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春の桜詣り、楽しまれているでしょうか。わたしも見たかった桜にやっと会うことができました!
この記事では大子町の外大野のシダレザクラをご紹介します。少しアクセスに苦労しますが、大子町は同時期に多くの桜スポットがありますのでぜひ覚えておいてください!
目次
外大野のシダレザクラとは
まずは『外大野のシダレザクラ』の概要をご紹介しましょう。
傾斜にそびえるように立ち、盆栽のように枝が伸びています。不安定な足場ですが、古来桜といえば山に咲くヤマザクラなので、こうした姿こそ本来の形なのかもしれませんね。
樹齢相応の佇まいですが、「外大野しだれ桜を守る会」によって保護され、見頃になると桜まつりやライトアップなどが催され観光客を楽しませています。(2021年は新型コロナ禍で中止)
続いて由来を敷地の案内板から引用します。
茨城県指定文化財 天然記念物 外大野のシダレザクラ 一株
このしだれ桜は、地元では俗に「下大倉の桜」と呼ばれている。花は淡紅色で細かく、気品の高い糸桜である。
伝承によれば、水戸藩二代藩主徳川光圀が、この地を巡村した折にお手植えされ「他所へ移されても根付くな。」と言われたという。
それから毎年、春風に蕾を開かせ、薫風に花びらを舞わせながら外大野集落と、そこに住む人々の生活を静かに見守り続けている桜である。
光圀公は大子が大好きでなんども足を運んでいます。「他所で根付くな」にはどのような思いがあったのか興味深いところ。
「下大倉」は同地の小字のようです。現所在地よりも具体的な地名なので長らくお住まいの方には親しみが強いのでしょう。
大子町観光協会によると見頃は4月上旬〜中旬です。
訪れたのは2021年4月3日。風が吹くとハラリと花びらが舞っていたのでおそらくピーク。この年、県内の桜は例年より10日近く早く開花したのでこちらも同様だったと思います。
満開期よりほんの少し色あせたようですが、わたしには上品な色合いに感じました。立地といい景観といい非常に味わい深い桜です。
桜のある敷地内には、なにやら「わら」に棒を差した謎の物体が置かれていますが、「わらぼっち」といって稲わらの保存をしています。
なんだか可愛いじゃありませんか。大子町でしか見たことないので桜と一緒だと得した気分です♪
敷地内に簡易お手洗いあり。
アクセス
大子町の奥深いところなので、かなりアクセスに苦労するかと思います。車でしかいけないと言っていいでしょう。
常磐道の那珂、日立中央、日立北インターのいずれかで下りて約1時間です。駐車場は充分な広さ用意されていますので問題ありません。
名称 | 外大野のシダレザクラ |
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住所 | 茨城県久慈郡大子町外大野1312 |
鑑賞時間 | 制限なし |
駐車場 | 100台駐車可 |
Webサイト | 大子町観光協会 |
雷神宮と山乃神
しだれ桜から10mほど離れた場所に小さな鳥居が建てられていました。木製なので長い年月でかなり色あせていますが、扁額にはしっかりと「雷神宮」と書かれています。
その先に数歩進むと岩が3つ並べられていました。岩の上には雷神宮の祠、山乃神の祠、そして崇敬者らしき方々の芳名のある石碑です。
雷神宮の「雷」は、田の上に雨と書きます。雨も雷も稲作には欠かせない存在で古くから豊作は雷次第と考えられていました。なんでもお米の味にも影響するとか。新潟も雷が多い土地ですよね。つまり、雷には「田の神」としての性格があると言っていいでしょう。
雷神宮は別雷神を祀り、山ノ神は大山祇神などとされることが多いのですが、古代までさかのぼると少し違ってきます。山の神が春になると田の神となって下りてくる、と考えられていたので同じ神ということになります。
では、山の神とはなんなのか。それは人々の霊、あるいは魂の集合体とでもいいましょうか。古代、人が死ぬと肉体を失い魂は山に還るとされていました。
冬は山でひっそりと過ごし春になると山から下りてあちこちに生命の息吹をもたらす。魂はまるで「千の風になって」いつまでも生き続けて人々を見守ると考えられていました。
桜は田植えの前に咲きますので田の神に人々の居場所を知らせているような気がしませんか?光圀公が桜に「他所で根付くな」としたのは、先祖と子孫をつなぐ役割を与えていたのかもしれませんね。
まとめ
この記事のまとめ
- 外大野のシダレザクラがあるのは大子町
- 例年の見頃は4月上旬〜中旬
- 水戸黄門のお手植えという伝承がある
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。