wata
- 由緒とご祭神
- 祇園祭と競馬について
- 御朱印のいただき方
夏といえば祇園祭。名前くらいは誰でも知っていると思いますが、その由来や祭りの主役である牛頭天王についてはほとんど知られていないのではないでしょうか。
正直、わたしもそれについてはよく分からず、これまでブログにも書いてきませんでした。
ただ、最近仕入れた陰陽五行の知識を導入するとちょっとだけ見えてくるものがあるのです。坂東市の岩井八坂神社のご紹介に合わせて少しだけ語りますので、参拝のご参考になれば幸いです!
岩井八坂神社とは
由緒
ご祭神は須佐之男命です。ただ、当社の場合は明治以前に祀られた牛頭天王に対する愛着が強く、いまだに「天王様」と呼ばれることが多いのだとか。
境内の由緒書には明治初年の神仏分離令をきっかけにして現社号に改称とありますが、『茨城県神社誌』等では江戸期の元治元年(1864年)とあります。
この年に天狗党の乱が勃発し当地で党の青年11名が殉難したことは何か関係あるのでしょうか。天狗党が属した水戸藩は神仏習合を嫌い、幕末には早くも神仏分離を進めました。幕末、明治初期の岩井は歴史的な事件がいくつかありましたので、そうした歴史も背負った神社なのかもしれません。
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アクセス
最寄りICは圏央道の坂東IC。下りてから約10分です。
駐車スペースは鳥居の北側。あまり多くの車は停められませんが、埋まっていることは少ないかと思います。
名称 | 八坂神社 |
---|---|
住所 | 茨城県坂東市岩井4754 |
駐車場 | あり |
Webサイト | 公式サイト |
SNS |
鳥居
岩井八坂神社の鳥居です。駐車場は向かって右側。玉垣の側です。
現在の八坂神社は町中にあり、親しみやすい雰囲気ですね。創建の頃は境内の西に鵠戸沼(長洲沼)があり、社殿は小高い丘にあったといいます。さぞ見晴らしが良かったことでしょう。
また、日清戦争の前まで祇園祭の神事として神馬三頭による競馬がありました。広い境内だったんですね。競馬は現代では賭け事の印象なので神聖な境内で開かれたとは意外ではないでしょうか。
この場合の競馬は確実に神事。おそらく五行説に由来するのでしょう。五行説は万物を5つの要素(火、水、木、金、土の気)に分類して関係性を示す哲学。それをもとに競馬を簡単に説明します。
競馬が開かれるのは暦の上では夏の終り頃。季節の変わり目のいわゆる「土用」です。辛い暑さに加えて変化が起こるとされる不安な時期にあたります。
そして馬(午)は五行説で「火気」に属し夏(しかも真夏)を意味する十二支。人々が暑さを凌ぐためには夏の力を弱める必要があるので、シンボルである馬をわざと疲労させるわけです。
例えば、麻生(行方市)の八坂神社では同時期に馬追祭りが開き、見ての通り馬が嫌がる引き方をして暴れさせています。馬に付けられたカラフルな布は五行説のカラーですね。
じつはお正月に羽つきをしたり、節分に豆をまくのも同じ思想に基づいているんです。とっても面白いのでぜひ調べてみてくださいね。
「五行説」はコレで学べます!
社殿
鳥居の先はわずか100mほどで拝殿です。途中、少し離れたところに手水舎があるのでしっかり禊をしておきましょう。
柱が朱く塗られていますね。昔から紅い柱には魔除けの効果があるといわれます。本当は塗料(丹)に防腐の成分があるためなんですけどね。
そして拝殿へ。凛々しい入母屋造かと思います。ガラス張りの扉が近代的でいいですね。昭和末期に建てられましたので、まだ30年ちょっとの歴史。神社としては非常に新しい部類になるでしょう。
流造の本殿です。茨城ではもっとも多い形ですね。この本殿に祭神が座すわけですが、須佐之男命はどうしてかつて牛頭天王と同一視(習合)されていたのでしょう。
素朴な疑問の割に明確に答えられる方はいないんですよね。ただ、それは牛頭天王や八坂神社に関する文献に頼りすぎているせいかも。五行説と祭りをヒントに真相に近づけるのではと思います。
牛頭天王と須佐之男命はどうして習合したか
ここではあえて文献に頼らずに牛頭天王と須佐之男の二柱の関係を考えてみます。結論としては両神とも水神にあたるので、次第に同一視(習合)されるようになったと思います。
そもそも牛頭天王は中国やインドの文献には登場しない日本オリジナルの神。それなのに「祇園精舎の守護神」などとされています。なぜ日本発祥で祇園精舎?その発想に至るまでは何度もイメージの発展があったのでしょう。
おそらく始めのうちは災厄を鎮める名もなき神。そのうち災厄の中でも夏に流行る疫病を重視するようになり、そのために神格が整い祭りが発展。その完成形が牛頭天王というわけです。
では、その牛頭天王はどんな神格なのでしょうか。ふたたび五行説を使って迫ってみます。
牛頭天王の牛(丑)は五行説で「水気」に分類できます。また、牛頭天王を祀る神社の創祀は川から流れ着いた神像を祀るか、その神社の分霊です。水神らしさは充分。
昨日夕刻、祇園祭神事が無事に斎行されました。また本日御神輿還御も無事に終了しました。
一安心とともに、御神輿を担ぐことが出来なかった悔しさを感じております。
来年こそはと、皆で気持ちを盛り上げての解散となりました。
ご協力の皆様ありがとうございました。 pic.twitter.com/RjTpjtHE3S— 岩井 八坂神社 坂東市岩井鎮守 (@iwa_yasakajinja) July 24, 2021
同祭神の例祭(祇園祭)は私の知る限り例外なく夏にあります。五行説では季節も五行に分類でき、火は熱いので夏を充てます。さらに例祭は前述の競馬と同じ日なので夏の「土用」に開かれます。
競馬は火(夏)の力を弱めるために馬を疲労させるといいました。一方で水気は「水剋火」の法則により火を制するので、水の力を強化させて火気を抑えることもできるのです。
まとめるとこんな感じです。
- 牛頭天王の牛(丑)は五行説で水気に分類
- 川から流れ着くのがいかにも水神らしい
- 夏に起こる災厄を防ぐには強い水気が必要=毎夏に祇園祭がある
これだけ揃うと牛頭天王=水神は確実ではないしょうか。
須佐之男命は生まれてまもなく伊邪那岐命から海原を統治することを命じられました。駄々をこねて拒否しましたが、水を統べるに相応しいから任されたのだと思います。
それに須佐之男命が退治したヤマタノオロチが蛇の一種だとすれば、やはり火気に分類できるので戦ったら優位。。
記紀には色々な水神が登場しますが、須佐之男命を水神に分類するならそれ以上はいないのではないでしょうか。牛頭天王は「暴れん坊」なので性格的にも似ていますしね。
というわけで、両神は「水」の繋がりにより習合していったと思いますが、いかがでしょう。
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御朱印
岩井八坂神社の御朱印です。「八坂神社」と「牛頭天王宮」の2種類あり、拝殿左手の社務所でいただけます。
牛頭天王宮の方はかつて舟で参拝したようすをイメージしているとか。シンプルな墨書きといった印象でステキですね!
ご不在の場合は社務所に掲示してある番号に電話して問い合わせてみましょう。
まとめ
この記事のまとめ
- ご祭神は須佐之男命。創建当初は香取神社だったともいわれる
- 祇園祭とかつての競馬は火気の土用を
- 御朱印は2種類。社殿左手の社務所でいただける
参考文献
茨城県神社誌/茨城県神社庁
茨城の地名/編:平凡社
この記事で紹介した本はこちら
wataがいま読んでいる本
マンガで『古事記』を学びたい方向け
神社巡りの初心者におすすめ
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。