水戸黄門創建の引接寺|那珂市

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wata

ども!いばらき観光マイスターのwata(@wata_ibamemo)です!

この記事でわかること
  • 由緒と本尊
  • 額田のたっつぁいの墓
  • 御朱印のいただき方

徳川光圀の寺社改革といえば、八幡改めとか末寺を潰したことが話題になりますが、お寺に関しては新たに創建することもありました。

改革は藩内の信仰を適切にするためで個人的な思惑をぶつけたわけではないと思うんですよね。幕末の改革と違って領民が泣くような話も聞きません。

というわけで、この記事では光圀公が創建した那珂市額田の引接寺いんじょうじをシェアします。境内がとても美しいお寺なのでぜひ足を運んでみてください。

引接寺とは

引接寺

引接寺

由緒

元禄9年/1696年
創建
水戸藩主・徳川光圀によって創建。光圀は元あった広栄山心岸寺を金砂郷村に移し、引接寺を向山浄鑑院常福寺の末寺として創建した
明治3年/1870年
加檀
後台源長寺、菅谷浄運寺が廃寺となり、檀徒が引接寺に移される
昭和23年/1948年
本堂改築
昭和42年/1967年
庫裏改築
昭和56年/1981年
本堂・庫裏・山門を改築
※昭和57年に落慶法要を行う
平成7年/1995年
金剛力士像造立
開山三百年ご遠忌の記念事業として中門に金剛力士像を造立。法要並びに開眼法要を行う

ご本尊は阿弥陀如来像です。光圀公に寄進されたもので元は安良川八幡宮(現高萩八幡宮)にありました。観音菩薩と勢至菩薩とあわせ阿弥陀三尊像として県指定の文化財になっています。ちなみに阿弥陀像は室町、菩薩像の方は江戸時代の作だそう。

当地にはもともと広栄山心岸寺がありましたが、光圀公の命により金砂郷町に移され、替わって引接寺が建立されました。本尊の由来といい光圀公の寺社改革の一環として創建されたのでしょう。

常福寺は常陸浄土宗の本山で現在は瓜連に位置しています。水戸徳川家の菩提寺として建立され、常福寺の第三世であった稱蓮社益誉上人が、引接寺開山上人として初代住職となりました。

引接寺の公式サイトには次のようなことも。

当寺は、水戸徳川家御神葬式に際し光圀公をはじめ、明治初年まで常陸太田市瑞竜山徳川家墓所に埋葬の御霊柩の宿寺となっていました。
沿革/引接寺公式サイト

光圀山こうこくざんの山号のとおり、光圀公と水戸徳川家と非常に関係の深い寺院です!

安良川の高萩八幡宮|御朱印・駐車場|高萩市

アクセス

常磐道那珂インターを下りて約15分。最寄り駅は水郡線額田駅で約1.6kmです。車だと駅から5分ほどなのでちょっと頑張れば徒歩でもいけますよ。

駐車場は本堂の傍にあります。広いので安全に駐車できると思います。

名称 光圀山こうこくざん 攝取院せっしゅいん 引接寺(浄土宗)
住所 茨城県那珂市額田南郷429
駐車場 あり
Webサイト 公式サイト

山門

山門と社号標

山門と社号標

県道172号(棚倉街道)から見る引接寺の山門です。

社号標が神々しい!。。いや、お寺だからそれは変ですか。

右側の社号標は特に達筆だと思いませんか?徳川宗敬むねよし氏の筆です。同氏は水戸徳川家の12代目で参議院議員にも当選。なんとサンフランシスコ平和条約の調印式に参加しています。すごい!

中門と金剛力士像

中門と金剛力士像

中門と金剛力士像

細い山門を通って100mほど歩くと中門です。門は昭和、力士像は平成なのでまだまだ新しく感じますね。

仁王像とも呼ばれる金剛力士像は境内を守護するための存在。。一説によると入滅までの釈迦を守護した執金剛神しゅこんごうじんが原型とか。執金剛神を阿吽の2体に分けたのが金剛力士ですね。

本堂

本堂

本堂

引接寺の本堂です。凛々しい佇まい。参道の敷石も整然としていてステキ。

前述の通りご本尊は阿弥陀如来です。浄土宗の本尊も阿弥陀如来ですから、同宗の寺院であれば基本的に「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ(阿弥陀如来に帰依します)」と唱えましょう。

浄土宗の開祖は法然上人。そしてその弟子の親鸞上人を開祖とするのが浄土真宗。浄土真宗もまた阿弥陀如来を本尊としていますので「南無阿弥陀仏」と唱えます。

当寺は額田古寺五山のひとつに数えられています。他は次の通りです。

  1. 阿弥陀寺(浄土真宗大谷は)…茨城県那珂市額田南郷375
  2. 引接寺(浄土宗)…茨城県那珂市額田南郷429
  3. 鱗勝院(曹洞宗)…茨城県那珂市額田南郷558-2
  4. 毘盧遮那寺(真言宗豊山派)…茨城県那珂市額田北郷542
  5. 光照寺(浄土真宗大谷派)…茨城県那珂市額田北郷1172-2

余談ですが、曹洞宗の本尊は釈迦牟尼仏なので「南無釈迦牟尼仏なむしゃかむぶつ」、浄土真宗は開祖の空海と本尊の大日如来に帰依するという意味の「南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう」と唱えることが多いです。

いろいろなお寺に参拝していると帰依する相手が多くなってしまうのですが、「仏だし大丈夫でしょー」と気軽に考えております。なにか困ったことがあったら再考しますけど。。

右手の掲示板のあたりがなにやら鮮やかですよね。所々に草花が植えられ、とても美しい境内です。特に庫裏の周辺が見どころですのでお邪魔にならない程度に散策してみるのもよいかと思います。

額田のたっつぁい

『額田のたっつぁい』の立て札

『額田のたっつぁい』の立て札

『額田のたっつぁい』と聞いてピンとくる方は茨城の民話に詳しい方。

たっつぁいは大谷達才という実在の人物。ちく(ウソ)話が達者で多くの人々を笑わせたり驚かせていました。

いわゆるトンチが効いたお話なので頭がよかったんでしょうね。ただの農民でありながら偉い人に一杯食わせることもあったので痛快で親しみやすかったのだと思います。

引接寺にはたっつぁいのお墓があります。わたしの記憶ではどのお墓か正確な場所は明らかになっていなかったはずですが、境内には案内がありますので「たっつぁいのお墓であろう場所」にたどり着くことができます。

プライベートな場所なので写真は控えております。もしたっつぁいをご存知であれば、ぜひ参拝してみてください。

御朱印

引接寺の御朱印

引接寺の御朱印

引接寺の御朱印です。本堂右手の庫裏でいただけます。

お盆の準備が始まるお忙しいところにお邪魔してしまいました。快く応じていただき大変感謝しております。

庫裏に続く道

庫裏に続く道

途中、小さな山門をくぐり庭園を通るのですが、そこがまた大変美しいのです。

山百合

山百合

このときは立派なヤマユリが咲いていました。少し離れた場所ところまで香りが漂ってきてステキでした♪

まとめ

この記事のまとめ

  • 常福寺の末寺として創建。水戸徳川家と関係が深い
  • 額田のたっつぁいの墓がある
  • 御朱印は本堂右手の庫裏でいただける

参考文献

茨城の寺(三)/今瀬文也