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- 由緒、ご本尊について
- 資子や講中について
- 御朱印のいただき方
土浦から筑波山方面に伸びる県道125号を走っていると、つくば北警察署の辺りに「泉子育観音」の看板があるのをご存知でしょうか。
子供の頃から気になっていて「泉子ってなんだ」と思っていましたが、泉という場所にある子育てにご利益のある観音さまという意味なんですよね〜。
というわけで、ついに看板の導くお寺に参拝してきました。正式名称は慶龍寺です。境内がとても美しく、特に春の参拝がおすすめです♪
慶龍寺とは
由緒
筑波山麓に差し掛かった際に本尊を入れた笈が重くなり、本尊が望む霊地とし草庵を設ける。
ご本尊は「子育出世聖観世音菩薩」です。弘法大師が東寺(京都)で子供の成長を祈願して彫ったといわれ、その後、文明4年(1472年)に観音寺(小田原)の本尊としてまつられました。
やがて観音寺の住職であった慶龍上人が本尊の導きにより当地を訪れ慶龍寺を開くことになります。公式サイトによるとその道中には不思議な童子が現れ上人を手助けしたとか。
創建当初から子育てに対する信仰が篤かったようですね。次のような祈願でも知られています。
現在では、本尊の御霊験は関東一円へと広がり、子供を観音様に七歳まであずけ、仏と縁を結んで見守ってもらう「資子(とりこ)祈願」など、子供の健やかな成長を願う「虫封じ祈願」など、年間に何万人もの人々が慶龍寺を訪れています。
お寺のゆらい/慶龍寺(公式サイト)
資子は生まればかりの子供を僧侶や修験に預ける取子という風習が元ではないかと思います。幼年死亡率が高い時代は取子により神仏の加護を受け、健やかに育って欲しいと祈願されたそうです。
わたしが知っているのは修験による取子でして時代が下るにつれて、子供を預かるのではなく名付け親になるように変化したそうです。修験は基本的に教養人なので色んな形で頼られたんですね。
また、「出世」については茨城新聞のWeb版(2023年4月1日)の記事に次のようにありました。
ご本尊の名前に「出世」とあるのは、文明4(1472)年に仁和寺の随弟法師が観音寺を建て、このご本尊を祭り、徳川家康が厚く信仰し天下を取ったことから「子育出世観音」と呼ばれるようになったとされる。
つまり、家康の出世につながったとされることが由来です。圧倒的なご利益ですね!
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ご本尊は秘仏です。元旦に開帳する場合があります。
アクセス
最寄りICは常磐道の土浦北。約20分(13km)の距離です。
電車だとつくばエクスプレスのつくば駅と常総線の宗道駅が最寄りとなりますが、12kmほど離れているのでやはりタクシーで約20分かかります。
つくば北警察の前の125号と県道213号の交差点を南に数百メートル進み、右折して道なりです。駐車場はいくつかに分かれているようですが、境内の入り口に停められるかと思います。
名称 | 勢光山 慶龍寺 |
---|---|
住所 | 茨城県つくば市泉2348 |
駐車場 | あり |
TEL・予約 | 029-867-0323 |
Webサイト | 公式サイト |
SNS |
山門
慶龍寺には山門と北門と呼ばれる2つの門があります。魔除けを意味するであろう朱色の足を持つこちらが山門です。
貞享4年(1687年)に土浦藩主の土屋氏が寄進したもので、言い伝えによると昔、慶龍寺で火事があった際に彫刻の龍が飛び出し、水を吹き出して消火したのだとか。マジかっ!!
元禄11年(1698年)、慶龍寺の位置する泉村は土浦藩領になったのですが、それ以前から土浦とは関係があったということですね。
山門前の門柱も土浦町から寄進されています。土浦からは少し離れていますのでどんな関係があったのでしょう。どうやら当寺の観音講が土浦にもあったようですが。。
鐘楼堂
山門を潜る前から気になっていた鐘楼堂。大き過ぎて少し場違いな気も。
それもそのはず。こちらの鐘楼堂はもともと筑波山神社の前身にあたる筑波山 中禅寺にあったもの。明治の廃仏毀釈の際に中禅寺から逃れてきたのでした。
なう#除夜の鐘 #コロナ撲滅 #疫病退散 pic.twitter.com/lgZ7eJXtZH
— 泉子育観音 慶龍寺 (@keiryuji_izumi) December 31, 2020
除夜の鐘はこちらから。いい音色してますね〜♪
しだれ桜
鐘楼堂を右手に参道を進むと立派なしだれ桜が目に止まります。
『茨城県の桜』によると樹齢150年とも250年ともいわれるとか。また、ひこばえによる2代目か植え継ぎによる代継ぎ樹と考えられるそう。
手前の弘法大師像、奥に見える寺務所とあわせて素敵なお写真が撮れそうですね。見頃が待ち遠しいです。
例年では3月下旬〜4月上旬にかけて見頃を迎えます。シーズンになると公式Twitterが開花状況をつぶやいてくれるので、気になる方は要チェック♪
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手水舎
独特な手水舎。なぜか観世音の扁額があるとか、不動明王を祀る仏殿と一体化しているとかツッコミどころ満載なのですが、一番気になるのは鉢に彫られた巨大な「水海道」。
わたしの憶測ですが、この鉢は水海道(現在の常総市)で結成された「泉子育観音講」の方々が寄進したのではないでしょうか。
当寺の観音講は古くから広い地域で活動しており、手元の『茨城の寺(三)』によると同書が発刊された昭和47年頃は墨田(東京)や野田(千葉)から観光バスで講中の参拝があったとか。
大正時代に新築したという参楼場は講中を受け入れにも利用されており、特に2月11日と8月10日の大縁日が賑わったそうですよ!
なお、観音様の縁日は毎月18日です。慶龍寺ではもちろんのこと、各地の講中でも法要が催されたことでしょう。
薬師堂
手水舎のお隣に位置するこちらは薬師堂とのこと。中には中禅寺から移された天部衆が安置されています。
参拝した時間が遅いこともあって中は暗くてほとんど見えませんでした。写真は後日に訪れたときに撮影。人間並に大きくて驚きました!
ところで、どうして中禅寺から慶龍寺に仏像や鐘楼堂が移されたのでしょうね。泉村は土浦藩領になる前に中禅寺の寺領だったので僧侶同士の人間関係があったのかな?
薬師堂の向かい側にある大師堂に目をやると背後には筑波山がそびえています。毎日眺めるでしょうから、慶龍寺としても中禅寺の危機は放ってはおけなかったかなとも思います。
本堂
慶龍寺の本堂です。ご立派な造り。彫刻も大変素晴らしいです。
特にこちらの竜の彫刻が生々しいですね。イラストならともかく彫刻となると別次元の技術が必要ではないでしょうか。
躍動する竜。木目がともなって優美に感じます。肉眼だとここまでわからないと思いますけれど。。
扁額や石灯篭など数々の寄進が見受けられますね。多くの崇敬を集めた証かと思います。
本堂の回廊では2月の大祭で豆まきが行われます。大祭は5日から11日までとなっており、近年では最終日前の土曜日か日曜日に年越し大祭として追儺式(豆まき)を開くようです。
豆まき(節分)といえば2月3日が思い浮かびますので11日は面白いですよね。おそらく2月11日が旧暦の元旦にあたるので同日か直前に行うということなのでしょう。
ちなみに『日本書紀』には神武天皇が旧暦の元旦に建国したとあります。現在、2月11日が「建国記念の日」として祝日になっているのはそういうわけです。
節分を立春ではなく元旦を基準としているのは、大昔、大晦日に宮廷で開かれた追儺式と同じことを意味するのでしょうか。陰陽師が活躍した時代のガチの魔除けを再現しているだとしたらスゴイ!
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御朱印
慶龍寺の御朱印です。参道沿いにある大きな授与所でいただけます。
期間限定の御朱印を頒布することも多いので、気になる方はTwitterをチェックしておきましょう♪猫ちゃん(「ポンちゃん」というらしい)御朱印うれしー。
また、この他に限定御朱印や兼務している清瀧寺(土浦市)の御朱印もいただけます。清瀧寺は坂東三十三観音霊場の25番札所となっています。
2023年に茨城新聞が取材した動画がありますのでぜひご覧ください。
【坂東観音霊場】ぜんぶ知ってる?清滝寺の七不思議!|土浦市【七不思議】
まとめ
この記事のまとめ
- 小田原の観音寺の住職が本尊に導かれて創建。子育ての霊験あらたかとされる
- 境内の鐘楼堂、天部衆は筑波山中禅寺から移築されたもの
- 御朱印は寺務所でいただける。限定もあり
参考文献
茨城の寺(三)/今瀬文也
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