずに追手を振り切り、あとをつけられないようにして逃げ切ったのです。
猿は和尚の喜ぶ顔を想像して馬を見せましたが・・・和尚は起きたことをすぐに理解して、とても悲しい顔になりました。猿も自分のしたことで和尚をがっかりさせたので、涙を流しました。
そのあと、馬を盗まれた屋敷の主人が和尚のもとにやってきました。村人たちから話を聞いて猿のことを知ったのです。和尚は事情をすべて話して、猿と一緒にお詫びしました。
すると主人は怒らずに「猿は和尚の尊い仕事を助けようとしたのですね。いやしかったのはわたしの方です。この馬は和尚の仕事のためにお役立てください」と言いました。
猿にも和尚にも、そして主人の目にも涙が浮かんでいました。そのあと和尚は法華経を広める願いを成就しました。
原話は『古今著文集』です。実は「このお話は浄蓮寺のことである」とはっきり書かれていません。でも、注釈に「そう考えられる」とありましたので、ご紹介いたしました。心温まるお話です♬
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・浄蓮寺は花園渓谷にある紅葉を楽しめるお寺
・拝観料を支払い三十三体の観音像を参拝できる
・書き置きの御朱印がある
天台宗茨城教育寺史|天台宗茨城教区寺史刊行委員会
いばらきのむかし話|編:藤田稔
茨城の民話|編:未来社
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
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