wata
小野小町といえば六歌仙に数えられる和歌の達人。そして絶世の美女として評判です。
晩年が不明であるせいか日本各地に小町が訪れたあるいは亡くなったといった伝説が広まっています。真実性は極めて低いと思いますが、歌の実力は本物ですから美女設定が加われば想像の翼が広がるというもの。
小町伝説は茨城県内にもいくつか伝わっています。地名に「小野」がつくところに多いようですね。今回はそんな伝説から小町のイボ取り伝説を紹介します。舞台である北向観音(石岡市)は今もお参りが可能ですよ!
この記事でわかること
- お寺の由緒とご利益
- 小野小町のイボ取り伝説
- 駐車場の場所
北向観音は石岡市の小野越(旧八郷町)にある観音さま(十一面観音)です。小さな観音堂に安置されており、古くは小野小町が参拝をして皮膚の病を治したといわれています。
民話では次のように伝わっています。
小野小町は小野篁の孫だといわれている。父は好古で、各地の地方官を歴任したので、転任のたび一緒に歩いたといわれているが、これも伝説である。
たまたま、小野は父に従って、八郷にやってきた。その時、小野は悪性の皮膚病にかかってしまった。美人といわれている小野の皮膚病は致命傷になる。そのため小野は神仏に祈ることになった。小町の住んでいる家の後の山の向う側に観音様がまつってある。
小町は何とか病気を治したいと、毎日毎日、雨が降っても、風が吹いても参拝に出かけた。とにかく、山を越えての参拝で、大へんな毎日が続いていた。
その御利益があってか、非常にすごかった皮膚病も次第によくなっていったという。喜んだ小町は、近くの農家ですずり石を借り、和歌を一首よんで、全快のお礼として観音堂におさめた。また、髪につけていたこうがいも、お堂のわきの清水のそばにさした。やがてこのこうがいが根づいて、ひとかかえもある大木になった。
この木の皮をせんじて飲めば皮膚病にかからないといわれ、昔は患者たちでにぎわったが、今では枯れ、ふたまたの支幹が葉を残しているだけになった。
民話のふる里 P82
観音さまは皮膚病(イボともいわれる)を治すご利益があったのですね。そんな伝説から小町と同じように病を治したい方や女性の悩みを抱える方が参拝するといわれています。
このような小町伝説はいくつかパターンがありまして、旧新治村の小野には同地で小町が亡くなりなったと伝わり、「小野小町の墓」の由来に通じています。以前はそのお墓にお参りすることもできました。
なお、観音堂は石岡市の観光協会によれば次のような由緒です。
集落西端の大字仏生寺字観音地区にあった龍光院の別院で、本堂の正面が北側を向いていることから名づけられたとされています。 伝説によれば、天平年間(729~749)に、僧行基が常陸国府を訪れ、東南の方角にめでたい兆候があり、夜、怪しい光を見たことから、老翁の指示に従って仏像を刻ませ、里人が一堂宇を造って安置したといわれます。
石岡市観光協会
ここで興味深いのは「東南の方角にめでたい兆候」。もっと詳しく説明してくれ!
わたしの想像に過ぎませんが、東南は辰巳、つまり龍蛇の方位であることと、そこに「光」が見えたとあれば「龍光院」にとって重要な意味があったのでしょう。廃寺となって由来が不詳となっているのが残念ですね。
wata
小野越の北向観音は聖観音ともいわれます。
アクセス
上は北向観音堂の位置、下はその駐車場です。駐車場から境内までは約5分といったところです。
名称 | (小野越)北向観音 |
住所 | 茨城県石岡市小野越 |
駐車場 | あり |
Webサイト | なし |
境内と駐車場
北向観音にはちゃんとした駐車場が用意されています。観音堂から少し離れているのですが、道路に隣接しているので見つけるのはさほど難しくは無いと思います。
田んぼの間を抜けていざ境内。水路のせせらぎを聞きながらの参拝はなかなか良いもの。この辺りならホタルも見れるかなぁ。
小川をまたぐこの橋はいわば御神橋。形式的な橋ではありませんからなんともありがたいものです。
意外にも境内にはいくつもの立て札があって、小野小町伝説を丁寧に伝えています。古くなって差し替えたものもあるようで観光地として再興しようとした動きもあったようです。
ただ、ここを案内するにはかなり難しい。歴史の知識だけではすぐに退屈になってしまうことでしょう。
今ではまったく使われた形跡がない「小町せせらぎの家」。さすがにこの立地では色々と厳しいか。お手洗いなどもありませんからね。
忠魂碑の隣にあるのは「小町化粧清水」。北向観音の境内には小町が水を飲んだ「水飲み沢」があるといいますが、こちらのことでしょうか。
いくつかある石仏のうち、如意輪観音と十九夜塔については月待ち講で信仰されたと思われます。基本的には女人講なので安産や子育てが祈願されたのでしょう。面白いことに二十三夜塔もありました。こちらは男女のはず。
北向観音のご本尊は十一面観音ですが、如意輪観音と同様のご利益があるといわれます。興味深いのは赤と白の帯を奉納すると病気が治り、子宝に恵まれるといわれることですね。
この赤と白の帯については寺社での安産祈願や犬参りの慣習でふしぎと耳にします。当地のお隣にある桜川市の雨引観音でも安産祈願では赤白の帯の頒布をしていますよ。
本堂
ちょっとした石段を上ればすぐに観音堂です。立地的に痛みやすいので、かなりボロボロになっていると思いきやじつは朱色が鮮やかに残っています。
建物に打ち付けられた板によれば、平成17年に小野越北向観音保存会によって堂宇が改修されたそう。
「北向山」の扁額がありました。北向観音があるから、という理由かな?「普門品」はいわゆる「観音経」を指すと思います。観音さまの功徳を読み上げたたえていたのでしょう。
ちなみに小町伝説のバージョンのひとつとして、小町は晩年になって苦労しながら北向観音にお参りしたとも伝えられます。事情はよく分かりませんが、小町が悲惨な最期を遂げたというウワサはなぜか有名みたいですね。
堂内はかなりの暗がりでよく見えませんでした。ただ、立派な厨子はカメラに納めることに成功。扉のサイズからすると御本尊の大きさは数十センチといったところでしょうか。
十一面観音は聖観音に次ぐ古い観音さまです。茨城では筑波山(中禅寺と現在の大御堂)、雨引山(雨引観音)、富谷山(富谷観音)の御本尊とされ、たいへん人気があります。
仏教に馴染みがない方にとっては偉業の仏さまとして距離を置いてしまうかもしれませんが、人気は抜群でご利益は万能ですから何かお願い事をしてみるのもいいでしょう。
ちょっと汗をかいたあとであれば達成感も味わえますよ。八郷の道路は車の交通量が少ないので、さいきんでは自転車で行く方も多いかと思います。足元に気をつけて参拝してみてくださいね。
今回は撮影していないので紹介できませんでしたが、小町が腰掛けたという「小町腰掛石」が山の中腹にありますよ。
・北向観音は皮膚の病を治すご利益があるといわれる
・小野小町も苦労して北向観音にお参りして病を治した
・駐車場は境内から5分ほど離れた場所にある
民話のふる里|今瀬文也
民話100話|本堂清
八郷町の昔ばなし|仲田安夫
記事は筆者の主観が多分に含まれております。
誤解や情報が古くなっている場合があることをご了承ください。
寺院巡りにどうぞ